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※今回の記事で何が言いたいんかわからん人は無理して読んでね

 どうもT.Yです。Tは田中で、Yはゆうです。1は綺麗に三当分にはできないやないですか。0.33333…ってなるやないですか。急に何やねんって感じですか。そうでしょう。なはは。ケーキを完璧な均等に三当分に取り分けることはできへんと思ってたんですよ。意味わかんないですよね、まぁ聞いてくださいな。
 現実でケーキが取り分けられているのは、それぞれ0.3個と0.3個と0.4個になるようにできてて絶対誰かが得してると思ってまして。「ケーキが0.33333…になる確率ってのが実は、ものすっごい低くて、でもいつか世界のどっかで誰かが完璧にスポンジケーキに包丁を入れる瞬間があって、0.333333…の数字の3みたいにケーキが噴水のように断面から溢れ出して止まらなくなんねん。そんでな世界の食料不足の大体がな、解決すんねん。」って

友達に話したら「角度をこう、分けてるんやで」って言われて、「あぁ」って言う。そんでまた試験勉強に戻る放課後がありました。

 結局数学は苦手なままで、点も上手に取れないままでも、それでも別に嫌いじゃなかったんすよ。自分なりに理解してたんですよ、アホなこと言ってますけども。数学も国語も科学も煩雑で猥雑な世の中を見やすくする手段であって、細かい文字を見るためのメガネみたいなもんなんやろなって。そんなレンズを通して視野を限定することで世の中を見やすくして理解する。だから学問ってのは、ほんとは区切りがあるもんじゃないと思うんすね。
 知識って実はそこら中に漂ってるもんやと思うんすよ。目を瞑ってもあるもんじゃから自分はこういう存在を「瞑在」って名付けましたのであります。人間が本能とか愛の漠然としたもんを認識できるんは、本能とか愛って名前をつけたからであってえ。せやからね、名前をつけることに意味があるとおもっちょるんですね、わし。見ようとせんな見えんもんで。ちょっと話の行方が怪しなってきたところで、戻りませう。

・確率問題

 自分は四人家族でして。正確には今二人家族なんですけどもー。去年、両親亡くなってもうたんです。別に同情とか注目が欲しいとかそんな訳やないんですね。名声のが欲しい。
 老後に養う必要がなくなったんやって思うしかなくて。四当分してたケーキが兄貴と二等分になるけぇ、ちょっと食い切れんで参ったねぇって話で。「二人に一人は癌になる」ってのは、つまり自分と兄ちゃんは癌にならないってことやからね。これが数学やからね。

・で、何が言いたいん?

 物事をどう見るかってのが今回の記事のミソですわ。自分がどう捉えるかなんでございますわ。ボールペンをキャップと本体の1+1=2として見るんか、1+1=1としてみるかでありまして。1/3+2/3=0.99999…=1って見るのが数学でありまして。食料不足が生まれるのは、どこかで誰かが得をしているからで。だからこそ、現実は割り切れてるわけで。割り切れるもんが現実ってわけで。現実はまるでケーキで。自分がモノをどう解釈するかでございます。この記事みたいに漠然としたものは、自らの経験の具体例に当てはめて、どう自分なりに解釈して読むかが大切で。
 わからない問題にぶち当たったら、わからないこと自体に拘泥せずに、自分なりに腑に落ちる理解をすることに意味があるんちゃうかなって思うんすね。一番やっちゃいけないのはわからない問題に対して、自棄を気どることです。ダセェから。

ただなぁ、飲み会行って、楽しかったなぁゆうて帰ってきて鏡見たら昆虫の足くらいの鼻毛出てたこと、それだけは割り切られへんねん!!クソがッ!!


編集者TKOの右

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