働くことは一種の自殺である

僕はお金を稼ごうと思ったときに、自己投資という言葉をよく目にして、そこから関連した自己啓発本なるものを何冊か読んだことがあります。

結論から言うと、本の内容はスカスカで、立ち読み15分で読了できました。

有名な本を何冊か読みましたが、どれも似たり寄ったりで、言い回しを変えただけのコピペにしか見えませんでした。

ローランドがフェ〇チオされながら名言を言っているレベルです。

そんな本が、社会人には有難い参考書になるらしいんです。

社会ってよっぽど薄っぺらくてしょうもない見せかけなんです。

これまで、バイト・派遣を通して正社員の方、一般的な社会人なる方と関わる機会は多くありました。

そこで見せられる社会人方の、前向きな言葉や、笑顔は、どうにも他人思いな気遣いとは、異なる性質と実感しました。

経験談としてあげれば、横文字言葉を非常に好み、例えば、軽くこじゃれたつもりで笑顔と言葉を振りまき、その後に「アイスブレイクは以上で」、という締めとともにスンっと業務に励む光景には、内心穏やかにはいられませんでした。なぜなら、その場を和やかにするという意味として、アイスブレイクを僕は捉えていましたが、上司が気の利いた談笑をしているつもりなのだから、部下が笑みをこぼさないわけにはいかないだろうというような、暗黙のルールめいた流れを勘付いたからです。何しろ上司は、どんな雑談も、方言と自分の笑いを足せば周りは面白がるだろう、と陳腐で浅はかな策建てをしている、と考えざるを得ないほどに、つまらないからです。義務教育を修了し、ある程度の人間関係を積み重ねた人として、その程度のお笑いかぶれで声をあげて笑う一連には、もちろん、違和感しかありませんでした。せめて、笑いどころは、寒いことを生産しておきながら「アイスブレイクは以上で」と締めたことくらいだろうに、と、強く内心突っ込みました。

他人を思い良心のもとでする気遣いと違い、社会では、自己防衛のための気遣いをしている社会人ばかりを見ます。後者は、踏み込む隙間を見せないため、仮面の笑顔と建前の言葉だけで、真実は何一つありません。対する機会、濃くて深い沼や霧に見られるような、奥の見えない恐怖感がありましたが、その底知れぬと感知する正体は、社会が洗脳し型にはめた、本質がないモノのだと痛感しました。

働くこと、社会に出る術は、こうした犠牲があります。

しかし、働く意味や意義を参考書で調べると、人・世界・未来のためだとか、歯切れのいい、大義名分ばかり出てきます。

これも一つの洗脳であり、自己を保つ方法であるとも思います。金持ちの息子や成金、華やかな著名人と、四六時中ストレスに充てられ働いている安月給の自分を比較した時、僻み・妬み・自己嫌悪で頭がおかしくなります。だから、大義名分を言い聞かすしかないのです。

働くことは、そうして本音を殺し、自分を偽り、だましだましで、生き抜くことなんです。だから、それに耐えられずおかしくなる大人が出てきます、しかし社会はそれを自己責任だと言います。

腐らないために腐ってゆき、生きるために根本にある自分が死んでいくのは、本末転倒であり、空しくも確かな矛盾が生じます。

つまるところ、働くことは一種の自殺である。








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