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タヒチの星の下16話 拘留されたタオもボクもBL

     
                       ノンフィクションBL

繰り返しになりますが、タオはタヒチ王ポマレ5世の王族の血を受け継ぐ人です。現在は、1880年8月29日ポマレ5世によって主権譲渡を宣言、フランスの植民地となっていますがそんなタオは、一切口外せずミュージカル俳優を目指し渡米その日暮らしまでしていた.執事ケコアさん談---

パパの援助を断り自分一人で道を切り開こうと必死だったのでしょう。パパの気持ちとすれば、会社の後継者と代々土地の後継者としてAdaエイダ家を背負っていくことが、全てだとパパは思っています。ボクには、王族の血を引く人であることは一切言われていませんし、エイダ家の資産も同様に何も知らされずタヒチに来ました。

油まみれで働き今回もタオが貯蓄したものでボクを連れてきました。
もちろんボクは、全力でミュージカル俳優になるタオを応援しています。
パパ、ケコアさんの話を聞き、一瞬考えました。なにかいい名案はないのか。両立できる手段が必ずあると思うのですが、浮かびません。食事のあと街中をタオが案内するというので、支度しながらも頭から離れることはありませんでした。ボクは何事も無かったように振舞い、案内されました。



タヒチの歴史は古く、人類が航海を始めた頃から南太平洋の寄港ポイントとして栄え、ポリネシア文化の発祥の地とも言われ、タヒチには画家ゴーギャンが「古城のようだ」と称した山々があり、色とりどりの花々がそこかしこ

に咲き誇り、息を呑むほどのブルーラグーン、世界一になったホワイトサインドビーチと、タヒチは水上ヴィラ(バンガロー、コテージ)だけでなく、自然が織りなすコラボレーションこそが最後の楽園と言われる所以かも知れません。タヒチ人は、見返りを求めない人の良さを感じられる笑顔、ホスピタリティが感じられる心がこもった温かな人が多く治安の良いのもタヒチです。

1844年にはタヒチとフランスの戦争を経て、1847年勝利したフランスの保護国となりました。1880年には、ポマレ5世がフランスへの併合を受諾しポマレ王朝は終焉を迎えることとなり、1958年にはタヒチの118の全ての島がフレンチ・ポリネシアと呼ばれ、フランスの海外領土となりました。長い歴史の中で未だに残るタヒチ人の誇りを美しい海を見ながらタオから聞かされま

した。南半球にいること自体がボクの中では、人生初でこれからのボクらのことを日本に行ってボクの両親に会い結婚を許してもらうことなどの計画を立てました。そう簡単ではないことは、分かっていますが、タオと生涯共にいたいと思う心は、変わりません。ともすると勘当されると思います。
もう1つの場所、秘密の所へ行きました。Adaエイダ家が所有していてタオが幼少期に過ごした別邸です。ここは、実家とは違い作りがシンプルでプールといったものは無く、2階建ての海が一望できる所でした。大きな門構えは同じですが少し荒れているような感じもしました。

飼っていた犬がここに埋葬されています。だからタヒチに戻る度に愛犬に会いに来ると言っていました。ですが、到着すると門が開き人が5,6人中にいて騒いでいます。門の横に車を停め、「お前はここにいろ」と言われタオ一人で入っていきました。

見ると白人でかなり酒を飲み騒いでそこら中、アルコールの空き瓶、タバコの吸い殻などが散乱しているのが見えました。ボクは気になり車から降りて見ていると、女から絡まれているのが聞こえます。「ここの所有者だ」と言っていますが、相手は聞きません。警察に電話しょうとすると女がまた絡み


手をはらった拍子に女が転倒しました。今度は、怪我をさせたと言いがかりをつけ男3人に囲まれ、殴られています。ボクは血の気が引き、助けるにも助けられません。携帯は置いてきてるし、隣にはホテルがありましたが行くには走っても5分以上はかかります。ボクらを見守るためにその時、タコト

が来て、乱闘になっている様子に警察に連絡しました。門の中にいたタコトとボクも男たちに絡まれ、2,3発ボクは殴られました。

タオが血みどろになっていて、傍に駆け寄ると男がまたもボクに襲いかかり、タコトがかばってくれて、ボクを守ってくれました。警察が到着して全員拘束です。タオの顔の傷をボクのTシャツを破り血を拭き話しかけていましたがそんなことは、関係なく警察にタオとは別々に車に乗せられ、警察署に連れられて行きパスポートなどの提示を求められますが、所持していないことに気づき、説明しましたが聞き入れてもらえません。

タコトの機転で即座に電話して執事ケコアさんが30分ほどで来ました。Adaエイダ家の所有地である建物、絡む女の手を払ったら転倒したこと、転倒した女を見て男達が襲いかかったことを話し、タオも、タコトも、ボクも手を出したことはなく一方的に殴られていること。こちらは、過失は無く、仮に殴られたと相手側が言ったとしても正当防衛であると防衛の意思ですと伝えました。ボクのパスポートの保管場所をケコアさんに伝え、もってきてくれました。ボクらは釈放され、タオは病院に運ばれ傷の手当を受けます。
綺麗な顔は腫れ幸いにも外傷のみで重篤なものではなかったことがわかりました。タコトもボクも軽傷で済みましたが、しかしタオが心配で青くなったアザが複数あって顔も腫れています。ボクらは帰宅してパパもママも真っ青な顔をしていました。


パパとケコアさんに別邸のセキュリティとメンテナンスをしてくれるようにボクは提言し、翌日からに二度とこういう事態にならないよう翌日から始めるとパパは約束してくれました。当然ながらタオはぐったりしていて、凄まじさがものがたります。ボクはタオの傍にずっといてボクのできる微力ながら冷やしたり、手を握ることしかできませんでした。

「トニーお前は大丈夫なのか?」「ボクのことより自分のことを考えて!」
タコトがかばってくれたことをいいました。
治安のいいタヒチでは重大事件でした。しかしタオは、穏便に済ませるように弁護士に伝えあくまでも、口論上のいざこざで、転倒した女にさえ病院の治療費を負担していたのです。
引いてはタヒチの治安が悪いと国外に印象付けることを少しでも避けたかったのだと思います。

その白人たちは、観光客で若い二十代だと聞きました。ケコアさんは、何もなかったように報道や警察に対し内密にするよう根回しして事を公になることはありませんでした。タオは3日ほどで回復して元気になりボラボラ島への2泊を計画しました。付き添い2人をケコアさんは今回の事を踏まえて付けるといいましたが、タオが断わりあくまで2人旅であることが重要で、もし付いて来ても見えないところで守ってくれと譲歩しました。

そしていよいよ、このタイトルのタオとの一番の思い出の
「タヒチの星の下」忘れられない南十字星をタオと二人で見るのです。当時日記の中を見ながら執筆しています、思えばそこでタオが見せてくれた南十字星と星たちは、今も輝き、タオがボクに言いたかった事、ボクに残してくれた言葉が多く散りばめられたものです。
         

                                                                         tao
   思い出が多すぎて泣きながら書いています。ボクの人生の一部が燃えた瞬間を~                                                  

                                                                                                             つづく