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アイソレーション(第一話)

   (あらすじ)
    都内で電車の運転士をする弘花。【ある事】がきっかけで現在休職中。自堕落な日々を抜け出す目標を、『美容師のモトキに会う』ためと設定。その後、妻子のいるモトキと関係を持ってしまう。
    罪悪感を引き摺る中、女子高生の凛と対面。彼女が突きつけた【ある事】は、弘花がずっと逃げ続けてきた、乗り越えなければならない過去だった。。。

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    (プロローグ)

    朝十時台。気温三十五度で蒸せかえるプラットホーム。規律良く並んだ労働者に容赦なく刺さる日射し。流れ滴る汗。本当にこれから仕事や勉学に向き合えるのかと思うほど、彼等の表情は一様に暗い。
    そんな様子を、電車の運転席の中からいつも眺めている弘花。快適な車内の窓を開けると外気の熱で、着帽した縁から一瞬で汗が吹き出た。
    二十六歳の弘花は、単独で運転士を勤めて今日で、一年と四日が過ぎた。
   (ジンクスなんて、起きなかったな…)
    そんな事を考える余裕がこの暑さの中であったのは、昨日セミロングをバッサリと、ショートにした爽快感が多少なりともあった。それとやはり、駅員同志では当たり前のように囁かれている、ジンクス。
002______________________
『一年以内に人身にあわなければ、定年まで続けられる』
    弘花が髪を切ったのは、その言葉から解放された記念ともう一つ、これからの仕事に対する決意を現したかったからだ。ハンドタオルでうなじを抑え、次駅に向かったーーーー


『まもなく当駅を電車が通過します。The train will pass through this station soon…』
    ホームドアの前に並ぶ人達。スマホに目を向け、誰とも顔を合わせることはない。例え隣に奇抜な格好をした人間が立っていようが、チラ見で瞬時に判断する。『コイツは無害か?』と。
    小型扇風機で熱を緩和させている女性。体に大量に振り撒かれたであろう甘ったるい香水。その匂いは密集したここでは不釣り合いだ。胸焼けしそうな妊娠後期の女性が列から外れた。それに気づく事もなく、発生源の女性は小型扇風機を別角度にして浴び続けた。
    その列からズレた、ホームドアとドアの間に立つ青年。白のタンクトップにハーフパンツの彼もまた、スマホを凝視している。

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    二度目の通過アナウンスが流れ、後ろに顔を少し向けた青年。ドア前ではないので誰も並んではいない。何を見ているのか、筋肉質な彼の肌から大量の汗が、点字ブロックの上に零れ落ちる。正面に向き直し大きく息を吐いて、しゃがんだ。靴紐を結んでいるように周りからは見えた。何故か目蓋を強く閉じ、全身に力を入れているようだ。
    青年の右耳に、快速電車の走行音が近づく。
    遅れて左耳に怒号が飛び込む。
「俺の目の前を空けろおぉ!!」
    さすがに周りの人達も、スマホからその声に顔を向けた。
    叫んだ男は四十代くらい。半袖のYシャツにスラックス。いかにもなサラリーマンスタイルだが、裸足。
    地面の熱で足裏の皮膚は爛れている。見開いた眼光と、振り上げた包丁。そのただならぬ様相に、
 「キャー!」
    小型扇風機を落としてしまった女性。周りの人達も慌てて男の視界から外れる。
    しゃがみ込む青年の左斜め後方にスペースが出来た。男は青年に向かって走ったーーーー

    ドスッ「ぐふぁ!」
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    ーーーー「えっ?」
    硝子一枚隔てた弘花の目の前に、裸足の男が背面飛びで電車に飛び込んだ。その姿が目に焼き付いた弘花は、走馬灯のように過去の映像が無数に飛び込んできた。
    その記憶の中で男は、確かに生きていた。
    後で知ることになる。男は弘花の、高校の恩師だったとーーーーーー









005______________________


    ーーーー四ヶ月後

    短い秋が終わろうとしている。年々、先走る街の装いに、今この瞬間誰かが『ハッピークリスマス!』と叫んでも違和感のない、十一月下旬。
    日の陰りも早くなり、至る所で店頭の明かりが灯る。ついこの間までのハロウィン一色だったことなど忘れたかのように、街も人もリセットされている。

