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西尾維新『デリバリールーム』感想

「⋯⋯親を脅すとは、母は強いね」言ってぼくは、懐から封筒を取り出す。そう言われれば、もう言うことはない。「だが、ここまでする以上、プランがあるんだろうな? 幸せで安全な出産のための、バース・プランが」
 能面は答える。ぶ厚くも薄っぺらい封筒を手にして、自信たっぷりに。
「ある」


感想


 今年9月に発売された、西尾維新さんによるノンシリーズものの新作。ノンシリーズは、『ヴェールドマン仮説』以来、約1年ぶりとなる。著作100冊目として大々的に発表されたルドマン(勝手にそう略している)の情報を目にしたとき、テンションが高揚したのが記憶に新しい。著作の大半をシリーズものが占めている作家なので(単発で完結予定だったものが後にシリーズ化するといったパターンも多いが。『クビキリサイクル』『きみとぼくの壊れた世界』『化物語』『悲鳴伝』辺りがその例に該当するだろうか。逆に『新本格魔法少女りすか』『刀語』『掟上今日子の備忘録』『美少年探偵団』はシリーズ化前提)、完全新作が読めるのは実のところ結構レアで、喜びもひとしおなのである。まさかこんなに早く読めるとは(無論、新作が出るというだけで嬉しい。好きな作家が速筆であることほどの僥倖はそうそうないのではと思う)。

 で、その内容についてだが──実は、Twitterの西尾維新公式アカウントが初めてタイトルを公表したときには、既にAmazonであらすじが出来上がっていた(即見つけた)。

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 上が当時のあらすじで、下が現在のあらすじである。妊婦の数が6人から5人に変更されている(明確に「集った」と言えるのは5人なので、訂正したのだろうか)。
 ご覧の通り、「幸せで安全な出産」の座をかけて妊婦たちが勝負する(ゲームをさせられる)といった、とんでもないあらすじなんだけど⋯⋯結果としては、妊婦を題材に用いるに至り、配慮が細部まで行き届いており、誠実さを強く感じた一冊だった。病的、狂気的なまでに強烈に、これでもかと言ったレベルで、「妊婦」というものを読者の脳裏に、叩き付けるように植え付けてくる様は、初期作品を彷彿とさせる気持ち悪さに満ちておりながら、決して悪趣味の一言では済ませられない。コメディを交えた軽やかな文体で、暗くなり過ぎない作りになっている中で、作中の言葉を使えば、決して妊婦たり得ない男性──男性読者の一部にとって、シンギュラリティとなり得るような痛みの破片が、各所に散りばめられている。

 作中で感じた気持ち悪さの一例として、妊婦たちに出題されるゲームの数々が挙げられる。それらには産道ゲーム、想像妊娠ゲームなどといった、出産に因んだタイトルが付けられているのだけど、どのゲームの設定も、妊婦や出産にまつわる受難を抜群に上手くなぞらえられている。メタファーが秀逸⋯⋯秀逸過ぎて気持ち悪い。
 その中で特に感じ入ったものは、某ゲームにおける「不動ブロック」である。それは決して排除・解消できない障害の暗示(明示)となっている。戻らないものは決して戻らない、治らないものは決して治らない、というのは、比較的直近の作品の中では美少年シリーズにおいても強く伺えたけれど(●●とか、家族関係とか)、そんなシビアな現実の中で、どのように生きていくのか⋯⋯と言うより、どうにかして生きていくしかないという話。
 それは決して割り切れる問題ではなくて──世間では「ハンディを個性にして生きていこう」だとか「配られたカードで勝負しよう」だとか、そのようなことが言われていたりいなかったりするようだが、それらの言葉は、かなり残酷なメッセージを孕んでいる。しかし、そうじゃなくて、本作で描かれているのは、ハンディを抱えていたとしても、それでも幸せに生きていくことはできる、幸せに生きてもいいんだという、希望であり、祈りなんじゃないかと思う。そして、その希望を実現させるために、物語の主人公・儘宮宮子は──若くして自由と逃げ場を奪われた、誰もが味方できない立場へと追いやられた彼女が、思考を尽くし、止まらず突き進んだ末に、叫ぶのだ。自信たっぷりに──自信がないときほど大きくなる声で、力強く。

