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どんな時でも自己責任はついてくる

今回のお話は会社関係ではなく、個人向けのお話です。その点をご理解していただいた上で読んでいただけると幸いです。

昔からテレビなどで「だまされた」という話が出てくるたびに「下心」のことを忘れていないかと思いながら聞いています。

確かにだます人が一番悪いのですが、だまされた人にも「下心」があったからこそ隙をつかれているように思うからです。

他の人より目立ちたい
他の人より優位に立ちたい
面倒なことをもみ消したい
しんどいことをしたくない
楽して儲けたい・・・・など

だまされる方にもはじめの方に「決断をする権利とタイミング」はあったので、そこで自分で決断をした以上どんな状態になっても責任の「一端」は自分にあると思ったほうがいいと僕は思っています。

何事にも「リスク」はついてくることを忘れてはいけません。そのリスクを知っていながら下心に任せて行動をしたのならば自己責任があってしかるべきなのです。そこを忘れてはいけないように思います。

どうしてこういうことを書いたかというと、最近の日本の「弱者になれば強者になれる」風潮が人の心を弱らせているように思うからです。弱者のフリをすれば「自己責任」を無いものにしてしまうことができる風潮は、必ず人の心を弱らせたのち国力を弱らせます。

どれだけ利益が大きくても同様に大きなリスクがあるのならば、それを避ける権利は誰にも平等にあります。もちろんそのリスクを乗り越えてでもやってもいいという権利も平等にあります。ただ、その決定をしたのは「自分」だということを忘れてはいけないのです。

神さんはよく「人を自分のいいように利用しようと思ったら、必ずそれ以上に自分のことを利用する人しか集まってこない。だまされる時はそんな時だ」と言われます。最近の芸能人や著名人、国会議員の不祥事も人を自分のいいように利用しようとしたお互いの「下心」が透けて見えて仕方がありません。自己責任と自己防衛の心を忘れたら必ず痛い目にあいます。

神さんはさらに「守ってもらって当然は子供までで、大人の世界はすべて自己責任において平等だ」と言われます。都合のいい時に出し入れできる責任感しか持っていない間は、大人としては未熟なのではないかと思う今日この頃です。

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