    そんな煌びやかな駅前から少し離れた場所に、五階建て1LDKのマンションがある。弘花はそこに住んでいる。十八時を過ぎ、各部屋の明かりが点々と灯りはじめた。弘花の部屋は暗いままだった。
    今日、弘花は二十七歳になったーーーー
    今朝、お祝いLINEが友人から二件と、定型文のメールが美容室とスポーツジムからきていた。家族からは、ない。
    今回に限ったことではなく、唯一の家族である田舎の母からは、夕方になっても何もない。当たり前だ。年に数回、致し方ない用でお互い連絡を取るだけの、娘と母の関係性。
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    以前、同僚から『それってかなり疎遠だよ。冷たくない?』と指摘されたことがある。弘花は分かっている。一般的な家族関係くらい。『うちの事情も知らないくせに』その時は場に合わせて、適当な言葉を並べ、誤魔化した。

    八畳のリビングダイニング。ソファーで丸まっていた弘花は、寒さで仕方なく起き上がり、ハロゲンヒーターのスイッチを入れた。次いでに部屋のスイッチを押した。
    朱色のローテーブルの上が隙間なく、カップ麺の容器やコンビニ弁当の容器、ビールの空き缶などで埋め尽くされていた。
    そのテーブルの周辺には、洗ってあるのか定かではない洋服や下着が、足場を失くさせていた。が、気にせずそれらを踏みつけ、弘花はキッチンに向かった。
    明らかにやさぐれた環境だが、しっかり煙草は換気扇の前で吸う弘花。キッチンは全く使われてなく、入居前のように綺麗だ。電子煙草の充電場所は、冷蔵庫上のコンセントが定位置。
    プラグを外し、加熱、吸引。ふぅー・・・ 
『このルーティンを何百、何千回してきたんだろう』そんなことを煙を吐きながら、ボーッと考えていた。
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    吸い終えプラグに戻し、IHコンロ上の鍋を開け、中から処方箋の袋を出した。
『睡眠導入剤』と『精神安定剤』が当たり前のように、堂々とそこにある。子供の頃から『大事なモノはキッチン』という習慣がそうさせていた。
    冷蔵庫の魚肉ソーセージを一噛りし、長い夜に備えて『精神安定剤』をビールで流し込んだ。
    弘花は"あの事故"以来、休職しているーーーー今は月に二回、メンタルクリニックに通院中の身だ。
「はぁー、復帰なんて…まだまだムリだよ、ンッンンッー」
    今日はじめて声を出したせいか、煙草の吸い過ぎなのか、働いていた時の透き通った声質には程遠い。それが余計に弘花を憂鬱にさせた。
「そんなすぐ、薬効かないよね…はぁー」
    一旦、憂鬱の悪循環に陥ると、数時間は続く。
    休職前に上司が言った「半年でも一年でもいいから、ゆっくり治しなさい」その言葉を温かく思い返せていたのは、休みに入って一ヶ月くらいだっただろうか。最近では毎日、働いていた頃の自分と今の自分を比べては、無闇に責め立てている。後二ヶ月で終わる半年間の休職期間。どう計算しても、完全復帰など到底出来ないことは、十分感じていたーーーー
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    二十三時を過ぎ、ようやく気持ちが安定してきた。身体は深夜帯まで働いた時のように重く、ダルい。
    今日はまだ、さっきの魚肉ソーセージを一噛りしかしていない。何かまともなもので食欲を満たしたい。煙草も後、数本しかない。(しょうがないか…)
    ゆら~っと、亡霊のようにソファーから起き上がり、適当な服を散らばった中から探したーーーー

    弘花はマンションから駅に向かう。深夜十二時まで営業しているスーパーがある。二十一時からお惣菜は30%オフになり、ラスト一時間から半額になる。それが目当てという訳ではなかったが、連日のコンビニ飯にうんざりしていたので、バリエーションを増やしたいと思っていた。
    クリスマス仕様の商店街を歩く。負の感情が沸き起こりそうになり、歩幅を大きくした。

    閉店二十分前に来店。もうほとんど惣菜は無くなっていた。残念そうな顔つきの弘花の真横に、萌え系キャラがプリントされたTシャツの男がグワッと現れ、
「あ、あの~お姉さん…もしよかったら、ど、どれかお譲り、し、しますけど?」
「はっ?」
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    買い物かごいっぱいの惣菜。全て半額シールが貼ってあり、全て揚げ物だった。惣菜を弘花に見せる男。一瞬、弘花はたじろぎつつも、考えた 。
   (何で私に声掛けた?知り合い?じゃないじゃないし!誰?年は…二十代後半から、三十代くらい?ってか、風貌キモすぎでしょ!)
    白髪交じりのボサボサの黒髪が、店内の照明でゴキブリの背ようにテカっている。肥満体型で、無精髭。清潔感の無さが別次元の人種に思わせた。
 「あ、あの~どうしますぅ~?」
    粘っこい声色で再度話し掛けてきたので、
「結構です」
    弘花は、食べたくもない半額のおはぎを手に取り、足早にその場を離れたーーーー