 割といつものことながら、エピローグが本当に爽やかなのである。西尾作品って、実に不思議なことに、本編がどんなに凄惨な地獄であったとしても、いざ幕を閉じれば、それまでが嘘であるかのように穏やかな余韻に包まれる。本作に関しても、ある側面においては実質的に何も解決していないに等しい結末なのに、それでも魔法のように優しく閉じられる。
 中でも、本作のエピローグは、西尾維新作品の愛読者にとって非常に強い意味を持つ、感慨深いものだった。
 何というか、「生きてたんだな⋯⋯」と。
 生きてたとは、作中の登場人物のことなどではなく、あの十年前の物語が、である。
 本作と同じく「新境地」と銘打たれたあの物語が、今もなお、作者の中で確かに根付いていることが明言されたにも等しくて、作家としての所信表明であるとも言うことができるか。改めての、初めまして。
 若干、あからさまと言えるくらいに物語のテーマを直接的に言及しているなとも思ったけれど、そのように(再)言及せざるを得ないほどに、何かと暗い話ばかりが目や耳に入って来がちな昨今を踏まえれば、それも十分に納得できる。

 因みに、両作品の対比を行うならば、あちらがひとりの子供──孤独な少女のための救済の物語であったのに対し、こちらはそんな子供を産む側の方に焦点を、光を当てた物語であると言うことができるだろうか。
 親と子。
 西尾作品って、実の親子間の直接的な会話などが極めて描かれない(きょうだいに関しては、その限りではない)ことに定評がある。自分の中で。
 本作で言うところの、冒頭の宮子と秩父佐助のやりとりのようなものが、少ないのである。逆に、宮子の母である澪藻が作中で直接登場しない点に、西尾作品らしさを感じてしまうくらいだ。登場しないにもかかわらず、強烈な存在感を放っていることまで含めて、だろうか。

 一般的な家族の生活の様子だとか、そういった当たり前のものを、極めて描かないのが、西尾維新という作家なのだ──世間にありふれたものが遠く、欠落した世界。仮に登場人物の家族が登場したとしても、大抵の場合それは普通じゃない、特異な家族である──特異な家族関係である。
 例えば、複数の父親および母親を持った子供だったり。父親の目的のために「製作」された少女だったり。××××に迫る兄妹だったり。殺人鬼となった者が集まって構成された家族だったり。一番メジャーな『化物語』においても、親や妹と気まずい関係にあり孤立している、両親が離婚している、親と死別している、甘やかされている、ネグレクトを受けている⋯⋯などといった、普通ではない、あるいは普通からはぐれた家族関係を抱えた少年少女が物語の主要な登場人物となっている(ここまで来ると、現実において、何ひとつの欠落も余剰もない「普通」の家庭なんて、却って珍しいのではないかと思わせられる。問題のない家庭なんてないし、それ以前に問題のない人間なんていない)。
 ならば、特異な事情を抱えた妊婦たちの物語である『デリバリールーム』も、その系譜にあると言えるだろう。従来の西尾作品にはない、異色で斬新な題材を取り扱っているように感じられつつも、こうして見ると、初期の頃から作者の中にあった何かを、今なお一貫して描き続けているように思えてならない(私としては、どちらかと言えば、新作を読んでから、逆行する形で旧作の発見を得ているわけだが。新作を読むことで旧作の解釈が広がる感じ)。
 ただ、その中でも、本作や『ヴェールドマン仮説』は、これまでの作品群に比べ、より踏み込んで家族というものを取り扱っている印象を受けた。その作風が今後、どのように変化していくのか。そんな点にも、地味に注目していきたいと思う。

 いい感じで落とし所に持っていけたような気がしたので、感想はこの辺りで。⋯⋯題材が題材だけに、今回はかなり現実を投影してしまう部分が強くて、人間不信ならぬ世界不信になるというか、現実に対して救いを見出せなくなるような、そんな暗闇に包まれてしまったりもする。「あれ? この世界、救いなんてなくね?」と、気付いてしまったような気分になるというか、深夜の静寂の中で、人生の悲しい側面ばかりに目を向けて、物思いにふけてしまうような、そんな感情を抱かせてくる。
 しかし、だからこそ、出産は──生命が生まれることは、祝福すべきことであるといった、あまりにも真っ当で、つい忘れがちな着地点に、不意に心を動かされもするのである。初心を引っ張り出されるというか、ひっくり返されるというか。
 読み終えてしばらく経っている今でも尾を引いていているのだけど(西尾作品には遅効性の猛毒がある)、それでも今は、読めて良かったと言っておきたい。それでいつか読み返したとき、また違う感想を得られたら嬉しい。

