【写真】創作論ではないが

 写真は誰でもシャッター切れば撮れるし、何処にでもカメラがある時代だから、写真が趣味っていうのはどの辺から趣味かと言う話になる。

 更に言えば、何がいい写真なのかというのは、本当に人それぞれだし、言える事も多い。
 ぶっちゃけて言えばバズる写真は何だっていい写真と言えるかも知れない。

 しかしまぁ、バズる写真がいい写真なら、構図や光に拘った一点物のポートレートよりも、沢山のレイヤーが写っている合わせ写真の速報(スマホ撮影)なんかの方が正直伸びる。
 もっと言えば、日常のちょっとした「いい感じ」の部分を切り取った写真がバズる事は少ないが、珍しいモノを見つけた時の雑な写真の方がよっぽどバズる可能性が高い。

 撮り鉄の話を聞いていると割と暗澹たる気持ちになる。
 線路上の何かの看板が写っているからNGとか、編成が全部写ってないからNGとか、そう言うクッソつまらない理由で点数を付けている。
 駅のちょっとした風景のドラマティックな写真とか、そう言う人には絶対に撮れないが、そう言う人はそのような写真を評価しないだろう。

 いつぞ通勤で使っている駅で何かのラストランだというのに遭遇したことがある。
 ホームに鈴なりになって、それこそ脚立だの三脚だの立てて他の客の迷惑顧みない姿に辟易したのだが、何てことはないいつも見ている電車だ。
 今まで散々見掛けてきたし、古そうな形だから長い年月走ってきたと思う。だけど彼等はラストランの写真というのが大事なのだろう。
 それはもう写真の価値ではなく、某ラーメンハゲの言う情報でしかないだろう。

 写真をあくまでも記録として使っているなら結構。
 実際自分もそういう使い方をよくしているし、雑にそういう写真をネタにしている。
 だから、全ての写真は真剣に撮れなんて言わない。
 むしろ写真なんて趣味でやっている分には楽しく撮れるのが第一の筈である。

 なのに、何故か色々と鹿爪らしい事を言って得意気になっている人がいる。
 万人にいい写真なんて存在しない。
 例えば、今、アンリ・カルティ=エブレッソンの写真がどれほどの人を感動させられるだろうか? 確かにいい写真だ。むしろ好きな写真家だ。でも、それは僕が写真に対する素養があるからだ。
 そして、これはどんな分野でもあり得る話だが、「素養があるから本物が分かるのだ」と言う向きが本当に何処でも現れる。
 「俺はラノベみたいな低俗な小説は読まない。純文学しか読まない。あれこそが本物だ」と言う人とか、「俺の映画より××がウケるのは、庶民には俺の映画の芸術性が理解できないから」とかそう言うのは本当にテンプレのように出てくる。
 確かにそれがウケる人がいるかも知れないが、それはウケた人が高貴であったからではない。
 先に僕が鉄道写真をこき下ろしたが、鉄道に素養がある人間にはそれがウケた。僕がいいと言った写真は僕の素養に鑑みていいと言っただけだ。彼等にはそれがなかった。でも、だからといって、彼等が低俗で僕が高貴と言う訳ではない。

 その中でいい写真とはなんなのかはもう少し静かに考えてみても悪くない。
 敢えて言えば、自分の心に響けばそれは自分にとっていい写真だ。
 自分にとってそれがいいのであれば、別にそれを他人が評価しなくたっていいだろう。逆に、万人受けする写真があって、そこで逆張りをするのはダサイ。
 自分の好きを大事にして、人の好きを馬鹿にしない方がいい。
 それだけの簡単なルールだ。
 それだけで自分の好きをもっと真っ直ぐ見つめられるし、その結果、自分の好きな写真を自分も撮れるようになるのだから。

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