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個人的に好きな百合漫画3選

ちょっとした前置き


 娯楽・嗜好としての百合というものについて、どうやら色々な定義があったりなかったりするようですが(恋愛がどうとか友情がどうとか)、自分としては、女の子と女の子がいちゃいちゃしているもの、的な感じでゆるく認識しています。
 その中から、今まで読んだことのある作品の中で特に良かったなと感じでいるものをここで軽く語っていきます。


ハッピーシュガーライフ

作者:鍵空とみやき
出版:ガンガンコミックスJOKER(スクウェア・エニックス)
巻数:11巻(完結)

生きよう 二人で
暗闇の中でも 見失わないように
好きだよって 叫び続けよう

(32nd life『夢の終わり、今日のはじまり』より)

 この作品に触れたきっかけは、書店でたまたま見かけた単行本5巻の表紙の、禍々しい目をした女の子の絵に惹かれて、だったと思う。当時はそんな動機で購読することが多かったような。
 作画部分の感想を言葉にするのはとりわけ疎くて不得意ではあるが……、可愛らしい絵柄でいて、登場人物の喜怒哀(愛)楽、狂気や虚無、憎悪それから絶望の表情に強く惹きつけられる作品である。


 大まかなあらすじを述べると、とある女子高生・松坂さとうと、身元の知れない謎の女の子・神戸しおが、アパートで2人、仲良く幸せな日常を送っている──その日常を守るために、さとうがアルバイトを始めとした色々なことを頑張ったり、その頑張りによる疲労をしおちゃんとの暮らしの中で癒したりしていく、といった話。


 ジャンルとしては、萌えラブコメであり、サイコホラーであり……登場人物の変態性が高じていっそのことシュールギャグにも分類できるのだけど、本作の主軸に存在しているのは切実で誠実な、プラトニックなの物語であることには疑いの余地がない。


 物語の序盤では、さとうがしおちゃんに対して抱く愛が、他の人が語る愛と相対させる形で明示される──少女が自らの愛の真っ当さを証明していく。まあ、絵面的には、愛の対決というより、女子高生が悪しき変態を成敗していく話に映らなくもないが……しかし、彼らの語る愛もまた、彼らなりの性愛(性欲、もしくは今風に言うと性癖?)ではある──本作は、様々な人物の様々な愛を描いた物語でもある。それらによって、さとうやしおちゃんが有し求める愛の形もまた引き立つ……と、言っていいのかな。


 恋愛、友愛、そして家族愛。
 物語の中盤以降でさとうが対峙する相手は、例えばかつて彼女が一度は共感した愛の形を抱く者だったり、例えば心を許していた親友だったり、また例えば壮絶な半生を送る中で彼女よりも遥かに長い期間、強固な愛と絆を抱き続けてきた者だったりと、一筋縄ではいかない存在が中心となっていく(それから変態の総本山みたいなとんでもない人が出てくる)。


 そういった悪しき大人との対立や、三つ巴じみた争奪戦が繰り広げられていく中で、かつて愛を知らなかった女子高生は、様々な感情を「体験」していく──その様子が、ダイナミックな漫画表現で、ダイレクトに読者へと伝えられる。
 その先でたどり着いた、彼女の愛の答えとは。
 そして、「保護」あるいは「監禁」された状態で彼女と共に暮らしてきた、無垢でありながら非常に聡い女の子であるしおちゃん。常に物語の中心に据わり続ける彼女が、2人きりの生活の中で──閉ざされていた記憶が少しずつ蘇っていく果てに、選んだ結末とは。


 可愛らしい絵柄で描かれる、甘々でかけがえのない日常風景。心理誘導を駆使しつつ、禁忌を孕んだスリリングな物語展開。緩さと薄暗さが融和した本作には、読みながら様々な感情を喚起させられた。


ご主人様と獣耳の少女メル

作者:伊藤ハチ
出版:電撃コミックNEXT(KADOKAWA)
巻数:3巻(完結)

おいで
一緒に金色の蝶を探そう

(第一話『金色の蝶』より)

 この作品に触れたきっかけは、書店でたまたま見かけた単行本1巻の表紙に惹かれて……だったと思う。
 獣の体毛に対する細やかなタッチや、背景に対する描き込まれた筆致の、その美麗さには目を引かれたものである。


 あらすじはと言うと……獣人という、獣の耳や尻尾を持った人のような存在がいて、彼女達が生活のパートナーとして人々と共存している世界において、
 少々控えめでドジっ子でありながら頑張り屋である獣人の女の子・メルが、クールでミステリアスな“ご主人様”のもと、広大な屋敷に引き取られ……、高齢のメイド・コレットを含めた3人で日常を共にしていく。そんなお話。