 ⋯⋯今回は出産にまつわる物語だったけれど、なら次は育児の物語になるのだろうか? 物語シリーズの現行シーズン(まだ読めてない)では、育児ならぬ虐待を、集中的に取り扱っているみたいだが⋯⋯。


人名の元ネタ(把握できた範囲で)


 多くの人物の名前に、『母』『生殖』『出産』に因んだ用語が入っている。

儘宮(ままみや)宮子(みやこ)

→ママ+マンマ・ミーア+子宮

ママ⋯⋯母親を指す言葉。日本では幼児語として用いられる。

マンマ・ミーア⋯⋯「なんてこった!」。「私の母親」を語源とするイタリアの言葉。また、ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』は、結婚や父親にまつわる物語である。

子宮⋯⋯哺乳類の雌の生殖器官の一部で、胎児を宿す場所。

妻壁(つまかべ)めしべ

→妻+めしべ

妻⋯⋯夫婦のうち、女性の方を指す。配偶者の女性。

めしべ⋯⋯種子植物の花の中心にある、雌性の生殖器官。雌蕊(めしべ)(しずい)。

妻壁⋯⋯建築物における、短手方向の外壁を指す。

嫁入(よめいり)細(ささめ)

→嫁+嫁入+私語(ささめ、ささめごと)

嫁⋯⋯自分の息子に対する、女性の配偶者を指す。近年では「妻」と同じように用いられる。

嫁入⋯⋯女性が結婚して夫のもとに行くこと。また、その儀式。

私語⋯⋯ひそひそ話。男女間の恋の語らい、男女が情を通じ合わせること。

母屋(おもや)幸美(こうみ)

→母+子産み

母⋯⋯親のうち、女性の方を指す。

子産み⋯⋯「子」+「産み」。

母屋(おもや、もや)⋯⋯「おもや」と読めば敷地内の中心になる建物を指し、「もや」と読めば屋根を構成する建築部材を指す。

(『儘(ママ)』宮、『妻』壁、『嫁』入、『母』屋といった名前の共通点は、必然的に想像妊娠ゲームの犯人を割り出していると言えるだろうか)

(名字が建築用語といった点において、妻壁めしべと共通しているが⋯⋯?)

産越(うぶごえ)初冬(うぶゆ)

→産声(うぶごえ)+産湯(うぶゆ)

産声⋯⋯赤ん坊が生まれたときに最初にあげる泣き声。

産湯⋯⋯生まれたばかりの赤ん坊を初めて入浴させること。また、その湯。

(生まれたときのまま、あるいは初心、恋愛に不慣れ、男女の情を解さないという意味の「ウブ」とも掛かっている?)

咲井(さいたい)乃緒(のお)

→臍帯(さいたい)、もしくは妻帯(さいたい)+胎嚢(たいのう)+へその緒(お)

臍帯⋯⋯胎児と胎盤を繋ぐ、ひも状の器官。「へその緒」の正式名称。

妻帯⋯⋯妻を持つこと。妻がいること。

胎嚢⋯⋯胎児を包む袋のような器官。

へその緒⋯⋯「臍帯」に同じ。


令室(れむろ)爽彌(そうや)

→令室(れいしつ)+?

令室⋯⋯他人の妻を敬った呼び方。

進道(しんどう)

助産婦(助産師)達は、しんにょう付きの漢字+道で統一。

選道(せんどう)


近道(こんどう)


逝道(せいどう)


遊道(ゆうどう)


秩父(ちちぶ)佐助(さずけ)

→父+乳房(ちぶさ)+授ける

父⋯⋯親のうち、男性の方を指す。

乳房⋯⋯哺乳類の雌の胸、腹にある、乳汁を出すための隆起した器官。

授ける⋯⋯子供を身ごもることを指して、「授かる」と言う。


儘宮(ままみや)澪藻(みおも)

→ママ+マンマ・ミーア+身重(みおも)

身重⋯⋯妊娠していること。

(「儘宮」は、「わがまま」も含んでいる?)

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