最後1年間の顧問生活〜県総体ベスト4までの道のり〜
教員生活のラストイヤーに選んだソフトテニス部。1年間の活動であらためて気づいたことなどを振り返ってみました。ノンフィクションです。
2022年春 10年ぶりのテニスコート
10年ぶりにソフトテニス部の顧問になりました。以前の勤務校に再び着任してから3年間はバスケットボール部顧問でした。情熱あふれる体育の専門教員のおまけ程度の存在でしたが、全国、せめて中国大会に行くまではこの先生・部員と一緒にやりたい、と思っていました。体育館からはすぐ横にあるテニスコートが見えるので、練習の合間には時折テニスコートを眺めて懐かしんでいました。年度末の教員異動のタイミングで、なんか引き寄せられる感じでソフトテニス部の顧問に移りました。
テニスコートや器具、道具など触れると、前回顧問をしていた頃の思い出(あの時こんなことがあったなー、とか)が一つずつ浮かんできました。不思議と思い出されるものには、必ず当時の部員たちの笑顔も一緒についてきます。汗も涙もたくさんあったのですが、そんな感じです。高校生の笑顔ってそれぐらいインパクトあるんでしょう。
現部員は3年と2年で計7人だったのですが、春になって新たに1年生が8人入ってくれたので、なかなかにぎやかな雰囲気。たくさんの新入部員に、先輩たちも嬉しさと戸惑いが隠せません。
私も年度初めの忙しさが想定以上だったことで、普段はなかなか練習に顔を出すことができず、週末になってようやく練習に顔を出す状況でした。練習メニューもキャプテンにお任せでしたが、目標も曖昧な感じで練習している様子でした。何かが足りない、とは感じるものの、それが何なのか、どうしたらよいのか、悩む日々を過ごしていました。
そんな中でズルズルと2ヶ月が経過し、県総体。個人戦で勝ち上がれず、団体戦ではよもやのストレート負け。オーダーに私と生徒たちでは違いがあったのですが、生徒の出した意見に決めました。敗戦後、涙ぐむ仲間に対してキャプテンが「私たちみんなよくやったよ。」とサラッと声をかけている姿を見て、私の心もすごく痛みました。その「私たち」には顧問である「私」は含まれていないんですよね…。選手の誰もが、一生懸命ボールを追いかけ、打ち返し、笑顔で試合をしてくれる中で、その輪に加わることができませんでした。
「彼女たちはほんとはもっといろんな練習をしたり、勝ちたかったんじゃないだろうか。部員たちに自分は何をしてあげられたんだろうか。」2ヶ月間、ただ見守るだけしかできなかった自分に対して、とても悔しい気持ちが生まれました。
2022年夏 新チーム始動
県総体を終え、3年生が選んだ新キャプテンを中心に新チームとしての活動が始まりました。
新キャプテンは自分が選ばれたことにとても驚いていましたが、後輩からも慕われているので私も納得できる人選でした。思えば、3年生と初めて意見が一致した瞬間だったかもしれません。
新キャプテンは、これまであまりリーダー経験がないようでしたが、普段の練習などでも他の部員が支えてくれることで、だんだんと成長していく様子が見られました。
新チームになって、周辺の学校では部員数が減って活動が思うようにできないところもある中で、県内4番目の部員数(12人)で熱い夏の練習をこなせるのは幸せなことでした。他校からも練習試合に声をかけていただく機会が増え、なんとなく「それっぽい感じ」で練習を重ねることができました。
