段階的標榜

たちこめる暗雲は、どれも同じ色なのだろう、敗北の味はどこでも一緒なのだろう。

時間をやり過ごし、まだ見ぬ幸福の到来を予感しながら生きていく。

一週間うち5日間はしこたま労働に従事し、時間を生活資金に変換していく。

残りの2日間はただ泥の様に寝たり、寝転びスマホと睨めっこをする。

私は、不幸ではない。

嘘ではなく、不幸ではない。

私にはまだ幸福になれるだけの物資があり、見通しもある。

私は不幸ではない。

なぜなら物資があり、それを積載するだけの容積を有している。

あと暫くはこの海原を進んでゆけるだろう。

もちろん、持ちうるモノは有限であり、航海を無補給で継続しょうとするのには、いくらかの構造が足りない。

私はまだ、原子力では動いていないのだ。

私には、私の見立てがある。

今の所は十分だが、想像よりも波は高く、真水や食料の目減りも誤魔化せなくなってくる。

それは苦痛への見立てである。

苦痛は、私を、私達を酷く悩ませ、士気の減退、疲労の蓄積、回復の低下をもたらす。

段々と頭は重くなり、背骨は強度を失い、皮膚の張力は日に日に頼りなくなる。

やがて、全身が自重でぺちゃんこになる。

そういう人をいくらでも知っている。

私は不幸ではない。

私はその途上にある。

緩やかな下降は、自認する名目と実質の乖離を加速させる。

メーデー、メーデー、こちら私。

スタァボート、転進せよ。ミズンスパンガーホールイン。

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