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40年目の人生を振り返った気持ち

たまたま、次回のサプリをもらいに行く日が誕生日より少し前だった。39歳最後の日々の数日。

まだ40歳ではないけど、もうすぐ誕生日。昔は寒いーって言う頃誕生日だったのに、いつ私の誕生日は秋になったのだろうと思う。

でも40年生きて、生かされてきたんだなと思って、自分の頭の中で走馬灯をまわしてみたが、生まれて5才くらいまでしか幸せじゃなかったと実感。2才8ヶ月の頃父親を亡くしているが、私は全く生前の父を覚えていないし、乳幼児の時期は言葉を上手く話せず、当然ながら大人の考え方はない。でも家の中の不穏な空気というものは何才でも感じると文献で読み、言葉が理解出来ない時代でも父親の病気によって、親が病院に行くとか、私が家族の誰かに預けられるとか、慌ただしく大変な日々というのを、もう覚えてないけどきっと感じていたと思う。
だけど、私は確かに5才くらいまで幸せだった。幼稚園は辛かったけど。

小学校に入って、人間関係が難しくなったり、最初の引越しにてアウェイなところで生きていかなければならなくなり、色々と子供ながらにブルーな記憶が蘇る。思春期になってこんな私でも長年付き合った人がいたけど、私の生活ってもう気持ちがとてもしんどくて、楽しい時間は確かにあったけど、心の底にあるのはその苦しいことで頭から離れなかった。その彼を好きな気持ちに偽りもなかったけど、そのことよりも毎日辛いことが根底にあったのは事実である。
次のお付き合いの人については、なんであんな人(ひどい言い方)に惹かれてしまったのだろうと後悔しかない。好きな人が変わっても、私はその辛いこと、根底にあることをここ最近までずっと心に閉まってきた。

人生100年時代なら、折り返しまであと10年残されているが、もう振り返ることができる年齢になったのである。

正直、辛かったとしか言いようがない。楽しかった日も時間もあるのは事実でも辛かった。

でも、今の私は40から始まる人生に本当に子供の頃のような素直な気持ちでワクワクしている。根底にあった苦痛の改善を何年もかけてしてきたし、ついに好きな人はできなかったけど、それでも、私にはやりたいことややるべきこともあり、辛かったことが癒されていくことを体感していて、自分で言うのもなんだが、遅咲きの人間なんだと思いたい。

幸せを掴むために、本当に自分らしく生きるために、次振り返るときは、辛いこととあったけど幸せだったと真逆に振り返りたい。

15歳のときその倍である30歳の私は振り返ってどう思うのだろうと考え続けたことがあって、30歳になったとき、15の怯えた感情を持っていたのが嘘みたいに、15の自分に心配しなくていいよと言える自分だったのは嬉しかった。
次は何歳で振り返ろうとは決めていないけど、40歳になるときこう思ったな、と未来の私が、過去の40歳の私に優しくできる未来をこれから作りたい。

走馬灯って即席でも自分で作れる(笑)

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