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12/23 クリスマスイヴの散らかし話

 みなのもの、メリクリ。まだイヴだけどね。
 昨日は、人間関係について夕方から夜にかけて自己詰問を始めてメンタルがぶっ壊れたので日記どころか作業も進みませんでした。人に養生しなさいとか講釈垂れるくせに、自身のメンタル管理はド下手クソなんだね。救いようがないね。
 散々泣いたけど、虐めすぎるとまた涙で前が見えなくなってしまうのでこれくらいにして。本日は私のなんちゃってクリスマス観でも語ろうかね。
 タイトルに昨日の日付を記しているが、もう24日、クリイヴ。ここから1月7日辺りまで交通網やお店が人類でにぎわい、そのたび人混みに辟易する日々。
 私の誕生日はクリスマスと大晦日に挟まっているため、この時期はイヤでもクリスマスを意識せざるを得ない。しかも、今年で二十歳になるのだから尚の事だ。だが、二十歳という社会的な区切りのせいか「誕生日である」というより「大人としての面倒事が増える」認識の方が強く、歳月を経る恐怖がまさっている。しかし、二十歳になるということに期待もある。お酒やタバコの嗜好品を躊躇いなく摂取できるようになる。でもそれくらい。身体的にも精神的にも向上なんて起こらない。嗜好品の解禁がもたらすことなんて、創作の解像度を上げることくらいか。
 閑話休題。
 我が家のクリスマスは昔からイヴが本番だった。次の日はプレゼントをもらって慎ましく過ごせと言われていた。本来のクリスマスに近い過ごし方を要求されていたように思う。
 イヴの食卓には、骨付きチキン、チーズフォンデュや母手製ケーキ、ハム太郎がプリントされたグラスに子供用シャンパンが注がれる。食後はいつもより早く布団に潜り込み、サンタクロースが来るまで目を開けておくか、正体は本当に両親なのか。そんなことを考えているうちに瞼は落ち、気付けば枕元に12月25日らしい包装の施されたプレゼントが置かれている。サンタクロースが親だと知ったのは、はっきりといつだったかは憶えていない。いつの間にかみんな信じていなくて、それにそって私も信じなくなった。果てしなく受動的な人間である。
 我が家はイベント事や風習に細かい、というより食に関連した行事はとことんこなすところがあり、私が推しカプで食べ物系の二次創作ばかり書いているのは、100%この習わしが起因している。母手製ケーキについても、毎年ブッシュ・ド・ノエルで「ケーキの中でも簡単な部類だから手抜き」と母は豪語するが、ケーキなんて普通作れるもんじゃないからもうちょっと誇ってほしい。まあ、今年はチーズケーキにすると言っていたが。シャンパンも子供用ではなくなる。骨付きチキンを食べることを歯医者からストップをかけられているので別の鳥料理がテーブルに並ぶ。どうやら、少しずつ当たり前のクリスマスは変わってきているみたいだ。
 はじめに人混みに辟易すると書いたが、その中でも所帯持ちらしき人がこれであってるのか何度もビニール袋の中身を確認していたり、重たそうにPS5を片手にぶら下げている様子を見るのはわりと好きだったりする。道行く者がどこか地に足が付いていなくて。そんな光景を見ている自分も、今日が特別な日のように思えてくる。とどのつまり、雰囲気に流される方が幸福を享受できる。絶対そっちの方が幸せで楽。もう逆張りしないでいいんだよオタクくん。

 以上。

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