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奇跡はなぜ起きた?「玉造温泉の奇跡」に学ぶまちづくりの要諦3つ

島根県にある温泉地「玉造温泉」(たまつくりおんせん)。この玉造温泉のまちづくりに臨む、角幸治さんのご著書を拝読しました。その名も「玉造温泉の奇跡」。

玉造温泉のまちづくりのことは、角さんのSNS等でよく見聞きしていてなんとなく知っていたけれど、あらためて本で読ませていただいて、自分自身の地域での活動の学びになり、勇気をいただけるエッセンスがたくさん、もうそれはそれはあふれんばかりにぎゅうぎゅう詰め!この記事ではそんな、私が角さんのご著書から感じた玉造温泉に学ぶまちづくりのエッセンスを3つにぎゅぎゅっと凝縮してご紹介させてください。

1. シャープな意図がご縁を引き寄せる

角さんたちの活動の意図は非常にシンプル。
「さびしくなったわが街をなんとかしたい」
これです。

そんなの、まちづくりにかかわる人はだいたいみんなそういう目的でやってるんじゃないの?と思う方もおられるかもしれません。

角さんのこの目的がなぜオリジナルなのか?この言葉をちょっとだけ分解してみると・・・
・「さびしくなった」→玉造温泉には、逆に、さびしくなかった時期があるのです。実際行くと分かりますが老舗の旅館がいくつもあります。しかも1つ1つの宿がかなり大きい。出雲大社+玉造温泉、という組み合わせは島根県に来る旅行者のかつての王道コース。老舗の旅館・ホテル、土産物屋さんがあり、旅行会社経由の大人数の団体のお客様でにぎわっていた時期もあった。でも今はそうじゃない。
・「わが街をなんとかしたい」→角さんのプロフィール欄にはこんな記述があります。

島根県松江市出身。
高校卒業後、5年間で11回の転職とリストラを経て、
拾われるように玉造温泉の老舗旅館に就職。
この会社に骨をうずめようと必死で働き、
5年で予約部長への異例の出世を果たす。

角さんご自身が生まれ育った町。苦しいキャリアを歩んだ後に拾ってもらって、若くして予約部長を担えるところまで育ててくれた旅館。玉造温泉の再生に対峙する角さんの覚悟は並大抵のものではなさそう、ということは察するに余りある。

「さびしくなったわが街をなんとかしたい」

よくあるフレーズのようですが、その背景には、県下随一の観光地として栄えてきた玉造温泉の歴史、角さんだからこその街への感謝と覚悟、があるのではないかと思います。

そしてこのシンプルな意図を持ち続け、角さんは出会う人出会う人にこの意図をもって接し、語ります。

それでももちろん最初からうまくいくわけはなく。

まちづくりのための会社「玉造温泉まちデコ」を設立するも、最初の事業は失敗。新商品のお土産の在庫で角さんのご自宅は埋め尽くされ、会社の資金も底をつきかけている。もう、自分の給与をゼロにするしかない。と覚悟を決めた角さん。

しかしその直後、女性セブンからの取材依頼が舞い込み、そのことをきっかけに角さんの快進撃が始まります。そのあとも、このタイミングでこのご縁が!という出来事の連続。玉造温泉の躍進は止まりません。

これは奇跡というよりも、角さんたちが

「さびしくなったわが街をなんとかしたい」

というシャープな意図と覚悟のもと行ってこられた行動が引き寄せた必然のようにも思えます。

自分なりのシャープな意図を、借り物じゃなく自分のストーリーがこもった言葉で持ち続けることは、いかにパワフルなことかと思い知らされます!

2. 「ないものねだり」ではなく「あるもの磨き」

例えば「願い石・叶い石」のお話。

温泉以外に観光の目的となる目的地をつくるべく角さんは、まず、地元の玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)に、観光客が行きたくなるパワースポットをつくろう!神社にオブジェを作ろう!と思い立ちます。神主さんに事情を話すと

「角さんのおっしゃるそのようなものは、境内にすでにあるように思いまして・・・」

とおっしゃる。そこで角さんはオブジェよりもぐっと重みをもった、神様の歴史が詰まった石に出会います。

でも石があるだけでは観光の目的地にはならない。そこで角さんは、商品開発もできるデザイナーを巻き込んで、神社の参拝の新しいお作法と、お守りのお授けをはじめます。

こうしてうまれた「願い石・叶い石」。この参拝作法を始める前は、玉作湯神社への参拝のお客様は1週間に1人だったところから、多いときで1日に500人、年間10万人にものぼるようになっているそうです。

