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桜はなぜ綺麗に見える

私の住む地域では、桜が満開である。
今年は久々に"これまで通り"の
お花見が解禁された。

ところが機を狙ったかのような雨の日々。
ゆっくりと春の色彩を楽しむ時間も持てないが、
雨に濡れながらも力強く咲く桜を見倣い、
私も前向きに進もうと思う。

ところで、
なぜ桜は人々の心を奪ってやまないのか、
毎年春になると考える。
私なりの答えはある。
それは、「小さな花が集まって生み出す美しさがあるから」である。

桜は、小さな花の集合体である。
5枚の花びらを持った小さな花が、
大小ありとあらゆる枝から、
全ての隙間を埋め尽くすように咲き誇る。

想像していただきたい。
もし桜の花が、手のひらほどの大きさであったならば、
どのように見えるだろうか。
私には人々が息を呑むような美しさはそこには見えない。

小さな花があらゆる角度から咲くことにより、
花の集合体として立体感が生まれる。
そこに風が吹き、日差しが加わることで
一瞬一瞬で姿を変える、表情豊かな存在となる。
そのある種「複雑な」ピンク色に
我々は毎年魅了されているのではなかろうか。

この「集合美」は、他にも見られる。
例えば都会のネオン。
立ち並ぶビルの明かりや、家々から漏れる光。
道路に沿った電灯の明かりと、走る車のヘッドライトにテールライト。
そんな小さな光が集まることで、都会の夜景は美しくあるように思う。

ふと私は、この現象を人間の生活にも重ねてしまう。
私たちの日常は、
何の変哲もない、
何の面白みもない、
何の変化もないものの連続である。

時には何の意味があるかも分からない作業を繰り返し、先が見えないような試練の日々に絶望を感じることもある。

けれど、きっとその一日一日と
真面目に、
丁寧に、
真剣に向き合い、
それが幾重にも積み重なっていったとき
ふと振り帰れば
満開の桜のような美しさを
自らに感じることができるのではないだろうか。

もしも「なんとなく」毎日を送っているのならば
ばらばらの花々が咲き乱れ、
何とも歪な春がやってきてしまう気がする。

つまり何が言いたいかというと、
毎日コツコツ目の前のことに向き合い
それを地道に継続して生きていくことが、
人生においても大切なのではないか、ということ。

継続って難しい。コツコツって難しい。
大人になると強く思う。
なぜなら大人はたくさんの選択肢が見えてしまうから。
それでもブレずに進んでいくって、
子供時代より難しいと思う。

けれど

その積み重ねがその人の味となり、
その人を形作っていくのだとも思う。

いつか、桜のような美しさを感じられる人間になりたい。
そう思い、また明日からコツコツ前に進んでいこうと誓う、
桜咲く、今日この頃である。


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