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「受験生頑張れ!」の気持ち悪さ

テレビを見ていると、受験生にフューチャーしたお菓子のCMを見かけることがあるが、あまり気分がいいものではない。他にも、駅などの掲示板に受験シーズンになると、待ってましたといわんばかりに掲げられるエール。みていて嫌気がさす。私自身、受験を経験した身であるが、このようなエールが力になったことは一度もないように思う。むしろ、ストレスを増幅させるものであったような気がしてならない…

無論、表現の自由が保障されている我が国では、このような応援メッセージも許される。ましてや、このような応援メッセージは、受験生を励ます良い風物詩とされているのかもしれない。受験生へのエールをみてどう思おうと(どうも思わなかろうと)個人の自由であるが、応援メッセージをみて、一緒になって応援する気持ちになったそこのあなたにはぜひとも読んでもらいたいと切に願う。

そもそも、「受験生頑張れ!」をみんなにいっているのだとしたら、あまりにも無責任にすぎるのではないか。みんな受験を頑張って、みんな合格を勝ち取れるのなら、そもそも受験なんてものは不要である。合格者がいるということは不合格者もいるというのが受験の性であり、このことにお気づきなのだろうか。にもかかわらず、不特定多数に向けて受験生を応援するのはあまりにも不謹慎であるように思う。いうなれば、利益相反的に受験生を応援している者であり、誰の味方(応援)なのかわからなくなるのではないだろうか。こんな応援をする者は、受験を経験したことがあるのだろうか…

受験生にフューチャーしているCMは、駅の応援メッセージに比べると、まだ健全な方だと思う。とはいっても、大人たちが、受験を商売に使っているだけで、受験生たちはそれに弄ばれているような様相を呈しているようにしか見えない点で良い気持ちがしないのは確かである。誰が受かろうが、落ちようが、そのCMのお菓子が売れさえすれば、どうでもいいのだろう。実際にそのCMを見た受験生がどう思うかなんてどうでもいいのだろう。これはこれで潔くてよいのかもしれない。

他方、駅の掲示板等に掲げられた受験応援メッセージは本当に気分が悪い。あんなメッセージは駅側の自己満にすぎない。駅の出口にあのメッセージがあって点数が上がるのだろうか。むしろ、私みたいな変人は、気分を害され、点数が落ちそうである。別に駅の掲示板に応援メッセージを書いたからといって、売上が増えるわけでもないけど、とりあえず季節柄書いてみました的な感じで軽々しく応援メッセージを書いて、満足しているだけのメッセージに誰が励まされるのだろうか…

本気で応援しているのは、身近で支えてくれている家族や友人、先生方であって、外野はとやかくいわず、黙って静観し、心の中で、受験生皆が全力を出せるように願っておけばそれで十分な気もするのだが…

まあ、このように人の応援を素直に受け止められないから、私は受験に失敗しているのだろう…

これは個人的な意見で誰かを攻撃するつもりは全くない。名前も顔も出さない、何の責任も負っていない者の戯言として片付けてもらえると幸いである。

誰にも応援されない司法試験受験を半年後に控え、眠れない夜を抱いた朝方にて…

以上





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