大切なものは、新しくつくらなくてもきっとすでに街にある。投資をするなら、新しいものを作ることに対してではなく、いまあるものを磨くこと、見せ方を磨くことに対してすべきなのかもしれませんね。

3. 地域の人の想いを生かし、唯一無二の場に仕立てる

例えば、「ホタルバス」のお話。

ホタルバス自体は他の街にもありますね。ホタルの時期だけ、旅館のお客さまをバスなどでホタルの見える場所にお連れする。いくつか聞いたことがあります。でも玉造温泉のホタルバスには、他とは違うこんなオリジナルなストーリーがあります。

・過去にもホタルバスを運行していたが、環境変化により年々ホタルが減り、ホタルバスも自然消滅
・街のホタルを守りたい、それを観光に来たお客様に見ていただきたいと、中心になって活動しているのは70代のおじいちゃん。活動当初、ホタルは5匹くらい。。ホタルを放流してはと提案するも、「地元のホタルを残したい」との想いから、自然にホタルを育てることに心血を注いでおられる
・そのためにホタルのえさとなるカワニナをわざわざ別の川から運んできて川に放流。加えて、暗闇をつくるために近くの学校の体育館にカーテンをかけたり、自販機までカーテンで覆うなど周囲の住民の協力も
・そんな取り組みの結果ホタルは少し増えるも、10匹くらい・・・こんな状況でお客様に喜んでいただけるのか、正直不安・・・でも、活動する人の想いは本物!このストーリーを、角さんはホタルバスの中でバスガイドとしてお客様に伝えることに

結果、このストーリーと、あたたかいおもてなしに感動したお客様の声でホタルバスは人気コンテンツになり、4年目を迎える頃にはバスの乗車人数は初年度の10倍の1500人に。さらにこのホタルの保存活動が地元の小学校を動かし、カワニナの放流を小学生が担いホタルの保存が授業になるとともに、ホタルバスのバスガイドを小学生が務めてくれるようにもなったそうです。

一見、他の街にもありそうなコンテンツ。でも、その背景にある唯一無二のストーリーをうまく伝えることで、他にはないオリジナルなコンテンツになるのかもしれません!

玉造温泉まちデコ、15年目の始まり。

奇しくも、この記事を書いている7月12日は、角さんのまちづくり会社「玉造温泉まちデコ」の設立記念日だそうです。まちデコとともに歩まれた角さんのこれまでの時間は、14年。今日から15年目のスタートとのこと。

14年・・・赤ちゃんが、中学生になるくらいの年月。今36歳の私が、50歳を迎えるほどの時間。

そう考えるとあらためて、冒頭の意図を持ち続けてずっとずっと行動してこられた角さんたちに、心の底からリスペクトの気持ちがわいてきます。

そして私自身もこれから、自分なりのシャープな意図を持ち続ければ、何か少しだけでも自分なりに、世の中にとって善きことができるかもしれないと、勇気も湧いてきます。

この記事で抜粋したエピソードは本当にごくごく一部でしかないのです。他にも、角さんをいつも天才的なアイディアで導き「稼ぐ観光協会」を牽引するリーダー周藤さんのことや、女性たちが自分の得意を生かして大活躍する温泉コスメ「姫ラボ」のこと、地域のおじいちゃんおばあちゃんがおもてなしをしてくださる「おすそわけ茶屋」のことなどなど、素敵なエピソードが満載!ここまで読んでくださったみなさまにはぜひ本を手に取っていただきたい・・・!

角さん、玉造温泉のみなさま、学びあふれるこのようなご著書を世の中にお届けくださり、本当にありがとうございました!

最後にエピローグより、まちづくりに取り組む方への角さんのアドバイスを抜粋します。

「あなたの街にはどんな魅力がありますか?」
本書を読む前と今とでは、違う答えが思い浮かんでいるかもしれませんね。
玉造温泉が再生した秘密の現場や裏側をかなり書きました。
今、私がまちづくりに悩む方にアドバイスするなら、
自分の街の「今すでにある魅力」をノートにたくさん書くことから始めてみませんか?
そして、仲間と一緒にあるもの磨きを話し合ってみませんか?
きっとあなたの街の10年後も、私の街のように魅力にあふれた素敵な街となっていることでしょう。

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