見出し画像

【小説】暗流~アンダーカレント~ 第三話

 サウスロード千日前にあるコインパーキングに停められていたのは、車体に傷の目立つ、年季の入ったファミリアだった。村井は運転席に座り、ハンドルを握った。リョウは後部座席に滑りこんだ。車内は埃臭く、床にはパンやフライドチキンの衣といった食べカスまで落ちている。
「なんで後ろに座るねん」
「おれは相棒じゃねえからな。ボロの公用車じゃ、なおさらだ」
 村井はフンと鼻を鳴らし、発進した。そのショックで、座席のシートが悲しげに軋む音を立てた。
「刑事って普通、二人一組だろ」
「……うっさい」
「ぼっちなんだな」
 窓外の道頓堀周辺では、色彩豊かな看板が忙しなく点滅している。リョウは頬杖をつき、けばけばしい夜景を興味もなさそうに眺めた。
「アメ村の地下賭場に向かったはずや。戸崎が一部出資して出店したところなんや」
「チェスターコートの男と一緒か?」
「さっきはいわんかったけど、あれは府知事のドラ息子なんや。松田宗一っていうねん。なんでか知らんけど、戸崎は宗一を《アンダーカレント》では遊ばせへん。いつも違う店に連れていく」
 バックミラー越しに村井が、リョウに視線を送る。
「それはそうと、にいちゃんはどうやってあの店を知ったんや」
「美樹本みどりの死亡のニュースを見て、一週間前、大阪に来た。関西の賭場を歩き廻ってるうちに、戸崎の賭場にぶつかったのさ」
「……股旅のばくち打ちってわけか」
「いいかたが古臭いんだよ」
 ファミリアが向かった先は、若者文化発信の街として知られるアメリカ村だった。難波から車で五分ほどの距離だった。午後十時を廻っているが、建ち並ぶ古着屋や飲食店の中にはシャッターを開けている店も多く、奇抜なファッションを着こなした若者たちの行き来は絶えない。
 アメ村の中をうねるように這っている道路を、ファミリアは徐行で進む。無軌道な若者がいつ車道に飛び出してくるかわからない。
「うわ、危なっ!」
 村井がクラクションを鳴らした。ハイティーンの女子たちが黄色い声を上げながら、道を横切った。
「村井さん、中指立てられてるぜ」
「これやから今どきの若いモンは……こっちが人殺しになってもうたらシャレならへんで」
 人殺しという言葉を聞き、リョウの顔つきはまた引き締まった。
「わしのことを呼ぶときは、ムラさんでええ」
「おれはリョウでいいよ」
 車はアメ村内のパーキングエリアに停められた。爬虫類カフェやタイ古式マッサージ店などが入っている七階建ての雑居ビルに入り、狭いエレベーターに乗る。店名表示がなく、一見デッドスペースとなっている七階が、賭場だった。会員の村井、彼の紹介という形でリョウも店に入った。
《アンダーカレント》の倍はある広さだった。バカラ台だけでなく、ルーレット台やスロットマシーンも置いてあって騒がしい。客は五十人ほどの入りだ。種々雑多な客種は《アンダーカレント》と変わらないが、天井で眩しいほどに輝く廻転式ミラーボールと、露出度の高いバニーガールが、店の品性を著しく下げていた。スピーカーからは、腹の底に響くほどのダンスミュージックまで流れている。
 戸崎と宗一を見つけた。バカラ台の前に並んで座っている。戸崎はあきらかにリョウを意識しているが、目を合わさない。
「どうするつもりや、リョウ……」
「賭場に来たら、やることはひとつだ」
 リョウは二人とは少し離れた席についた。バカラ台の上に、百万の札束を投げる。ディーラーが即座にチップを置いた。
 戸崎がプレイヤーサイドに三十万円分のチップを賭けており、最高額ベットだった。リョウはプレイヤーサイドに五十万のチップを置いた。
 戸崎は両手をテーブル上に組み、リョウに配られるカードを見つめた。
 リョウが開けたカードは、8とAのナチュラルナインだった。リョウも戸崎も、賭けていたチップが倍になって返された。
 次も、リョウは戸崎の賭け金より多くの金額をベットして、カードをめくる権利を渡さなかった。バカラの醍醐味は各サイドで最高額を賭けて、カードをめくることにあるといっていい。リョウの行為は、戸崎をぴったりとマークし、煽り運転をして挑発しているようなものだった。
「戸崎さん……なんやねん、こいつ」
 宗一がささやく。戸崎は黙殺した。声が耳に届いていないようだった。瞬きもせずにディーラーの手もとを注視している。視界の端で、リョウの次の手をうかがっているようでもあった。
 プレイヤーのツラ目が続いていた。
 戸崎は何喰わぬ顔で二百万円分のチップを動かした。置いた場所は、これまでとは一転してバンカーサイドだ。
 リョウの目は、喰い入るように戸崎のベットしたチップに注がれた。煽り運転を続けていたが、ついに戸崎が挑発に乗ったように思われた。ベットの金額も桁が違う。
