『重力ピエロ』 伊坂幸太郎

生きていることこそが幸せだと教わってきたし、そう思っている。したがって、死とは不幸なものだということが導かれるように思われる。本当にそうだろうかということを教えてもらったような気がした。たしかに、大切な人が亡くなったら悲しいし、もうこの先生きていかれないような絶望感に見舞われることであろう。そこで私が以前よりすがっていたのは宗教であった。故人は何らかの形でこの世もしくはあの世のどこかに存在していて、必ずまたどこかで会うことができるというはっきりと言ってしまえば幻想を信じることでしか、このどうしようもない悲しみを紛らわすことができないと思っていた。しかし、信じたくなかったとしても科学的、遺伝子学的に考えればその人が亡くなったときにはもうすでに「その人」としての機能は完全に失われ、もう二度とは会うことはかなわない。この事実を前にしても私たちは前に進まなければならない。希望がないように思われるが、最初に述べたようにこのお話はそういった現実の中でも死を最悪の出来事としてとらえることに根本からの疑問を提示してくれたことを記録しておきたい。過去というのは記憶に過ぎない。この物語に出てくる兄の泉水と弟の春は早くに亡くなった母親との記憶、癌を患っている父親との記憶をずっと心の中にしまいこみ、折に触れてそれを取り出す。母親との記憶、父親との記憶がずっと生き続けている。所詮すべては記憶なのだということだ。だから「ありがとう」の気持ちをもって思い出に蓋をすることを人は死と呼んでいるのだろうなと思うことができた。

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