副業が本業の2.5倍もの収入に至るまで
母親の死と自分自身の手術を機に
セミリタイア(サイドFIRE)と言われる今の生活の道がつくまでには、いくつかの山があった。
社会人数年目のある日、母親から「お母さん癌だって」とのLINEが入った。最初は驚いたが、ありがたいことに今は医学の進歩で癌も治らないご時世ではないし、きっと闘病生活を経て、回復するものだと思っていた。
しかし、1か月半後に母は亡くなった。ものすごいスピードで病状が悪化していて、医者も過去に数例しか見たことのない症例だったそう。
元々両親と弟との4人家族だったが、母が亡くなる数年前に父は外で家庭を作って出て行った。母は私たちには苦労を見せていなかったが、どれだけ一人で頑張ってきたんだろう・・。
私も社会人になったばかりで自分のことで精一杯だったが、母が亡くなって、まだ学生だった弟を私が扶養することになった。
それまで母の元でのほほんと過ごしていた私に、突然たくさんの課題が降ってきた。母が亡くなったことを悲しんでいる余裕がないほど忙しい日々が始まる。まずは少しでもお金になるものがないかと遺品整理をしながら、新品で売れるものはフリマアプリへ・・
と、そんな矢先に、私も持病の腫瘍が大変なことになっており、母と同じ病院で緊急手術をすることに。科は違ったものの、病室がいっぱいとのことで案内されたのは、なんと母が入院していた癌病棟の同じ大部屋だった。場所にも慣れているし、看護師さんはみんなよく知っている。私が入院すると、看護師さんが「〇〇さん、どうしたの?癌じゃないよね!?」と驚いて駆け寄ってきた。
手術未経験の私は、お腹を切るなんて怖くて怖くて無理・・と、弱気になるも、私の手術なんかとは比べ物にならないほど大きくお腹を切って内臓を摘出、苦しい闘病生活をおくっていた母の姿を思い、「私は切れば治る!死ぬわけじゃないんだから!」と自分に言い聞かせた。
無事に手術が終わり、1週間の入院と1か月の自宅療養。お腹を切ったため、しばらくは痛くてあまり動けないし、想像以上に体力がもたない。最初のうちはベッドから起き上がって座っているのもやっとだった。こうなることを予想して、「リハビリがてら」と思い病院に持って行ったのが、アクセサリー製作用の工具などのセットだった。
小さい頃から細かい手作業が大好きだった。Eテレのワクワクさんが大好きで、ずる休みしては当時の3チャンネルに釘付けになっていた。これって同年代あるあるなんじゃないかな?
前置きが長くなったが、このとき始めたアクセサリー製作が、後々私の生活を大きく変えるきっかけとなった。
病室でアクセサリーを作る
入院生活はきっと暇だろうな~と、本屋さんで色々な本を見ていたが、目に留まったのがアクセサリー集。2冊買って家でパラパラと読みながら、療養期間中に作りたいアクセサリーの材料も事前に買っておいた。どんなアクセサリーを作っているのか、いつか記事の中でもご紹介したいと思う。
病室で作ったアクセサリー第1号は、「何作ってるんですかー?可愛い~」と声をかけてくれた看護師さんへプレゼントした。(今思うと、こういうのってもらっても困るだろうなぁ・・)
自宅療養中にアクセサリーを売り始める
退院し自宅療養期間に入ったが、お腹を切っているため、驚くほど体力が落ちていた。最初のうちはベッドから起き上がっているのも疲れてしまい、すぐに横になる。ここでもリハビリのため、起きている時間を増やすべく、アクセサリーを作った。身の回りのことがあまりできないため、祖母の家で自宅療養していたが、出来上がっていくアクセサリーを祖母も眺めて楽しそうだった。
ある程度作品がたまってきたところで試しに売ってみようと、日用品を出品していたフリマアプリでアクセサリーを出品してみたところ、数分で売れた。これには驚いた。お試しだったので780円だったか、低額で出品したからだろうか。少しずつ金額も上げながら出品し、相場を調査した。
そうしていくうちに、「こんなのは作れませんか?」と、オーダーが入るようになった。依頼内容について研究しながら形にしていく・・これが形になるときの達成感と、依頼主の喜びの反応がたまらなく嬉しい。
こうして毎日コツコツとイメージを形にしていくことが楽しく、気付けば常連さん、ファンまでできていた。
継続は力なり
楽しかったからずっと続けられた。数年たつと、毎月安定した売り上げが入るほど、活動は板についていた。
更にファンの方から、「長く使いたいから素材を高級なものに変えてほしい」とのリクエストをいただき、作品の幅が大きく広がるきっかけとなった。そして、ライブ配信で実演販売をしてみたり、ポップアップストアを開催したり、メディアからの取材、テレビ出演・・と、これが無かったらできなかったようなことをたくさん経験させてもらえた。
本業もあったし、正直お金のためにしていた活動ではなかったので(とにかく作製に没頭している時間が楽しかった)、売り上げについてはほとんど意識していなかったが、6年ほどたって驚くほどの収入になっていたのは、楽しくて仕方ないことをコツコツと続けてきたから。
ありがたいことに毎日たくさんオーダーや購入をいただくようになったが、本業ではフルタイムで働いていたため、本当に時間に追われ、少しの時間も無駄にしないよう、常に作製用の道具を持ち歩いた。
職場でのお昼休みだけでなく、新幹線での移動時間、ファミレスで料理が出てくるまでの間など、隙間時間も全て有効活用した。二足の草鞋はそろそろ限界だった。
次の記事では、そんな限界の状況から、ついに本業退職を決めるというところから、書きたいと思います。
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