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【小説】暗流~アンダーカレント~ 第四話

 ファミリアは大阪のミナミからキタへ向かう。午前一時、梅田駅前の茶屋町に入った。モダンな雰囲気をまとった街は、深夜でも明るさを失っていない。アメ村同様、若者の姿は多い。彼らは奇をてらった服装ではなく、都会的なセンスの洗練された身なりをしていた。
 車中でリョウはスマホを使い、戸崎なぎさについて調べた。村井の教えてくれた情報が、ネット上にも出廻っていた。
 高校卒業と同時に国内の大手ジャズレーベルと契約した彼女は、アルバムを発表する前に女子音大生死亡事件を起こした。そのために、世に名前が知れ渡る前に、音楽生命を絶たれた。
 しかし、関西では精力的にライブ活動をしていて、知る人ぞ知る存在だったらしい。なぎさがピアノを弾く様子を写した画像も出てきた。ステージ上ではノースリーブのワンピースを好んで着ていたようだが、露出した腕には、どこにもタトゥーは彫られていない。ましてや父親のイニシャルが刻まれているなんてことは――。
 本当にタトゥーが彫られているとすれば、事件後に入れたのだ。いや、入れられた、というほうが正しいのか。
「見ろ。あのデッカイのが、戸崎となぎさの住処や」
 村井の声に、リョウはスマホから目を上げた。
 一棟のタワーマンションがそびえていた。
 茶屋町には、一方通行の道路が縦横無尽にはりめぐらされてある。村井は慎重にハンドルを切りながら、道をたどっていく。
「部屋のナンバーはわかるか」
「三十一階建ての最上階。3101号……」
 ファミリアは停車した。リョウは一人で車をおり、タワーマンションに近づいた。三階までは商業施設が入っているため、マンションのエントランスは目立たない造りになっていた。
 パネルでルームナンバーを押した。はい、と澄んだ声が応答した。
「《アンダーカレント》のピアニスト、美樹本なぎささんだよな」
「あなたは……昨日の?」
 インターフォンに取りつけられたカメラで、リョウの顔は相手に筒抜けだ。
「美樹本みどりの子だよ」
「……何をいってるの?」
「下りてきてくれないか」
 もどかしい沈黙のあと、通話が切れる音がした。
 五分、待った。リョウはコンシェルジュに通話をつなごうとした。そのとき、エントランスのガラスドアの向こうに、エレベーターをおりて通路を歩いてくる人影が見えた。
 なぎさだった。急いで準備したのだろう、ブラウスにカーディガンを羽織っただけの恰好だった。風呂上がりなのか、彼女を目の前にすると、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「突然わるかったな」
「……あなた、何者なの?」
「美樹本リョウだ。父親は違うが、きみの兄貴だよ」
 なぎさが困惑した表情で、リョウを上目遣いに見上げる。
「私に兄はいないわ」
「知らねえのも無理はないさ。きみが生まれる前に、おれは金沢で捨てられたんだからな」
「金沢……」
 なぎさが顎に手をやった。何か思い当たる節があるのかもしれない。それは母親の出身地なのだ。
 リョウはホープをくわえて火を点けた。煙が立ちのぼり、なぎさの凛とした香りが掻き消された。
「おれたちの母親……美樹本みどりの死について聞きたい」
 ただよう紫煙の向こうで、なぎさが目を大きく見開き、声にならない叫びを上げたようだった。
「美樹本みどりは、戸崎に殺され――」
「二度と、ここには来ないで」
 なぎさは強くいい放った。くるりと踵を返して背を向ける。
 リョウはホープを地面に落とした。後ろから彼女の腕を掴んだ。
「いや、何するの」
 右腕にからみついている服の袖をたくし上げた。
 リョウは目を見張った。彼女の右の前腕部分には、薔薇が咲いていた。花弁の上には「M&N」という文字が踊っている。妖しい魅力を放つタトゥーだった。
「昌孝……なぎさ……」
 リョウが放心していると、なぎさは手を振りほどいた。息を荒げて、リョウを睨みつける。
「おまえはやっぱり、戸崎に縛られているんだな」
「……帰ってよ」
 なぎさは小走りにマンションのロビーに消えた。
 リョウは、地面に転がって火種を燻ぶらせているホープを靴底で始末し、エントランスから外に出た。
 停めたファミリアに、村井がもたれかかって腕組みをしていた。
「母親のことを訊いたら、シャットアウトされたよ」リョウは肩をすくめた。「兄貴のおれがいることも知らないようだ」
「そうか……」
 村井は決まりがわるそうに白髪頭を掻いた。
「なぎさの腕にタトゥーがあるのは本当だった」リョウは新しいホープに火を灯した。「おれはいままで、おれを捨てた身勝手なおふくろを憎んできた。だけど、事実は違うのかもしれない。おふくろを殺し、なぎさを束縛している戸崎を許すわけにはいかない――」
 胸中を吐露するリョウに、村井は白髪頭を二、三度ふり、口をつぐんだ。

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