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日本のZ世代にとってのYoutubeとは何か

Z世代といえば、まずよく言われるのがデジタルネイティブであることです。子供の頃からスマホ或いはPCに親しんでおり、ネットリテラシーが高いとかいう情報もあります。

僕自身もZ世代ですが、同年代の人々にとってYoutubeとは何なのかと言えば、まず「SNSの筆頭的存在」であることは言えるだろうと思います。それは敷居が低いが治安はそれなりに良く、手軽で身近なものだからというのもあります。

またもう一つ言えるのは「ストリームの規模感」ではないかと。時事ニュースというテレビが主戦場の典型的なメディアや、アマチュアのしょーもないが笑える動画、MV、アニメやら映画やらの限定配信、ユーチューバーのサムネ釣りなどなど、あげればキリがないですが、これらが一つのYoutubeというフォーマット内に全て内在するものだと思うと、それが実は驚くべきことであると気がつく。この「実は」という言葉、これがZ世代の率直な気分なのではないだろうか。


僕自身の体験を基に言えば、Youtubeは小学生の時から見ていたし、見始めると止まらないものだった。きっと僕の周囲の同級生なんかも同じだったろうと思います。小学生の頃というのは、基本的に楽しい事に対して躊躇うことは、そうするもんではありません。いくら口頭でネットは危険だと言われようと、だからと言って一切辞めるわけにもいかないし、面白いことだったら尚更です。

また、ストリームの規模感が莫大なものであることからも、成長に合わせて見る動画の趣向が変わっていく事が少なからず発生し、それは自分自身の成長の写鏡でもあったように思えるのです。この感覚は言語化しないにしても、同世代の多くが感じてきたものであるには違いないと思います。

かくしてYoutubeは、Z世代にとって小さい頃からの親しみがある存在、いや、それ以上のものとなりえました。

しかし、だからこそZ世代はYoutubeというフォーマットに対して深く考えてきませんでした。いや、正確にはネット講習会などで無理矢理予定調和の話を聞かされまくってますから、ある程度は考えてはいるでしょうね。しかし、個人的に深く(しかもYoutubeという存在そのものを再考して)洞察することはおおよそしてこなかったでしょう。それほどに慣れ親しみ、ごく当たり前の存在だったから。だからこそ、Youtubeが驚くべき存在であるということに対してZ世代は、ある程度の意外性をもって咀嚼するだろうと思うのです。「よく考えてみれば確かに…」と。

そして、Z世代の特徴として恐らくはZ世代以前の世代よりも遥かに「身体性を持ってSNSをしている」ことが言えると思います。この話はYoutubeのみに限った話ではないのですが、どういう事かというと、例えば「公園を歩く」「ベンチに座る」「信号を待つ」「飯を食う」だの、日常生活の動作のほとんど同列に「スマホで文字を打つ」「LINEで連絡を取る」「コメント欄に書き込む」などの行為が存在しているということです。全く同じ(一致)ということでもなく、同列(同等)なんです。現実世界で身体的動作をすることとほぼ変わりなく、我ら(Z世代)は実質的にデジタル世界の中に生きているのです。これはもしかしたら一世代ぐらい前の方々も同じかもしれないですが、我々は確かにデジタル世界に生きているという自覚があります。社会のデジタル化がより進めば、この感覚はより強くなっていくことでしょう。

まとめ

日本のZ世代にとってのYoutubeとは、
・SNSの筆頭的存在
・ストリームの規模が大きい(ソーシャルであり同時にアマチュア的でもある)
・自身の成長の写鏡
・身体性を伴う日常的なもの

という分析ができます。

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