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【創作】生産性のない批判

 何が生産性に繋がるか、それはまぁ人それぞれだろう。
 なんなら人格否定しかないような批判でも、本人が発奮すれば、役に立つとは言える。

 だけれど、そういう効用は批判された側が論じるべきだ。
 自分の批判が何の役に立つのかということに対して、強弁しないと自分が安心できないような批判という時点で、やはりそれは役立たずなのだろう。

 ありがちな批判、誰もが言いそうなことも、結局それを言うことで、批判者が気持ち良くなっていることだろう。

 極論、「こんな駄作を書くぐらいなら、何も書かない俺のほうが偉い」と言いたいだけにしか見えない批判も同様だ。


 無意味な批判は沢山あるが、その内容は似通っている。

作者の願望

 描かれた内容は即ち読者の願望であり……と言うのは、結局のところ誰にでも言えるし、その程度の解像度でしか作品を鑑賞していないと言う意味だ。

 よしんば願望として、それをどのように作品に反映しているのか、それがテーマとしてどのように構成されているのか。
 そういうところまで突っ込むのが、正しい意味での批評だ。

 雑に「オタクは恋愛が出来なかったので、女の子が出て来て主人公に惚れると言う内容で喜んでいる」と言う話は、定期的に出てくる。
 何と言うかオタクになれなかった陰キャの末路みたいな文章だ。
 しかし、それは多分全ての恋愛小説や漫画に出てくるだろう。

 それは、作者が考えた理想の恋愛かも知れないし、単に面白いと思ったからかも知れないし、ウケがいいからかも知れないし、その他、何らかの思いがあるだろう。
 そしてどの可能性がそうなのかは、作者にしか分からない。

 大体、「作者の気持ち」問題は、その文章に何が描かれているかを読み解く事であり、無根拠に「作者の理想」と決めつけることではない。

 そもそも、そういう願望で描いたところで、それを喜ぶ人が沢山いるのならば、そこでクダを巻いているよりずっとずっと生産的だろう。
 片方は本になり、アニメ化しているのならは、Twitterでせいぜい数百いいねごときに意味はないも同じだ。

◯◯を描いていない

 別に貴方が望むもの全てを作品に盛り込む必要はない。

 そもそも小説なり漫画なりに、そんなに盛り沢山なテーマを並べることに意味はないだろう。

 じゃぁ、恋愛小説にアフリカの恵まれない子供がどうというテーマが必ず入れられるべきだろうか? 冒険小説に全然関係ない国の政治の話を盛り込む?

 勿論、近接領域で「これを描いて、アレを描かないのって何?」と言うようなこともあるだろう。
 だけれど、物語なんて所詮理想化された系で語られていることだ。
 複雑な内容の小説とて、世界の全てを描いているわけではない。

 にしても、友人という関係を描かなければ、交友関係が希薄だったからと言えるし、理想的な交友関係を描けば、それを渇望していたと言えるのだから無敵の論法だろう。馬鹿馬鹿しい。

 描かれなかったテーマに気付いた人間のやるべきことは、そのテーマで物語を作ることだ。
 むしろこれはチャンスと言えるだろう。

リアリティがない

 リアリティとリアルの区別のつかない人間がよく言う話だ。
 多分現実の差異ぐらいしか比較するものが自分の中にないのだろう。

 (それがフィクションである限り)別に物語が現実に即している必要はないし、何なら現実の極端な状況、異常な状況が描かれるのが物語と言うものだ。

 現実に対する解像度や、説得力がリアリティを産むが、それがリアルと同じであるとは限らない。
 物語が虚構である以上、現実と何処かしら差異がある。
 そして、その際に希望を描くのか、スリルを描くのか、怒りを描くのか。
 その感情こそがリアルであるべきで、その部分こそが、評価に供されるべきだろう。

読まなくても分かる

 分かってないから、トンチキな議論になってるんだろ。
 自分の結論ありきで読んだフリするな!
 お前は3センテンス以上の文字が読めないのか!??!?

じゃがいも警察とか

 結局、それ言っておけば、作者に勝ったつもりになる頭の悪い議論だ。

 『この世界ではあるんだよ!』と言うだけの話である。

道徳的に正しくない

 作者のミッションは楽しい作品を作ることであり、考えさせる作品を作ることである。

 道徳的な答えや導きが物語に必要だと考える人達は、『国のためにならない』と言う理由で検閲を推し進める人たちと同じだろう。

 そして、そういう類の人たちを歴史的にこういう。
 独裁者と。


 ざっくりとこんなものだろうか?
 また腹が立ったらなにか書くことにするよ。

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