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生者の特権

 同級生の訃報を知らせるメールを、受け取ったおよそ一か月後に開いて考えたことは弔問をしようかどうかだった。
挨拶をしたい気持ちと対面したくない気持ちとが半々。
否定的な感情が混じっていたのは、故人にとって私は対面したい人間ではなかったから。

 面識ができたのは中学校から。でもあの頃って、制服の中に自分の実存そのものが押し込められているようで、誰にとっても難しい時期じゃない。
例にもれず私もそんな具合だったというか、もっとひどくて、とにかく自分に自信がなかった。
いじめられていたとか友達が全くいなかったとかではないんだけど、部活でも実力が断トツで低かったのもあって罪悪感めいたものを抱えていた。
そんなある日、ジャージの短パンから「紐が出てるよ」と性別の垣根無くフラットに教えてくれたあの人が気になる存在になってしまった。
たったそれだけの出来事でしかないのに、でも当時の私にとっては好きになるには十分だった。

 幸いなことに本を読むという共通の趣味があったから、どうにかもっと近付きたいとあの人が好きだという本を読んで、同じ作者の作品を買い集めて、買った本を届けに家まで行ってみたり、会えやしないかと図書室に通い詰めて。
それでもなお縮め難い距離にとうとう耐え切れず、告白をしたのはもしかしたらちょうど今時分の季節じゃなかったっけ。もしくはもっと後か。
ひどいんですよ。にべもなく「嫌だ」と断られて。

 そのまま何も起こることなく卒業して、同じ高校に進学して2年3年と同じクラスになったけど、たぶん二人で会話なんてしたことなかったな。
既にもう恋愛感情なんてものは消え去ってしまっていたけど、ずっと避けられていたような印象すらある。
断り方を見てもたぶん気まずいとかじゃなくて、あの人もたいがい変わった人だったし、私からそういう視線で見られること自体が嫌だったのかもと思う。

 だから思い出なんてものはほとんど存在しないんだけど、別のところで生まれた物事があった。
文化祭の日にあの人のお母さんに挨拶をされたこと。
中学校時代本を届けに行った時に顔を合わせはしたけど、それで顔を覚えてくれていて声をかけてくれるなんてすごい律儀な人だと思った。

 だから、迷った挙句弔問をしたのはお母さんのことがあったからなんだ。
お葬式が何のためにあるかというと、それは遺された生者のためだと思うから。
死者を悼むという行為は、我々生きている人間の特権なんだ。

 でもその通り、行動を起こしてみて良かったと思う。
応対してくれたお父さんに名乗ったら、お母さんがすぐに気づいてくれた。
「本を貸して頂いていた」って、そこまで覚えていてくれていて、あの人が大人になった写真だなっていう感慨よりも、そっちの方で泣きそうになってしまった。
正直どうしたらいいのかよく分からなくて、そのままそそくさと出て来てしまって、話をすることもなかったからあの人が私のことを話すことがあったのかなんてことも分からないままだけど。
気になる気持ちはあっても、でも、このまま終わりにしちゃっていいことだよね。
何事もなければ再び交わることもなかった線だから。
ただ、ただ、懐かしいとは思うけど。

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