 周りの客は固唾を飲んで二人の闘いを観ていた。
 普段のリョウならばギャンブルにおいて、次の一手に逡巡することはない。即断即決だ。しかし、このときのリョウは手が止まった。一気に戸崎を追い抜くチャンスだった。ミスは許されない。
 三百万ほどのチップをプレイヤーに置いた。リョウは、プレイヤーのツラ目が続く、と判断したのだ。
「ノーモアベット……」とディーラーが右手を場にかざした。
 大金が動いている。ディーラーも緊張した面持ちでシューターからカードを抜いた。
 リョウは、伏せて配られた二枚のカードに手をかけた。一枚目は絵札で顔をしかめたが、二枚目は8だった。
「ナチュラルエイトだ」とリョウはカードをテーブルに弾いた。
 BGMにも負けぬほどの歓声が周囲から上がる中で、リョウはそっと息をついた。
 戸崎は口の端を曲げた。リョウの合計数が八であったことに、むしろ勝機を見出したような表情だった。リョウはその顔を見て、怖気をふるった。
 戸崎のめくった一枚目のカードは5。二枚目のカードをめくる戸崎の指先に力がこもっている。
 二枚目は4だった。合計数は九。ナチュラルナインだ。
 人々からは歓声よりも、ため息が漏れた。リョウの賭けていたチップは没収される。
 それからの数ゲーム、リョウはいいところなく負けつづけた。戸崎はリョウの逆目を賭けて、勝ち金を積んでいった。
 戸崎がディーラーにチップを預けて、席を立った。リョウも弾かれたように立ち上がる。戸崎が向かった先は、店内の通路の奥にある「STAFF ONLY」のドアだった。
「逃げるのか、戸崎」
「おまえにしては珍しくアツくなってるな」
 しかし、戸崎の額にも玉の汗が浮かんでいた。
 リョウは一歩前に詰め寄った。「おれは金沢で生まれて、両親に捨てられた。施設に入れられたが、私生児のおれを育ててくれたのは、北陸の賭場にいる大人たちだった」
 戸崎は背を向けて、ドアノブに手をかけた。
 リョウは彼の背中に声を浴びせる。「おれのおふくろ――美樹本みどりは、おれを捨てて、また新しくロクでもない男をつくって、どこかへ逃げた。ガキのころから、周りにはそう聞かされていた。おふくろと逃げた男っては、あんたなんだろ?」
 戸崎は無言のまま、ドアの向こうに消えた。リョウは拳を握りしめたが、バカラ台に戻った。
 村井が心配そうな顔でリョウを迎える。「……出直すか、リョウ」
「いや、まだだ」
 リョウは宗一に目を留めた。グラスの酒を飲みながら、一人で侘しくチップを賭けている。彼の隣のスツールに腰かけた。
「……なんやねん、戸崎のやつ……」宗一はぶつぶつと文句をいっている。
「あんたは《アンダーカレント》では遊ばないのか?」
 リョウが訊くと、宗一は睨み返してきた。
「おれの勝手やろ」酒臭い息を吐いた。顔も赤くなっている。
「なぎさが目的か。それで戸崎に遠ざけられている……ちがうか?」
 宗一は手の中でチップを弄んでいる。カチカチとチップが擦れる音がする。
「……アホくさ。実の親父におもちゃにされとるような女なんか、興味ないわ」
「……? どういうことだ」
 宗一は自分の前腕を指差した。「右腕にな、タトゥーがある。それが親父のイニシャルなんや。イカれた変態親父にな、入れられとんねん」
「本当なのか?」
 リョウがにじり寄ると、宗一は唇を震わせた。余計なことを喋ったと感じたらしい。
「……おい! うっさいぞ、この客。誰の紹介やねん」
 宗一が叫ぶと、ゲームに熱狂していた客たちも一斉にリョウを見た。皆、酔いから覚めたような目だった。
 店の奥から男性スタッフが出てきた。蝶ネクタイを締めてはいるが、およそディーラーとは思えない屈強な男だ。
 リョウは席を立ち、動じることもなく身構えた。
 村井が駆け寄ってくる。「これ以上はあかん。そろそろ――」
 村井の言葉が終わらぬうちに、蝶ネクタイから拳が飛んできた。
 リョウは軀をかわした。打ちのめすはずの相手が俊敏な動きを見せたせいで、蝶ネクタイは前につんのめった。頬を震わせる。彼はふたたび固めた拳をふりあげた。
 リョウの右手が一閃した。サンドバッグを殴りつけるような鈍い音が響いた。蝶ネクタイの口から呻き声が漏れる。両手で腹を押さえ、前かがみになった。
 リョウは彼の肩を支えながら、耳もとでささやいた。
「おれは気が弱くってさ。勘弁してくれよ」
 蝶ネクタイの顔面が上気する。リョウが軀を放すと、彼は上体を前に折ったまま、床に膝をついた。店内は時間が止まったようだった。群衆にまぎれて、宗一は雲隠れしていた。
「邪魔したな」
 リョウと村井はうなずきあい、店をあとにした。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?