    ーーーー「あ、以外とおいしいかも」
    ローテーブルにおはぎを置けるだけのスペースを確保して、二ヶ入りパック二つをペロッと平らげた。半額じゃなくてもまた買いに行こうと思った。


    翌朝九時に目が覚めた弘花。めずらしく、調子は悪くない気がする。(…なんかいい感じ)
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    昨夜のおはぎが幸福感をもたらしてくれたおかげで、睡眠導入剤を服用せずに入眠できていた。"悪い夢"も見ていない。それが調子の良さの一番の理由だと思った。
    久しぶりに洗面台の鏡で自分を見た。笑った。
「これじゃー、同類だと思うよね」
    スーパーに出掛けたままの格好で朝を迎えた弘花。髪は肩付近まで伸びパサついていて、薄茶色にしていた髪色は大分黒くなっていた。緑のパーカーと白のスエットを脱いで浴室に入った。

    シャワーの後、溜まりにたまった洗濯物を回した。その間、リビングの掃除をはじめる。
「はりきるな~、ゆっくり~ゆっくり~」
    自分に言い聞かせながら、完璧を求めず、のんびりと片付けをこなした。

    一回目の洗濯物をベランダに干しに出る。午前の外の空気を吸うのは久しぶりで、清々しかった。
「あっ、これか~」
    緑のパーカーを干しながら、バックプリントを見て納得した。数年前に販売していた、電車と美少女キャラのコラボパーカー。
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    以前、在庫処分時に一着貰って帰っていた。部屋着としては五軍扱いのそれを昨晩着ていた弘花に、あの男はシンパシーを感じたのだろうか。いや、そうであってほしい。
『ああいった類いの人種と私は違う!』というプライドが、弘花の中に居座っていた。それを理解した上で、『私はキモくない!むしろイケてたよね!』
    過去の栄光を呼び戻し、心の回復の原動力にしようと思った。洗濯物を干す手を早めたーーーー

    休職中はじめて体重計に乗った。七キロも増えていたが、少しだけ前向きな気持ちだった。それは過去に、三ヶ月で十二キロ太ってしまったことがあるからだ。四ヶ月で七キロ増は、取り返せる範囲内だ。
    人から見れば、長身の弘花は太っているとは分かりづらい。この時期、コートを羽織ってしまえば尚更だが、出先の室内でずっと着てるわけにもいかない。男性の前で裸体を曝したのは遠い昔。あの頃のように恥じらいつつも、どこか自信のあった、そんな身体と心に戻りたい。
  (まだ行けない、会えない…よし、やろう!)
『痩せて美容室に行く!』
    今日、ウォーキングからはじめてみたーーーー
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    初日は僅か数キロで息切れと筋肉痛に。想定外の体力の無さに落胆したが、薬に頼らずその夜は泥のように眠ることができた。
    ウォーキング開始四日目。初日からの疲労を無視して、駅と反対方向に歩いた。人通りが少なく安心する。サウナスーツを着て呼吸を荒げ、いかにも『クリスマスに向けてダイエットしてます私!』風に思われなくてすむ。
    苦しくなるとつい、誰かの、何かのせいにしてしまう弘花。昔からそうだったと自覚はあるので言い聞かせる。『だらしない身体にしたのは自己責任』
    以前だとその言葉で深い嫌悪感に陥っていた。そのパターンのはずが、今朝読み返してみた自己啓発本『どんな言葉もポジティブ変換2』のおかげで、何とか踏ん張れている気がする。
  "どんな事でもマイナスがあるならプラスもある"蛍光ペンで記していたその言葉を、弘花は現状に置き換えてみる。"自分でだらしなく出来たんだから、きっと、元にだって戻せる"
    その思考を軸に出来たかいもあって、一週間でかなり遠くまで距離をだせるようになっていた。

    十日目、軽いジョギングに切り換えたーーーー
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「佐竹さん。この前の検査すごく良かったよ。運動続いているみたいだね」
「はい。小雨くらいなら毎日走ってます」
    クリニックの男性担当医、瀧澤に誉められ明るく弘花は返した。
「ほんとに良かったです佐竹さん。ここに通う患者さんのほとんどが、中々はじめられないんだよね。はじめても続けることが難しかったり」
    運動をはじめて三週間。体重はマイナス五キロになっていた。それに平行して、精神状態もかなり安定してきている。(そろそろ、いいよね)
    クリニックを出てすぐ、美容室の予約をネットから入れたーーーー