 単行本全3巻を通してもその世界観には謎が多く、とりわけ獣人をとりまく社会の構造に不穏な何かを感じさせられることもないではないのだが、あくまで本作がメインとしているのは謎めいた世界観の深掘りではなく、メルやご主人様を始めとした人物たちの交流である。


 広大な屋敷に引き取られ、始めは心細かったけれど、コレットさんの温かさや、ご主人様の不器用な優しさに触れながら、少しずつ居場所を見つけていくメル。
 また、メルとは異なる形で孤独を抱えていたご主人様もまた、メルとの交流によって、閉ざしていた心を徐々に開いてゆく。


 非情な現実や、人の悪意。かつてそういったものに晒されてきた2人が、それらが存在する外界から隔離された内側の空間で、ゆっくりと羽を休める。
 ほどけていく心と、新たに膨らんでいく感情。
 物語の中盤以降は、メルの友達──彼女と同じ学舎で過ごしてきた獣人の少女達──も加わり、恋愛感情を交えての、更なる展開が繰り広げられていくことになる。


 読んでいて、少なからず……いや大幅にフェティシズムをくすぐられる作品でありながら、邪な心は一切捨てて物語の世界に没頭したくなる。
 個人的な体験として、初めて単行本第1巻に触れたときにかなりの衝撃を感じたものだけど、全3巻を読み終えて、こうして今振り返ってみても好きだなと思える、そんな思い出深い作品である。



とどのつまりの有頂天/雨でも晴れでも

作者:あらた伊里
出版:ヤングキングコミックス(少年画報社)
巻数:2巻(完結)

作者:あらた伊里
出版:電撃コミックスNEXT(KADOKAWA)
巻数:3巻(完結)

「猫崎さんがいいの!!
猫崎さんはわたしのことずっと見ててくれへんとやなの…!」

(『雨でも晴れでも』第2話より)

 3選と言いながらこの3選目に2タイトルを挙げてしまっているが……、前者が完結した後、出版社・掲載誌を移籍して、新たにリニューアルされたのが後者なのだ。それ故に2つまとめて1作品としてカウントした(ついでに言えば個人的なこだわりとして、選出において出版社被りは回避したかったのだが、片方だけならとこちらも自分ルールを許容)。

 この作品に触れたきっかけは、読書メーターあたりで単行本1巻の表紙に目が止まって、だったと思う。全部表紙買いじゃねえか。
 初めて読んだときは、普段のコミカルな場面におけるキャラクターのデフォルメ度には大変驚かされた(特に寝袋の子)。その上で要所に光る、というか、少女達の揺れ動く情動の一コマ一コマにも激しく魅せられるのだ。


 あらすじを述べると……海と山に囲まれた、島の高台にそびえ立つ、全寮制の有頂天高校に入学した山田美古都
 京都の山奥から引っ越してきたばかりで友達作りに苦心する彼女は、高校の敷地内に存在する有頂天神社にて、同学年の生徒会役員・猫崎蓮と放課後を過ごすのが日課となっていた──学内にて全生徒の部活動が義務付けられているため、巫女部として(その名称はさておき)。
 2人だけの静かな時間に特別な思いを募らせる彼女達だったが、ある日、更に4人の少女が部室を求めて神社に突撃するように現れて……?


 個性豊かな少女達が部活動という名目で、賑やかな日常を送るお話。
 メインを張る登場人物は6人で、いずれもあらかじめカップリング対象がその中に定められている──上に挙げた2作品とは異なり、複数人が特定の1人に矢印を向けるような三角関係(?)的な展開に発展することはなく、あくまで固定された2人×3の関係、心理的な距離を描くのが本筋となる。


 少し荒っぽい印象の獅子丸愛梨昭和歌謡レコード部)と、物腰穏やかな辺銀律(同じく昭和歌謡レコード部)──共通の趣味を持ちながらも、常に言い争いが絶えない2人。
 病弱だが非常にエネルギッシュな熊倉タクヤTOKYOファッション部)と、常に寝袋を被った兎田夜空ひきこも部)──互いへの理解が深い幼馴染の2人。
 美古都と猫崎さんを含めて、合計3組──複数の部活動を兼ねた変人集団、通称有頂天部
(それから、部外にもう1組ほどカップルが存在する)


