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卒業式で涙が出なくても大丈夫だって、言って

卒業式で泣けないコンプレックスを抱えていたことがある。小、中、高、大と4回卒業式を経験してきたが、当日は涙を流すことなく、「どうしよう涙が出ない。これだから自分はダメなんだ……」という、自己嫌悪で頭をいっぱいにしながら参加していた。

「初めての卒業式」だった小学校は、そのまま中学に持ち上がる地域だったので、泣いている人といえば、親と先生、それから、私立に進学する何人かの同級生くらいだった。当日は、中学に上がったらどの部活に入るか、スクールバッグは買ったか、自分たちの学年のリボンは赤色らしい、といった他愛もないようなことをおしゃべりして終わった気がする。

3年後の中学校の卒業式は、うってかわって、非常にさめざめとした雰囲気だった。予行演習の段階から涙を流す女子たちが続出した。わたしは小学校の途中から転入してきたが、ほとんどの人にとっては9年間も学び舎を共にした仲間とついに離れ離れになることを意味している行事なのだった。涙が出るのも仕方ない。

そこで「みんなはみんな、自分は自分」と割り切れれば良かったのだが、わたしには由々しき問題があった。

同じクラスの男の子に恋をしていたのだ。
しかも卒業式の席もすぐ隣。

周りについていけない自分を見られたら「可愛くない女だな」なんて、最後の最後に彼に嫌われてしまうような気がして、式前の1週間は”卒業式 泣けない 冷たい“、”卒業式 泣く方法”などとGoogle先生に教えを請う日が続いた。

ポケットの中の目薬

度重なる予行練習でなんとか泣けないものかと、さまざまな方法を試したものの、遂に泣けないまま当日を迎えることとなった。わたしはブレザーのポケットにリーサル・ウェポン「花粉症用の目薬」を忍ばせていた。

目薬の涙目と、本当の涙目が違うことくらいわかってはいたけど、周りから浮かないようにするためには仕方がなかった。

しかし、隣に好きな男の子がいるのに目薬を仕込むことなどできるはずもなく、あっけなく卒業式は終わってしまった。涙腺に集中しすぎるあまり、校長先生の言葉も校歌斉唱も、ほとんど記憶に残らなかった。

式が終わって、最後のホームルーム。“鬼の学年主任”と呼ばれた担任が、サプライズで贈呈した花束に、思わず涙を見せた。そのタイミングでクラスの大半が泣き始め、ふと隣を見やると、彼もまた、その切れ長な目を潤ませて、小麦色の頬を静かに拭っていた。

学校のことも、友達のことも、担任の先生のことも、わたしは大好きだったはずなのに、できればずっとこのまま一緒にいたいと思っていたはずなのに、先生の涙声の挨拶にはたしかに心が震えたのに、わたしの瞳からは一滴も涙が流れないまま、ついにすべてのプログラムが終わってしまった。

一足遅れてきた涙

外に出ると、式中に振っていた小雨も止み、綺麗な青空になっていた。校門の周りは、憧れの先輩のリボンやら名札やらをもらおうとする在校生たちで賑わっていた。後輩たちから挨拶と手紙をひととおり受け取ったあと、わたしは彼に声をかけた。第二ボタンはもうどこかへやってしまったらしい。

「さっきのホームルーム、わたし、泣けなかった」

そんなことを言ったのは、たぶん、わたしなりの弁明だった。涙は流れなかったけど、すごく感動していたということを、彼だけには伝えておきたかったのだ。彼ならきっと、わたしのそんな不器用なところを、茶化しながら笑ってくれると思った。いつもみたいに。

彼は、見たこともないくらいの、ひどく真面目な表情で、わたしに言った。

「俺は泣いたけどね。おまえは、こどもだな」

そこから先のことはあまりよく覚えていない。たしか、友達と一緒に下校したんだと思う。家に着くと、母はまだ謝恩会から戻っていなくて、昼間のリビングにはわたしひとりだった。

両手いっぱいの荷物を床へ下ろしたとき、勝手に涙が溢れてきて、それから、自分でもびっくりするくらい、声を上げて泣いた。彼の「こどもだな」という言葉が何度も何度も頭の中に響いて、わたしを見損なったような彼の目線がまぶたの裏に焼き付いて取れなくて、泣いても泣いても涙が止まらなかった。

今さら遅いよ、と思った。

それがわたし、と気づけた3分間

残念ながらその恋が成就することはなかったが、「みんな泣いてるのに泣けない自分」コンプレックスは意外にも早く解決を迎えることとなった。それは、高校の卒部式のことだった。

わたしは全国有数の強豪といわれる部活動に所属していた。練習も厳しければ、人間関係も複雑極まりない環境で、1日に平均10回は辞めることを考え、学校が爆発する妄想を1日に3度と欠かさなかった毎日だった。

卒部式では、在校生や顧問を前に合唱をする習わしがある。毎年涙で顔をぐちゃぐちゃにする先輩たちを見てきたので、1年生のころから卒部式を迎えるのが不安だった。

当日、運が悪いことにわたしは最前列。よりにもよって顧問にいちばん近い場所で歌うことになってしまった。

前奏が鳴り始める。横から、後ろから、鼻をすする音が聴こえてきた。隣の声が震えている。

1時間前の卒業式でも相変わらず泣けなかったわたしは、涙腺に集中することを諦めて、合唱の3分間、高校生活を振り返ることにした。

恐ろしかったけど憧れていた先輩たちのこと。
全国大会のステージ上の静けさ。
疲れてすぎてお風呂で眠って溺れたこと。
練習で遅くなった帰りにコンビニで買って食べた肉まん。
耳をつんざくような顧問の怒号と緊迫感。
冷たく硬い床で眠った校内合宿の夜。
私たちへ注がれた拍手で空気が揺れたような気がしたこと。
顧問が書いてくれた大学の推薦書。
大会前日に後輩から贈られたメッセージ入りのチョコレート。
合宿から戻る日に夕食のリクエストを聞いてくれる母。
校舎裏の駐車場でラジオを聴きながら待ってくれていた父。

それまでの人生で味わったことのない経験をぎゅっと詰め込んだ、濃密な3年間を走馬灯のように思い出しても、涙は流れなかった。

それでも、わたしの気持ちは、案外晴れやかだった。

わたしは間違いなく悔いを残さず、この3年間をやりきった。それでも涙が出ないのなら、きっと、それがわたしなのだ。

涙が流れないから”こども”なんじゃない。そのとき感じた気持ちを素直に抱きしめられることが、きっとオトナということなのだろう。

わざと霞ませて思い出さないようにしてきた、あの卒業式の日の彼の表情を、もう一度鮮明に思い出して、わたしは笑って「そうだね」と言った。

#みんなの卒業式

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