【続日本100名城スタンプ】191.中津城
続日本100名城スタンプを押しに、2024年4月に大分県中津市の中津城に行きましたのでご紹介します。
※ 本記事は訪問当時の情報を記載しておりますので、最新情報は公式サイトやお問い合わせなどで確認をお願いします。
スタンプ設置場所の情報
中津城のスタンプは、中津城天守閣内に設置されています。スタンプの押印には入城料がかかります。
アクセス
JR日豊本線 中津駅から徒歩15分
開門時間
9:00 ~ 17:00
休城日
年中無休
入城料
400円(大人)
スタンプまでの道のり
今回は、大分県の中津駅から中津城へ向かいました。特急ソニック・にちりんが停まるので便利です。
中津駅から中津城までは徒歩15分ほどです。今回は県道108号の経路で行きました。
中津駅北口のロータリーには、中津市ゆかりの福沢諭吉像がありました。
中津城へは、北口ロータリー前の交差点を左へ曲がります。
歩道にも中津駅の案内がありました。駅から1.0kmのようです。
左へ曲がって県道108号線をそのまま歩き、中津城の案内を確認していきます。あれ、まだ1.0kmで変わりませんね…
しばらく道なりに進むと案内があるので右へ曲がります。
目印として、交差点の右側に「新中津市学校」がありました。旧小幡記念図書館の建物を利用した学習交流施設です。
右へ曲がってまたしばらく進むと、中津市立南部小学校の前に立派な薬医門がありました。この門は「生田門」というそうで、奥平中津藩家老だった生田家の門とのことです。このあたりは中津城の三の丸でした。
生田門を過ぎると、前方に大きな鳥居が見えてきました。
鳥居には「中津神社」と書かれています。中津城の本丸にあった御殿は西南戦争で焼失し、跡地に中津神社が創建されたそうです。
鳥居がある場所は前述の通り、三の丸と本丸の境界で、水堀と石垣で囲われています。
また、鳥居がある場所の石垣は江戸時代以前はつながっており、明治時代に通されました。そのため、本丸の石垣は築城当初と比べて拡張されており、石垣の中に、築城当初の石垣が見られる状況となっています。
スタンプが設置されている中津城天守閣は鳥居を過ぎて右側に道がありました。
中津城天守閣の手前に、石垣で囲われた道があり、明らかに門跡であるとわかります。こちらは本丸南東隅にあった「椎木門跡」の枡形虎口の名残のようです。ここの石垣は北から西へ扇形になっていたそうです。
スタンプ設置場所の紹介
椎木門の門跡を過ぎると、スタンプが設置されている中津城天守閣が見えてきました。手前にあるのは奥平神社です。
中津城天守閣へは、右側から階段を上って入ります。
中津城天守閣への階段は右側にありました。そこには同じく中津城隅櫓である大鞁櫓があるのですが、工事中なのか覆いがかかっていました。
中津城天守閣へは入城料がかかります。入口の受付で入城料を払います。
続日本100名城スタンプは、中津城天守閣の1Fにありました。
スタンプのデザインは薬研堀から見た中津城天守と隅櫓です。
中津城について
スタンプが押せたので、中津城について巡ってみました。
中津城は、天正16年(1588)に黒田官兵衛が築城した平城(海城)です。中津城沿いには黒田時代に築かれた石垣があり、中津川から鉄門を通して直接中津城本丸へ入れたそうです。今は鉄門跡は石垣で塞がっています。
黒田家は関ヶ原の戦い後に名島(福岡)へ転封となり、代わりに細川忠興が入封して中津城は改修されます。
中津城の北には、黒田時代の石垣と細川時代の石垣が合わさった場所があります。黒田時代の石垣は、古代山城の「唐原山城」から持ち出された石が使われているのが特徴だそうです。
その後は奥平家が城主の際に明治維新を迎え、廃城となりました。昭和期に模擬天守が建造され、今に至ります。
まとめ
今回は、大分県中津市の中津城と続日本100名城スタンプについてご紹介しました。
最寄駅:JR日豊本線 中津駅
移動:中津駅から徒歩15分
スタンプ設置:中津城内
城跡:中津城(スタンプ設置場所)
中津駅から中津城へは歩いて行け、石垣や天守などがあって城巡りとしては見ごたえがありました。
中津は唐揚げという印象がありましたが、鱧も有名らしく、中津駅ホームには「日本一長い鱧の椅子」がありました。
中津駅近くの「麺処くらや」でハモフライ定食をいただきました。
あまりクセのない白身魚という感じで美味しかったです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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