 これら2つのタイトルの差異としては、一言で言うならオリジナル版の『とどつま』が「コミカル」で、リニューアル版の『雨晴れ』が「しっとり」であると、『雨晴れ』1巻の巻末で作者が端的に解説している。
 私が初めて『とどつま』に触れたときも、極端なデフォルメ画と共に繰り広げられる、怒涛のハイテンションなギャグの応酬には衝撃を受けたものである。

 対して『雨晴れ』は、『とどつま』と比べると内なる情動や心の揺れがより重要視されている。
 両作のストーリー面の差異としては、導入部分が同じでそこから分岐していくのだけど、展開がなぞられている第一話を見比べてみるとその違いがわかりやすい──『とどつま』では豊富だった猫崎さんのモノローグが一切なくなっており、代わりにすべて画によって心情表現が行われている。これにより、元は好き合っている2人が空回りするコミカルな導入部だったのが、より純度の高さを感じさせるものに生まれ変わっているのだ。

 もっとも、登場人物の性格自体は変わっていないので、『雨晴れ』が常にシリアスであるかと言えば全然そんなことはないし(あくまで相対的に、というだけで、コメディの配分自体はかなり多め)、『とどつま』もまた重いところはとことん重い……というか元々、ギャグとシリアスの落差、フリーフォールのような乱高下が大きな特徴の作品だった。


 ひとつネックなのは、前身作の方は、かなり中途半端な形で終わりを迎えているということ。
 物語のピークの場面でぶつ切りになっており、内容の密度自体は非常に高い一方で、内面が全く明かされないキャラクターが存在していたりと(それはそれでミステリアスで魅力的ではあるのかもしれない)、不完全燃焼感が否めない。
 幸い、リニューアル版である『雨晴れ』においてはそんなことはなく、終盤の展開こそスピーディーではあるものの、全組の関係が双方の視点から不足なく掘り下げられた上での綺麗な完結となっている。……キャラクターが魅力的であるが故に、全3巻と言わずもっと彼女達のやりとりを見たかったという思いはなくもないが。

 故に、2タイトルの中で他者に勧めやすいのは後者になるのだけど、その上で『とどつま』でしか見られないエピソードや特定キャラ同士の絡みなども多分にあるので、このような形で2つとも紹介した。

(ここからはやや余談)

 作中に存在する4組のカップルはいずれも魅力的だけども、個人的に強く惹かれたのは主人公組の美古都と猫崎さんの組み合わせである。

 相補的というか、性格面での相性が良く、互いとの時間に居心地の良さを覚える2人には、人付き合いが得意でないという共通点があって──だけど、友達を求めていて、みんなと仲良くやっていくことを是と信じる美古都に対し、猫崎さんはそうは思えず、周囲に対し深く心を閉ざしていて。

 この辺りの精神的な差異が、有頂天部統合をめぐる序盤において、ひとつのすれ違いを招くことになるのだが──ここで厄介なのは(個人的にとても惹かれたのは)、猫崎さんの方はそんな自分の心を醜いと感じていて、美古都の幸せを自分の幸せと心の底から感じられない自身に対し、自己嫌悪に陥ってしまうことである。
 美古都にとって猫崎さんは自分を助けてくれた恩人であり、美しく、それでいて自分に優しく接してくれる彼女を、高嶺の花のように思っている。それに対して、猫崎さんは猫崎さんで、可愛くて誰にでも優しい美古都を神聖視しているという(互いに互いを光属性的な存在として認識している感じ?)……そんな2人が物語を通してすれ違ったり心を通わせ合ったりして結末に向かっていくわけだ。
 ──この2人に限らず、「相手に対して抱く感情」の描写に対する強度というのは、本作の大きな持ち味のひとつである、と思う。

(2タイトル分の紹介もあってちょっと長くなってしまった……)


ちょっとした後書き


 この記事を書くに当たり、当該作品の他に自分が過去に読書メーターに残した感想を見返したりもしたのだけど、あらためて過去に自分が書いたものを見直すという行為は中々に恥ずかしいものがあるなと感じました。
 この場合、恥ずかしいのは「過去の自分」というよりは、「距離を置いて見た自分」なんでしょうけれど。
 自分という生き物が恥ずかしい存在であるということは昔も今もこれからも変わらない、そのことは決して忘れてはいけない……なんてややネガティブなことを考えながらも、いつかまたこんな感じに、何らかのテーマに絞って過去に自分が触れた作品の感想をまとめたりしたいなとも思いました。

 ちなみにテレビアニメだと『SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!』や『BLUE REFLECTION RAY/澪』が好きでしたね。


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