    翌日、弘花は自転車で馴染みの美容室に向かった。電車なら二十分で行けるのだが "あの夏"以来、弘花は一度も電車に乗っていないーーーー
「今なら大丈夫」その自信はあったが万が一、"フラッシュバックしてしまったら"という不安がある。数ヶ月前に比べて、その不安はかなり薄まってきている自覚もある。
    けれど今日は"特別な日"だ。過信せず、人力を選んだーーーー
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「久しぶりーヒロカちゃん!自転車で来たんだ」
「はぁ、はぁ、お久しぶりですモトキさん」
    十六時予約に間に合わせるため、ラスト十分スパートを掛けた。額の汗を恥ずかしそうに隠した。
「これ使って」
    モトキはスッとウエットティッシュを差し出した。
「あ、ありがとう、ございます」
    自然に弘花のバックとコートを受け取り、ロッカーにしまってくれた。
「あれ~?なんかぐっと綺麗になってない弘花ちゃん?より磨きがかかった感じだね」
「え、そうですか?ジョギングしてるからかも」
    照れ笑いをした弘花。(…気付いてくれると思った)

「前回と同じくらいの長さでお願いします」 
「じゃあ、フェイスラインで微調整していくね」
    この美容室は二年前から通っている。店長のモトキは現在四十四歳。見た目よりも十歳は若く見える。少しウェーブの掛かった黒髪を後ろに流し、口周りの髭は綺麗にカットしてある。
    二十代の従業員の女性、アコとサヤカ。彼女達はモトキと背中合わせに、他のお客さんと談笑しながらカットしていた。
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   (あ…この感じ、久しぶりだな)
    弘花の髪に優しく触れる、モトキの繊細な指使い。ベテランの美容師なのだから当然、上手い。会話も気遣いを感じる内容で、この場では弘花のこれまでを詮索してこない。本当に大人な男性だ。最初にこの店に来た時から、弘花はモトキに癒しを感じていた。
    昨日、ネット予約した五分後にモトキからLINEが届いた。この四ヶ月、ほとんどの人と連絡を絶っていた。もちろん彼もその一人だ。
『心配してたよ弘花ちゃん。なにかあった?俺で良かったら相談に乗らせてよ。大丈夫なら明日夜、ゴハンどうかな?』
    この内容を受け、すぐ返信した弘花。

    十八時過ぎ。モトキは待ち合わせの美容室近くのカフェに、息を切らして走ってきた。
「ヒロカちゃん!ゴメン遅れちゃって!」
「走って来なくても大丈夫なのに」
「だって早くヒロカちゃんに会いたかったから」
    少年のような笑顔のモトキーーーーそんな所もまた、好きだ。
「ハハッ、さっきまで会ってたのに。おかしい」

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    十九時。美容室の最後の客を見送り、店内清掃をする二人。
「ウケるよね店長。ダッシュで出ていってさ」
    サヤカは鏡を吹きながら、そこに映る掃き掃除中のアコに話しかけた。
「家族との用事って言ってたけど、あの佐竹って女に会ってるよ」
「え?なんで分かるのアコちゃん!」
    振り返ったサヤカ。
「さっき裏口行ったら、あの女の自転車置いてたよ。ま、そういうことでしょ。サヤカもモトキさんには気をつけなよ」
「え、あ、うん」


「そっか~、それは大変だったね。だから謝らないでよヒロカちゃん」
    個室居酒屋で、まだビールの半分も減っていない弘花は話した。モトキに聞いて欲しかった。彼と同年代くらいの主治医瀧澤も、たくさん話は聞いてくれるが、それはあくまで仕事。弘花とモトキも客と美容師の関係。でも今は違うーーーー彼を独占している喜び。嬉しくなり、グラスの残りを飲み干した。
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    化粧室でメイクを直す弘花。ダイエット期間中で酒を絶っていたせいか、ビール四杯で酔いが回る。モトキの前で泥酔だけは避けたい。相手は大人の男性。きっと優しく介抱してくれるだろう。でも、そこに甘えてしまったら、きっとモトキは離れていくだろう。「だらしないただのメンヘラ」だと思われる。そしたらまた、無様な自分に成り下がってしまう。
   (私も、もう二十七なんだし…大人になろう)

「モトキさんとこうしてゴハン食べるの、三回目ですね。このお店もホント美味しいです」
    来店して一時間半。ようやく自分語りを改めた。
「そう、良かった。この店人気でさ、二時間制なんだよ。だからこの後、知り合いのバーで、どう?」


