見出し画像

感情はどこにいった。

少し哲学的なタイトルですが、そこまで難しい話ではないです(この答えを見つけられるほどの思考力をもっていません)。

なんだかんだでライターと名乗ってますが、私が書いたり編集したりする記事は「SEO記事」と呼ばれているものがほとんどです。
なので私は、俗にいう「Webライター」という類に該当します。

SEO記事を簡単にいうと、Googleで「年末年始 掃除 効率化」みたいなKWで検索したときに表示される記事のこと。
そして、検索画面で上位表示されるほど表示回数が増えるので、どうやって上位を取れるかを考えながら記事を書いていくのがWebライターの仕事です。

Googleなどの検索エンジンでは、読者の悩みを解決できる記事を上位に表示されます。
なぜなら仕事や家事に追われている現代人は、より早く悩みを解決できる記事が求めているからです。
なので、不要と思われる表現をできる限り省いた文章を書かなければなりません。つまり「簡潔な文章」が求められているんです。

前置きが長くなったのですが、このSEO記事の執筆・編集を1,000記事以上(たぶん)してきた私は、感情を乗せて文章を書くのが難しくなってしまいました。

そう、タイトルの「感情はどこにいった」という状況です。

note書くようになってから(まだ2日目ですが)、ほかの人のnoteも読むようになりました。
そこで感じたのは「エモさ」です。

SEO記事では「これは確実に削るべき文章だ」と思う反面、その文章を書いた著者の“想い”が読者(私)の心にダイレクトに届いてきます。

わかりやすい文章を書くことには少し自信が付いてきましたが、また違う世界があることに驚きました。
これから、AIが文章を生成できるようになるなかで、ライターとして生きていくには、この「エモさ(人にしか書けない文章)」が必要になってくると思います。

このスキルは、より多くの文章に触れて、感受性を高めていかなければ磨けないんでしょうね。
同時に「エモさ」をスキルだと捉えているうちは、「エモさ」を身につけられないのだろう。とも感じています。

うん。何を言っているのか自分でもわからないですw

まだフワッとしていますが
・私は文章を書いている
・ほかのライターさんは言葉を紡いでいる
というイメージかな…?

うーん、やはり文章は奥が深い。。。
まだまだわからないことだらけなので、いろんな人のnoteを読みながら、自分でもゆるゆる書いていきます…‼︎

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?