7月には中国大会が地元開催のため、私は役員として参加しました。春から「団体で中国大会!」を生徒に声かけしていましたが、自分自身でもなかなか実感が湧きませんでした。でも、久しぶりに中国大会の雰囲気を感じることで、心の中で湧いてくるものがありました。
中国大会の様子を部員に話すと、部室の壁に飾ってある、中国大会に団体で出場したときの集合写真パネルの話題が出ました。とっても熱い日で、一緒に行った引率教員が熱中症で倒れたり、交差点で動かなくなった車(まさかのガス欠)を見かけて、押したりしたこともありました。
それにはまずいろいろな経験を生徒にさせてやりたい、と考えました。毎年8月に岡山で行われている研修大会に参加したいと考えて、以前お世話になった岡山県の先生に中国大会で声をかけたのですが、コロナ禍のために県外からは参加することが叶いませんでした。その代わり、新人戦前に練習試合をお願いすることができました。
このお願いした学校には、以前も総体前と新人戦前に必ず練習試合をお願いしていた学校です。顧問にもそのときの先生が戻って来られており、不思議な縁を感じました。(後述しますが、この高校とは2023年の県総体前にも練習試合をしました)
不思議な縁といえば…、ソフトテニス部OBから「メンバーが結婚するのでテニスコートに集合して撮影させてください」と連絡がありました。(私がいない時ですが)彼女たちはちょうど前回中国大会に団体出場した際のメンバー。夏休み前の日曜日に同級生メンバーが集まって撮影し、無茶振りでしたが部員に一声かけてくれました。高校の部活動ってこの後もずっと続く関係になるんですねぇ。こういうご縁が何か不思議な力を与えてくれたかもしれません。
2022年秋 新人戦に向けて
大会シーズンになり、まず最初の県選手権大会。私はもう一つ顧問についていた別の部活動の中国大会が重なったため、初日は他の顧問の先生にお願いしました。ベスト16に1年生が2ペア入るなど、大活躍してくれました。
その結果、新人戦で団体第4シードに入ることが決まりました。まだこのメンバーで団体戦を戦ったことがないし、うれしさと戸惑いがありました。
コロナ禍が続いたために宿泊を伴う遠征も経験できず、宿泊を伴う新人戦にどう向かっていくか、試合以外でも不安だらけでした。
そんな中でしたが、夏にお願いしていた岡山県の高校との練習試合を新人戦前に組んでいただけました。日帰りで初の県外遠征、学校のコートとは思えないほどにきちんと手入れされているテニスコート、いろいろな経験ができた一日でした。練習試合はほぼやられっぱなしでしたが、気持ちも高まり、自信をもっていざ新人戦に!
新人戦では、まず個人戦でベスト16、ベスト32に1ペアずつ入ることができました。そして迎えた団体戦。団体戦での戦い方もよく分からないまま、なんとか初戦に勝つことができ、ベスト8。そして次は、同じ市内の高校との準々決勝。生徒もよく知っているチーム。1ペアは県内でもトップクラスの力があるけれど、もう1ペアは高校から始めた選手を加えたチーム。相手は2ペアしかいないため圧倒的優位な状況でしたが、やってみないと何が起きるか分かりません。2面展開で相手大将に当たったのがこちらの2年生ペア。ファイナルゲームで惜しくも競り負けてしまいましたが、覚醒した感がある試合展開を見せてくれました。
この後のリーグ戦では0勝3敗で力負けするものの、ベスト4に入ったことで中国大会の出場権を獲得しました!