    翌朝七時。ホテルの一室で目覚めた弘花。朝日がちょうど顔に掛かり、目を細める。
    軽い二日酔いと腰と内腿の筋肉痛が、昨晩の記憶を思い出させる。確か、バーに居たのはほんの一時間程度で、割りと早い話の展開でホテルに誘われた。その時の思考はハッキリしていた。断るのが当然だ。理由は簡単だ。
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    それはモトキが、妻子持ちだからだーーーー出会った頃から知っていた。モトキには四つ下の妻と、十二歳と九歳の息子がいる。
    今までも食事だけで、モトキの家庭を壊してやろう奪ってやろう、なんて微塵も思ってなかった。はずなのにーーーー越えてしまえば一線など、ぼやけたグラデーションのように、明確な線などないような、そんな気がする。誰にでも起こり得るものだとーーーー

    ベッドから起き上がった全裸の弘花は、冷蔵庫の水をラッパ飲みした。ソファーに座るとテーブルの上の置き手紙が目に入った。
『昨夜はありがとう弘花ちゃん。とっても綺麗な寝顔だから、起こさず行きます。車代に使ってね』
    一万円が灰皿に咬ませて置かれていた。モトキが置いていった紙煙草に火を着けた。確か家族には禁煙中だと言っていた気がする。
    ごほっ、ごほっ、ごほっ。
    数年ぶりの紙煙草は弘花の喉をキリキリさせ、同時に胸の置くの方もキリキリとさせた。
  (あっ、これって、そうか。虚しいんだ……)
    弘花は一万円札を眺めながら、そう思ったーーーー

019______________________
    弘花はホテルからタクシーで美容室まで行った。モトキ達の出勤時間の九時が近付いていたので、慌てて裏口の自転車を出した。
    ここからまた一時間も掛けて帰らなければいけない。行きと違い、気温もテンションも低い。(あー!手袋してくればよかった)
    家までの帰り道、冷えた身体でモトキのことを思い返した。(あんなに激しく抱き合ったのは…いつぶりだろう)微振動するサドルに股間が疼くのを感じ、少し位置をずらした。
    結局のところ、弘花は心に空いた穴を埋めてほしくて、モトキは穴に入れたかった。ゲスい答えしか出せない自分に苛立つ弘花は、スピードを上げた。
    折角暖まってきた身体が、長い信号待ちで冷えていく。(やっぱ私って自分勝手で、傲慢だ!)今度は苛立ちを抑え、冷静にモトキ側のことを考えてみた。
    美容室の会話は百歩譲って、客と店員だからいいとして、この三回の食事はどうだったか。モトキの話を少しでも聞こうと、聞きたいと思っただろうか?出会って二年、履歴書に書かれてるようなレベルの事しか知らない弘花。それに改めて気づいた。
  (だから虚しいなんて、おこがましいよね。もっと、もっとちゃんと、人を知りたい)
020______________________
「帰ったら、お礼のLINEしよう」
    今度は自分から誘おう。モトキの話を聞きたい。彼が体目的だったとしても、それでも構わない。ただ、今の我が儘な自分を変えたかったーーーー

    マンション内のセキュリティドアの真横。奥まったスペースのポストを一つひとつ見ている女子高生。       部屋鍵を射し込もうとする弘花がそれに気づいた。紺のブレザーに赤と黒のチェックのスカート。白のマフラーと黒のハイソックスだけでは、あまりにも寒いのでは?と思った。
「あ、こんにちわ」
    弘花に気づいた女子高生が、挨拶しながら近寄ってきた。
「あ、どうも」
    弘花は会釈して、セキュリティドアの中に入った。
「あー!!」
    叫ぶ女子高生。弘花の背中で閉まり掛かけていたドアに、ガッと指をねじ込んできた。驚き振り返る。
「佐竹さん?佐竹弘花さんですよね?!」
    突然過ぎて言葉が声に追いつかない。
  (知り合い?…いないいないJKなんて。このマンションの子?じゃないよね…)
021______________________
    強引に入ってきた女子高生は弘花の表情を察し、
「急にゴメンなさい。その節はパ、父がご迷惑おかけしました。豆山二郎の娘、凛です」

    弘花は走馬灯のように、過去の映像が無数に飛び込んできた。
    記憶の中の凛はまだ幼く、でも確かに覚えている。

    高校の恩師、今は亡き、豆山二郎の娘、凛だったーーーーーー

 第一話終

https://note.com/famous_bear996/n/nc3d93f2b64bb

https://note.com/famous_bear996/n/n1fdd8f1aa44e

https://note.com/famous_bear996/n/nd7d2cddd9e8c


















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