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しあわせな、ホットケーキの味

今日、急に思い立ちホットケーキを焼いた。
普段めったに食べないのだが、消費したい牛乳があったのと、ずいぶん前に買い置きしていたホットケーキミックスの存在を思い出したからだ。
そもそも私はホットケーキミックスを常備してはいない。
ある日スーパーで見かけた「しろくまちゃんのほっとけーき」のデザイン袋に惹かれ、使う習慣もないのに衝動的に買ったのだった。
私のような人は多いかもしれない。あの絵本はなんとも魅力的だ。
しかし、なぜ今頃。
ホットケーキミックスを売るのであれば、あの絵本のデザインにしようと真っ先に思い浮かんでもよさそうなものを、ホットケーキミックスなるものがこの世に長らく存在・定着してからの今、このタイミング。その経緯について森永さんにぜひ問うてみたい。
ホットケーキといえばしろくまちゃん。しろくまちゃんといえばほっとけーき。今までホットケーキミックスの袋にしろくまちゃんが使用されてこなかったのはなぜなのか、むしろ疑問である。

まあそれはさておき、
今でこそ常備はしないが、子どもたちが小さい頃は我が家もよくホットケーキを焼いた。作るときは、最初から最後まで絵本をなぞらえ、二人の息子とそれは楽しく作ったものだ。

「だれかぼうるをおさえてて~!」
「ぽたあん」「どろどろ」…
「やけたかな」「まあだまだ」
「できたできた、ほかほかのほっとけーき!」

好奇心旺盛でいつもキラキラしている長男は顔から目も口もこぼれ落ちそうなほど一杯の笑顔で。
感情の起伏がゆるやかで動じないタイプの次男は真剣な表情、加えて私ゆずりの凹凸のない顔のため、楽しいのかそうでないのかよくわからないまさに絵本のこぐまちゃんとしろくまちゃんのような顔で。
台所をよごしながらみんなで楽しんだホットケーキ作りは大切な思い出の一コマだ。

数年ぶりに、ひとりで焼いたホットケーキ。
甘い匂いが広がる。
ひっくり返すと絵本と同じようにムラなく茶色く、まあるくできた。
できあがったホットケーキに、四角く切ったバターとはちみつをかける。ナイフとフォークで程よいサイズに切り口に運ぶ。
・・・しあわせだ。なんという幸福感。
ホットケーキとは不思議な食べ物だ。朝食で食べるパン、クリスマスに食べた白いデコレーションケーキのスポンジ、どれにも似ているようでどれとも違う、唯一無二のふわふわ感と甘さ。
とはいえ味だけでみれば、はやりのカフェや、高級ホテルで食べるようなパンケーキと比べれば、所詮素人が家で焼いたごく普通のホットケーキ。素晴らしく美味しいというほどでもない。しかし、そのチープさがまた良いのだ。家でフライパンで焼いて、ほかほかのうちにバターとはちみつをかけて食べる定番のあの味は、ほかでは味わえない気がする。
そして「美味しい」というだけでなく、もれなくついてくる「幸福感」。
ホットケーキ以外の食べ物で、このような感情になるものを思いつかない。
もちろん、例えば母の作るなんてことない料理や旅先で出会った忘れられない料理など、懐かしさや家族友人との思い出が加味され特別美味しく感じる食べ物はそれぞれにあるだろう。しかしホットケーキは問答無用で「しあわせ」を連れてくる。とくに求めてもいないのに突如訪れる、幸福感。
実際今日の私は、冒頭書いたような、息子たちとのやりとりを思い出し特別な感情を持ちながら食べたわけでもなく、特に疲れがたまっていたわけでもなく、いま現在不幸を感じていたわけでもなく、ただその日のおやつとして淡々と食べただけなのに。
甘味・塩味・苦味などのように、ホットケーキには「しあわせ味」というものが含まれているようだ。

しかし、考えてみれば、こんなにも簡単にしあわせ気分が味わえるなら、ホットケーキを食べるのはもっとなにか辛いことがあった日に取っておけばよかった。とりたてて不運な出来事もない私に、それでも半ば強制的に訪れた幸福。しあわせの無駄遣いをしてしまったような気になる。
だからこれを読んでいる人に伝えたい。声を大にして伝えたい。
嫌なことがあった日や、悲しくてつらい日に
ホットケーキを焼いてみてほしい。
ボウルを出して、卵を割って、牛乳入れて、ホットケーキミックスを混ぜて
フライパンをあたためて、片面三分、ひっくり返して二分。
できればバターとはちみつも用意して。
めんどくさいけど、だまされたと思って作ってみてほしい。
きっと、しあわせな気持ちになれるから。



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