2022年冬 団体で中国大会へ
新人戦で負けた学校であれば、シーズン終了で冬季トレーニングになります。が、個人でベスト32に入ったペアは強化練習会に呼ばれたり、12月に大会があったりするので、チーム内の動かし方も難しくなります。私たちは1月の中国大会に団体で出場することになったため、体育館練習を増やしたり、年末年始に練習会に呼ばれたりして、なかなか忙しい毎日でした。ただ、中国大会に向けて全員で練習できたことはよかったと思います。
市内にはソフトテニスができる体育館が多くあるのですが、予約と移動がなかなか大変でした。平日は学校の体育館で夜間練習をすることもあったのですが、寒い中ではなかなか厳しいものがあります。
年末年始には近くの中学校と合同練習をすることもでき、一つチャレンジしたかったことができました。こういう活動っていいな、と改めて感じました。
新型コロナの勢いが再び広まり、家族に感染者が出たことから大会に出られなかった部員(中心メンバー)がいました。自分は元気なのに大会に出られない悔しさは相当なものだったと思います。また、私も罹患してしまい、中国大会に引率することができませんでした。当分の期間、周囲から避けられる日が続いたことから、人権意識に対して疑問を感じることさえありました。自ら体験して初めて気づいたことでした。
中国大会では代わって引率してくれた先生と副顧問の先生のおかげで、無事に大会を終えました。初めての県外での宿泊で、何かとトラブルもあったようですが、ここでの経験は大きかったと思います。副顧問の先生にも初の団体監督がまさかの中国大会、ということで心労が絶えなかったと思いますが、おかげさまで私は安心して休むことができました。
2023年春 卒業と新たなシーズンへ
3月になり、自分の中では辞職することが決まっていましたが、部員へは直前に伝えることにしました。
(私も含めて)中国大会へ行けなかった部員がいたこともあり、山口県宇部市で開かれている大会に参加することにしました。家庭の事情や体調不良で直前になって来れなかった部員もいたため、Bチームに欠員が出て他校から入ってもらいました。入ってくれたメンバーはとても礼儀正しく、一生懸命に戦ってくれました。自分たちのチームを離れて、知らない人たちと一緒のチームで2日間過ごすのは大変だったと思います。彼女たちから得たものは決して小さくはありません。
4月になり、異動してこられた新顧問への引き継ぎを行いました。信頼できる人なので、全く不安はありませんでした。
そして迎えた中国予選。団体戦では第4シードでスタート。
新顧問もチーム状況がまだ把握できていないため、オーダーについて相談がありました。実は私の中では、「この大会で出せるものは出しておこう。それが不安になるのか、自信になるのか分からないけど、出たものをありのまま受け止めよう。本当の勝負は県総体。」と決めていました。その理由は前年度の県総体にあります。力は上に見えるのにズルズルとミスを連発して自信をなくしていって敗退する、そのシーンがずっと頭の中に残っていました。最後の大会でそんな場面は見たくないし、見せたくないはずです。
結果は、不安と動揺の見られる中で力を発揮できず、初戦敗退。しかも3年生4人が同じように全く力を出せずに終わりました。考えられないぐらいショッキングな状況で、自暴自棄になってもおかしくないものでしたが、彼女たちが自分で切り拓いてくれることを期待しました。部員だけでなく顧問や保護者の誰もが不安だったと思います。
2023年県総体
ゴールデンウィーク、中間試験を挟んで、どの高校も県総体に向けてムードが高まっていきます。
3月にお願いしていた岡山県の高校と再び練習試合を組むことができました。私が離れたこともあって移動などで顧問の先生方にご苦労をおかけすることになりましたが、なんとか組んでいただいて感謝しています。
県内他校から同日に練習試合を申し込まれていたのですが、運良く浜山公園で別日に練習試合を組むことができたようで、岡山遠征が成立できました。このへんも何か運を感じずにはいられません。
秋に対戦した際よりも良い内容で、部員は上り調子で県総体に向かうことができたようです。この日の終盤にペアを変えて試合をしたそうですが、その際のプレーが何かヒントになったのかもしれません。
