今よりマシな気分を選び続ける
僕たちはいつだって今の自分の気分を選んでいます。
「〇〇のせいで嫌な気分にさせられた」
と思った場合でも、出来事に対してその気分になろうと決めたのは自分です。
雨が降ったとして
デートの予定が台無しになったと思い気分が落ち込んでも
植物に水をあげられてラッキー!と思っても
起こった出来事は同じ「雨」であり、それぞれの意味付けをして
自分が決めた気分でこの世界を生きています。
出来事をどう「意味付け」して、どんな「気分」を選ぶのかは
まさに、今この瞬間の自分自身にゆだねられています。
幸せとは今この瞬間幸せであることですが
もし、この意味付け(解釈)と気分の選択が自在にできるなら
どんな瞬間でも幸せでいることができます。
どんな出来事も人それぞれ異なる独自のフィルターを通して解釈をしています。
だから僕たちは大前提としてありのままの現実を見ることができていないのです。
仏教ではそれを無明と言います。
無明とは「明」るく「無」いということであり、
物事を暗闇で物を見て判断しているような物です。
正しい姿は暗闇では認識ができません。
まず、僕たちは
自分の認識が無数に存在する解釈にうちの一つであり
自分のフィルターを通して見ている出来事であると理解をしなければなりません。
そうすると、固まっていた認識の殻に少し余裕ができます。
もしかしたらこの出来事には違った見方ができるかもしれない
と解釈の幅が広がるのです。
そして
いつどんな瞬間でも気分は選択できます。
今どんな気分を選んでもいいのです。
しかしながら、不幸のどん底にいるときにいきなり100%の幸せな気分でいるのは難しいと思います。
ですが、「今より少しマシ」な気分を選ぶことは出来るはずです。
私たち人間は全員、気分というカードを使ったゲームに参加させられているのだと想像してみてください。
その時持っている手札の中から今の自分の気分を選ぶゲームです。
手札はその時の状況やコンディションによって変わってきます。
例えばあなたが財布を落としたとします。
その状態から
「うわっ!財布落とした、ラッキー!」
となれるでしょうか?
すぐになれたらシンプルに達人なのでしょうが
通常はできないと思います。
「財布を落とした」
という状況では「ラッキー!幸せ!」という気分の手札は持っていない(見つけられない)のです。
財布を落とした、という状況ではまず焦りが先に来て
他の感覚を感じる余裕がないと思います。
その場合はまず自分の中で思いっきり、焦りの感覚を感じ切ります。
感じて、感じて
そうすると徐々にその感情は収まってきます。
「ラッキー!」とはなれないかも知れませんが、
「まあしょうがないか」
ぐらいの気持ちにはなれるかも知れません。
一番強い感覚を感じ切ると見える手札が増えてきます。
気分の選択肢が増えるのです。
逆に美味しいものを食べた時やリラックスしている時であれば、
「幸せ!」という手札がすぐに出てくるかも知れません。
その時はダイレクトに幸せな気分を選びとればいいのです。
大事なのは
・その時に選びがちな1番バッドフィーリングな気分(怒り、焦りなど)
を感じ切り捨てる。
・その後、残っている気分の中で一番マシなカードを選ぶ
ということです。
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起きた出来事に対し
どんな見方をしても
どんな気分でいても
本来は自由です。
そして
自分が今正しいと思っている物の見方や気分というものも
フィルターを通して見ている歪んだ現実です。
どうせ歪んでいる現実なら、自分がその時選べる気分の中で一番心地よい気分と解釈を選び取っていきましょう。
シャーマン司
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