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「父の約束されたものを待ちなさい」

使徒言行録1章1~5節 復活節第6主日 2023.5.14

板野のメモによる八谷先生の説教のまとめ
 本日より、使徒言行録の学びに入る。その1章1~2節が使徒言行録の序文である。それは「テオフィロさま、私は先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」である。ここでルカはこれに先立つ第一巻をテオフィロに献呈したと述べている。この先立つ第一巻とはルカ福音書である。つまりルカ福音書が第一巻であり、使徒言行録がそれに続く第二巻となる。

 ルカ福音書の序文は1章の1~4節である。「私たちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々が私たちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々がすでに手を着けています。そこで敬愛すするテオフィロさま、私もすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのが良いと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よくわかっていただきたいのであります」。

 なぜ福音書を書くのかが、著者の言葉で書かれている。また「多くの人がすでに」著者たち「の間で実現した事柄について」「物語を書き連ねようと手を「つけている」と書かれている。つまりここには、ルカより前に多くの人々がイエスの物語を作成していたことが明示されている。AD50年過ぎから70年に書かれたと推測されるマルコ福音書、イエスの言葉資料(Q資料)そしてルカが独自に用いた特殊資料らが前に作成されていたものである。マタイ福音書はAD80~90年頃。ヨハネ福音書はAD90~100年頃に作られたと推測されている。ルカはイエスの出来事を「初めから詳しく調べ」「順序正しく」書いてテオフイロに献呈しようとする。テオフィロがいかなる人物であったかは不明である。しかしそれはギリシャ、ローマの人々を想定して福音を伝えようとしていることがわかる

 ルカは「順序正しく」と言う。ルカは「順序」を意識している。それはルカが「今までの資料は順序正しく書かれていない」という批判を持っていたということを示している。他の三つの福音書と比較してみるならば、この「順序正しく」イエスの出来事を物語るということがルカ福音書の特徴である。では初めから」「順序正しく」とはどういうことか?「順序正しく」の意味は何か?
①世界史の中心として、イエスの出来事を物語る
それはギリシャ・ローマの歴史を念頭において、その歴史の中のその中心にイエスの出来事を位置づけるのである。
②イエスの出来事の由来(始まり)を物語る
ルカ福音書はイエスの出来事の始まりを、ヨハネの誕生とイエスの誕生という二つのクリスマス物語で始める。そしてイエスの始まりをヨハネからの洗礼をもって始める。ちなみにマタイ福音書はイエスキリストの系図から始まる。マルコは「神の子、イエス・キリストの初め」をヨハネでの活動から始める。ヨハネ福音書は「初めに言葉があった」という言葉から始める。
③イエスの出来事の展開(続き)を物語る
マタイ福音書は28章16~20節の弟子たちの派遣で終わる。派遣の場所はガリラヤである。「甦りのイエス」はどこにいて、どうなったのか?それが書かれていない。ルカの目にはそれが「順序正しくない」と映る。マルコ福音書は16章8節「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも言わなかった。恐ろしかったからである」で終わる。いかにも唐突の終わりである。そのため後の人が結び一.結び二を付け加えた。不完全な終わりである。

 ルカにはそれが「順序正しくない」。ルカの終わりは「そしてイエスは聖書を悟らせるため、彼らの心の目を開いて、言われた。次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、3日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなた方はこれらのことの証人となる。私は、父が約束されたものをあなた方に送る(24章45~49節)」であり、イエスの昇天で終わる。その場所はエルサレムである。イエスはどこにいるのか?それは、それ以後の物語・歴史に続いていくである。イエスの歴史、イエスの物語があった。その終わりがある。しかしそこには次の始まりがある。ルカは次の展開を書く。それが使徒行伝である。これがルカにとっての「順序正しさ」である。

 ではルカ福音書と使徒行伝、この二つの物語を貫くものは何か?「私は、父が約束されたものをあなた方に送る(ルカ24章4節)」と「前に私から聞いた父の約束されたもの待ちなさい(使徒1-4)」。この二つの語句に共通の言葉がある。それは「父の約束」である。「神の約束」は続いていく。では「神の約束」とは何か?それは「ヨハネは水でバプテストを受けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる(5節)」にある。それは「聖霊によるバプテスマ」と言い換えられる。それは「悔い改め、立ち返り」のしるしである。罪に染まった生き方から、「立ち返り」によって新しい生き方が始まる。これが「神の約束」である。「イエスの出来事の初め」であるバプテスマ。イエス自身がバブテスマによって受けた同じ聖霊が弟子たちにも働く。「神の約束」は「立ち返り」そして始まる新しい人生である。聖霊に導かれた弟子たちの物語が始まる。


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