県総体当日
大雨が予想されたこともあって大会日程が変更され、団体戦は全て3日目になりました。私は次男の大会会場、バスケットボール準決勝会場と続けて見に行く予定にしていたので、団体戦が3日目になったのはラッキーでした。保護者の方にとっても、土曜日だけで団体戦が終わるのはよかったかもしれません。当日はたくさんの保護者さんが応援に来られていました。
朝、会場に到着すると対戦校の先生にまずはご挨拶。前回顧問に就いていたときからずっといろいろお世話になった先生。この一年でもいろいろと分からないことを教えてもらったり、助けていただきました。その高校は今回第4シード。くしくもこちらが中国予選で失った第4シード校に初戦から当たる組み合わせ。その先生も「何のために頑張ってきたのか…」と言われていました。私は昨年秋から「この3年生が引退する対戦相手は同じ市内の高校だといいな」と思っていました。両校ともソフトテニスに詳しく熱心に指導をされる顧問の先生が率いておられ、ずっと憧れた存在だったことを伝えると、苦笑いされました。他の高校の先生には「どうして顧問を外れたの?」と尋ねられたのですが、状況をお伝えすると「知らんかった…」と言われ、お礼も言わずに離れた自分を反省しました。尊敬する方にはきちんと事前にお伝えしないといけませんね。大人の常識です。
まず初戦
今回はオーダーとか全く関与していないので、どう出すのかとても楽しみに開始を待ちました。コートで向かい合って対戦を確認すると、どうやら作戦成功した様子の生徒たち。監督と盛り上がる中で第1対戦へ。
こちらはキャプテンと副キャプテンの3年生ペア。しっかりぶち当たるも壁に跳ね返されてゲームを落とす。でも、残念がる様子がなく次(第2対戦)行こう!という雰囲気。こういう空気で試合をしているのは正直全く想像できなかった。
続いて第2対戦、相手は大将、こちらは2年生エースと3年生のペア。なんとここで公式戦初のペア、たぶん誰も予想していない…。相手はここで勝ち切る作戦、こちらはここから巻き返す作戦、お互いの気持ちがぶつかり合う好ゲームに。競り合う展開の中、本来は攻めてくるスタイルの相手がなぜか繋ぐテニスに…。せっかく崩しても打ち込んでこない、いつもと違う。ん?どうしたんだ?と思っている間に、徐々にこちらのペースになってファイナルゲームを見事勝ち切る!
後でこちらの後衛に尋ねてみると「私もそう思っていました」とどうやら気づいていた様子。でもその気づいている中で自分のプレーをやり切ることができたのは立派です!手のひらにマメができていて痛みでこちらも打てなかったのも後で知りましたが…。こういう人はアイシングをしながら試合するようアドバイスしておきました。テーピングをしてプレーするのもいいかも。
そして第3対戦、こちらは絶好調の3年生と2年生のペア。これもペアを替えているのでどうなるのかドキドキ&ワクワク。相手は1年生ペア、まだ十分に練習を積めておらず、こちらとの力の差は歴然。ここまで来ると圧倒的にこちらのペース。押しまくって完勝。
監督と生徒とで前日に話をして考え抜いて決めたペア&試合展開、まさにその通りになったようです。試合に勝った感動を通り越して、なんか凄かったです。
続いて2回戦
激戦を終えて一息つく間もなく、すぐスタート。でも、監督も生徒も落ち着いて臨んでいて、これはもしかしてこのまま行くのでは?という雰囲気に。向かってくる相手にしっかりと試合をして、きちんとストレートで勝ち切る。こういうことができるチームになっているとは。このへんでちょっと感動。
そうこうしている間にお昼を過ぎて、お腹が減ってくる。腹が減っては戦はできぬ、ということで、コンビニに買い出しへ。近くのローソンに歩いてきたけど、なんとリニューアル工事のため閉店中…。でもこういう上手くいかないことがある時こそ、いいことがあると信じているので、迷うことなく少し離れたセブンイレブンまで行くことに。残っている先生から「始まるから早く、走って」と言われるも、運動不足と暑さもあったのであえてゆっくり歩く。不安はなかった…なんでかな。
そして準々決勝
