「普通」を求める学校、部屋にこもった日々 演出家・宮本亞門

※『Yahoo!』で読んだ記事・コメントへの感想です

 > 演出家 宮本亞門さん 65歳
 > 演出家の宮本亞門さんは子どもの頃、
 > 「普通」とは違う自分を気にしてひきこもりに。

 > 学校ってつらいよね、しんどいよね。
 > 「普通」であることが求められるし、
 > 親や世間の意見や考えが、まるで正しい物差しかのように思えてくる。

 親は、個々の親によると思うけど。
 世間ってそんなに「普通」は求めて来ないと思うけどね。実際には。
 色々言っては来るけど。
 「行動を制限しよう」と言って来る人もたまにはいるけど。大抵の人は「心配して」言ってくれてるだけで。受け取る側に問題があるだけ。
「周りから浮くと陰口言われたりいじめられたりする?周りに合わせるストレスと比べたらそっちの方が全然マシだから大丈夫!」
 と、自己主張できる場合、実際にはいじめなんかにはならないことが多いと思う。

「悪口言われてたよ」
 とか教えてくれる子とかもいたけど。
「いいよ、いいよ。むしろ私の悪口言わせてあげれば良いと思うよ。あなたたちは”そういうこと”で仲間意識を確認するんでしょ?私は悪口言われたって気にならないから~」
 私は割とこういう態度だったし。
 「普通」を求める親との軋轢の方が、子ども時代の私の日常では大きな問題で。
 「他人」や「子ども」なんて、相手にするだけの価値もなかった。

 当たり前のことだけど。
 「最低限のルール」は守らんとあかんと思うよ。
 学校だと……授業中に他人の勉強の邪魔をしない、とか。そういう。
 「図書館では静かにする」とかは、個性とは何の関係もない。
 自分の個性や自由と、他人の個性や自由は、等価。
 「自分の個性や自由は損なわれてはならない」と考えるなら、「他人の個性や自由を損なってはならない」。
 「普通」の枠の外にいる私の言動は常に誰かに不快感を与えているのだから、他人の「それを口や態度に出す自由」を損なっては駄目……これはね、理解しておかないと駄目。
 後。
 私の言動で、誰かがその人にとってのLv10の不快感を溜めた時、その人は私に対してその人の考えるLv10の不快感を与えて良い……でないと不公平でしょ?
 ”仕返し”は、権利。
 「殴られる覚悟もないのに人を殴るな」と同じ理屈。

 とかく。
 「変わった子が周囲に与える不快」やそこを起点にする様々な事柄ばかり注目されるけど。
 当たり前に、逆も当たり前だからね。
 「普通」の枠の中にいる人の言動は、私には不快である場合も多いからね。
 でも私は”仕返し”はしない。お互い様だと思ってるから。
 圧倒的多数の他人が、私に対して”仕返し”をしていないことを知ってるから。

 > 孤立するのも、嫌われるのも怖い。

 こんな発想全く共感出来ない。
「今いる場所で嫌われて孤立しても、他にも場所は幾らでもある」
 大人になった今だからこういう発想なんじゃなくて、物心つく前には多分こういう発想だったんですよ。
 誰に教わったわけでもないのに「日本がダメなら、アメリカでもドイツでも、その他でもあるじゃん」と自然と思っていたので。
 「今いる場所」や「人間関係」に重みがまるでない(笑)。

 「今いる場所」や「人間関係」の重み、てないんですよ。
 そんな重力は存在しない。
 個人が勝手に感じてるだけ。
 自分で自分に不快感を押し付けてるだけで、他人は悪くないよー。

:20230829


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