昼食を持って帰ってくると2面展開で始まっていた。中国予選で5位〜8位トーナメントを勝ち上がった実力ある第5シード校。
第1対戦、こちらはキャプテン&副キャプテンのペア。個人戦を含めてここまでなかなか勝てなかったペア。1ゲーム目を落とすも、そこから2人が突然覚醒する。いつもは取れない短いボールへの反応(動き出し)が早く、逆にエースを決める。後衛を揺さぶったり、前衛を抜いたり、やりたい放題モードに。中国大会を決めるときはラッキーガールが出ると思っていたけど、まさかこの人たち?もうなんか、なんだろ、分からんわ。で、あっさり勝つ。ほんとあっさり完勝。
隣の第2対戦は、相手1年生ペアが強い、うまい。対戦前にはここに勝てるだろう、なんて思っていたけど、とんでもない。一進一退の展開が続く中で頑張って食らいつくけど、惜しくも敗れる。ほんと惜しい試合。後で聞いたけど、中学校で県選抜に選ばれていたペアだったらしい。なるほど、納得。
で、やっぱり3番勝負、相手もこちらも後衛の3年生が引っ張るペア同士の決戦。そうか、相手も彼女を残していたのか。あれ、でも前衛がいつもと違う…。プレッシャーからか、相手はどうもいつもと違う感じで攻めが弱い。(これ、初戦と同じ展開では?)それに対して、こちらはいつも通りのテニス。強いて言えば、打たないけどしっかり打ち込むテニス。一年前はどんな態勢でもすぐ打ちにいってアウトorネットでミスしていた人が、いろんなボールを使って揺さぶり、チャンスには前衛を抜く、ほんとに同じ人?という感じ。完全にこちらの流れでポイントを重ね、大きくリードを広げたところで、突然決めにいくプレースタイルに。そうなるとミスが増え、相手が息を吹き返してくる。さぁ、どうなるかな、と思っていたけど、表情もとても落ち着いていてまた元のテニスを普通に始めて一気にマッチポイントへ。そのままゲーム終了!すごい、強い。なんかミラクル感がすごいんですけど。
反省と感謝
4月初めの送別会で「また練習に来てください」と言われながらも、2回ぐらいしか行ってない。ごめんなさい。
でも見ていないときに頑張ったり、苦労したりしていたことは、一つ一つの行動や表情を見たらなんとなく分かるようになりました。なんか親みたいだ。
こうやって記録に残すと、なんかドラマのような感じですが、ほんとは書ききれないようなもっと複雑な事情もあります。けれども、それらを含めて「青春」なんだろうな、と思います。
未熟な人たちと未熟な大人が過ごした1年間がこれでひとまず区切り。冬も夏も中国大会に団体で出るなんて、しかもその総体直前でシード落として、ノーシードから勝ち上がる。10年前に「もうこれ以上の経験は部活動でできないだろうな」と思っていたけど、まさか、です。しかも「この世代では全く勝てないだろうな」と思っていただけに。
ほんと謝ります。みんなごめんなさい。君たちはすごかったよ。
ほんで、ほんとありがとう。
部員のみなさんへ
で、終わりにするといいんだけど、高校生の本分は勉強にあります。
勉強があるから部活動のように上手くいったりいかなかったりすることがあっても、前に進んでいけます。全てを一つのことに向けてしまうのは、決して良くないです。「私にはソフトテニスしかない」ではなく、「私にはソフトテニスもある、資格もある、友達もいる」ぐらいの気持ちで生活を楽しんでくれるといいな。
今の私にも「仕事を一緒にやった立派な先生方もいるし、一緒に戦ったソフトテニス部の勇敢なみんなもいる」というのが自信でもあり、誇りにもなっています。
また10年後にこのテニスコートで会えるといいね。そんとき私はハゲオヤジになってるかもしれんけど笑ってください。
お世話になった他校の先生方へ
初めてソフトテニス部の顧問になった際も10年ぶりに復帰した際も、みなさん優しく受け入れていただき、ありがとうございました。
ソフトテニスは全くの素人から競技運営や指導に関わったのですが、分からないことも丁寧に教えてくださいました。
「初めて関わっていただく先生方が楽しいとか面白いとか興味をもっていただけることが、競技の普及につながるから」と委員長の先生も話されており、他のみなさんもまさにそれを実践されておられました。
強豪校であっても、弱小校からの練習試合の依頼を快く引き受けていただきました。そのことについても
「教員は異動があるので、今は強豪校に勤めていても次は弱小校かもしれない。どこにいてもみんな協力してやっていかないと、先はないからね」
と笑顔で話されていました。
たぶんこのことは一般の方にはなかなか知られていないことだと思います。
教員が指導を行うからこその学校部活動らしくあって、誇りと憧れを感じる出会いがたくさんありました。ほんと素晴らしい先生方ばかりです。
そんな先生方が鍛えてこられたチームに勝利すること、それも目標の一つでした。
おまけの先生方へ
一緒に過ごしてくれた顧問の先生方。
指導者というより、なんかふらっと遊びに来たお姉さんたちのような感じ。練習試合に行った時には、先方からも保護者と間違われるし。
見た目・行動ともに生徒よりも高校生っぽくて、発言・行動ともにチャラい(雰囲気の)先生。でも内心ではとーっても真剣に考えていて、やっぱりちゃんと先生してる。練習試合でも隣の球場で野球の試合があるとソワソワする人。野球のスコアをつけることが好きな人、っていうのに初めて出会いました。その生き生きとした姿にまた私も元気をもらいました。若いのもあるけど、好きなことがある人、エネルギーある人と一緒にいると楽しい。
それから、適当な感じを醸し出しながらもON/OFFきっちり切り替えて、なんでもそつなくこなしてくれる先生。最初の2ヶ月は一緒に草取りばっかりしとったけど、こんなドラマが生まれるとはあの時は思いもせんですな。担任と生徒との関係だった人と一緒に仕事をする縁をいただき、私の教員人生もピークを迎えました。私の個人的意見ですが、パーマじゃなくて、当時の髪型でいてくれたら嬉しかったんですけどね。どうでもいいです。それから、就職先から送ってくれた近況報告、私自身もショックを引きずりずっと心配しいたので嬉しかったです。転勤してもずっと手元に取っていたけど気持ち悪いって言われそうな気がしたので数年前に処分しました。そしたらこうやってまた会うなんて、不思議なご縁。またお便りください。お待ちしています。
二人とも部員からの悩み事なんかも一緒になって考えてくれるし、私の考えにアドバイスをくれたり、いい人たちに恵まれました。なんかいつも楽しそうな人たちと過ごす毎日は、私のエネルギー補給源でしたね。ほんと、こういうの大事。
またシンさんのカレーナンを食べに行きたいね。ナマステ〜。
環境編
前年まで部員数が少なく、コートの手入れがなかなかできなかったこともあって、雑草があちこちに生えていたり、高低差が激しかったり、なかなか傷んでおりました。審判台やネット巻取り器も錆びていたので、少しずつ更新していかないといけんなぁ、と感じました。審判台=>廃棄、ネット巻き取り器=>購入。
本来はテニスコートが4面あるのですが、奥の2面は雑草が生い茂っているので現実的に使えそうなのは手前の2面。まずはここから。真砂土の購入、ローラーがけ、それらをすることで少しずつ改善されました。
購入したもの① 簡易照明
毎年新人戦前には日没で練習時間が短くなることから、ネット通販で購入。お試し程度の気持ちだったけど、案外明るい。LED照明ってすばらしい。ほんとは高い位置に取り付けたかったけど、ちょっと予算不足で断念。
購入したもの② ミストシャワー
夏はとにかく暑くて大変。最近は夏の大会では必ず設置されているミストシャワーをお試しで購入。とっても気持ちいいけど、風向きに影響されるのでそれだけが不満。
購入したもの③ 体育館用支柱
学校の体育館で練習するために簡易ネットを使用していたけど、9人制バレーの穴があるのでそれを利用することを発案。支柱を買ったものの、通常より狭い幅に合うテニスネットが見つからず、バレーネットを代用。全然ダメでした。せっかくなので取り付けられるネットが欲しい。
もらったもの① 融雪剤(炭酸カルシウム)
テニスコートに撒くにがりの代用品として、融雪剤をもらいに行きました。毎年春になると残っているものを回収して処分しているそうで、喜んで渡してもらいました。3月のうちに連絡すると、いい状態のものがもらえそうです。
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