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映画『呪術廻戦0』感想-廻戦の狼煙は上がり続ける

 お久しぶりです。妖精お兄さんです。インスタで映画の感想を投稿してるのですが長すぎて投稿できなかったのでnoteで投稿します。

ずーっと新エヴァやっててくそくそ笑ってしまったんですけど、テーマとしては青春と解呪の話。

あらすじ

内向的な青年・乙骨憂太は幼い頃に目の前で事故死してしまった少女・里香に呪われている。ある日、乙骨の呪いが暴走してしまい取り返しのつかない大事故が発生。乙骨は五条悟の手引きで東京都立呪術高専高等学校に入学することとなる。学友たちと親交を深めていく中、強力な術師夏油傑が非術師を抹殺する"百鬼夜行"を宣言した。

乙骨憂太と祈本里香の別れ

 祈本里香による幼い頃の「結婚の約束」が呪いを引き起こしているのではなく、呪いをかけていたのは菅原道真の末裔という得意な血統によって並外れた呪力を持つ乙骨憂太の方だった。……というのが本編の筋。けれどもやっぱり最初に呪いをかけようとしたのは祈本里香だったんじゃないかな。これから先2人が散り散りになったとしても、乙骨憂太にとって幼い頃の初恋というノスタルジーは残り続ける。思いの蓄積あるいはノスタルジーは本作を貫き通すひとつのテーマでもある。

五条悟と夏油傑の別れ

 本作のもうひとつの軸は五条悟と夏油傑の青春時代の終焉だ。夏油は「強者が弱者に適応することの無い社会」の生成を目指している。本来は「強者は弱者を守る」ことを信条としていた夏油の思想とは相反するものだが、ミミナナの一件から変わったのだと推測できる。ただ、呪術師1強の社会を本気で望んでいる訳ではなく、「サル」と蔑んでいた禪院真希の血を踏んでいるところから彼の本質に変わりはないはずだ。これまで、大多数の弱者がむしろ少数の強者(=マイノリティ)を迫害していたことを目の当たりにしてとる手を変えたのだ。
 なぜ「勝算がなければこんなことはしない」と評価される夏油が「勝率は良くて3割」「呪術連がでばってくれば2割」の戦いを挑むのか。それは先程のキーワードでもあるノスタルジーを発生させる青春に関係がある。
 夏油傑の親友、五条悟は引きこもろうとする乙骨にこう投げかけている。

1人で生きるのは寂しいよ。


 「五条悟だから最強なのか、最強だから五条悟なのか」とまで言われる五条がかつて孤独に生きていたであろうことは想像にかたくない。そんな五条が「さびしさ」を感じる場所、それこそが呪術高専で、家入硝子と夏油傑と過ごしたほんの僅かな、それでいて永遠に残り続ける青春の日々だった。「上位陣」が乙骨の死刑を求刑するたびに自身の離反を仄めかしてまで止めるのは、もう戻らない青春の日々への憧憬と、自分が青春時代と正しく別れることができなかったことが尾を引いているのだろう。夏油傑の離反という形で青春と正しく別れることが出来なかった五条。それは夏油にとっても同じだったのだ。同じ特級として、今は「弱きを守り、強きをくじく」教師になった五条を殺すことで、あるいは弱者を守りながらも「強者が弱者に適応することのない社会」を作ろうとする自身を殺させることであの懐かしい日々を、呪いになりかけた思い出を精算しようとしたのではないか。

廻戦の狼煙はあがり続けてー正しい別れと青春と卒業と


 かくして物語は終わる。乙骨は里香と別れ、五条は夏油と別れた。二人は子供時代の淡い思い出と、最愛の人に別れを引き受けてその呪いを解きほぐす。最愛の人と別離に責任を持ち、未来へと進むこと、それこそが本稿で意図的に意味を確定せず乱発してきた「正しい別れ」なのだ。
 島村はジャンケレヴィッチのノスタルジーについて次のように述べている。

ジャンケレヴィッチによれば、そもそもノスタルジーとは、私たちが不可逆なものであることに発するアプリオリな感情であった。それゆえ、実際にはそれが具体的な対象を持つことはないので、 すべての過去の出来事がその対象となる可能性を有するのである。また、その対象は過去の事実であるので、「どこでもないところ」とは、空間上における場所の範疇から逃れる実在しないが確かに存在するもの、すなわち過去の事実のこと であるとされる(Cf. I/N, p. 361, 390 頁)。ただし、すべてを包括する不可逆な時 の働きによって、それを取り戻したいという欲求は満たされることはない。それ でも、「開かれたノスタルジー」の者は未来へと開かれた時のなかに身を投じ、 そのなかで再び失われたものとの不可能な出会いを求め、探し続けるのである。
(島村幸忠 「V. ジャンケレヴィッチのノスタルジー論 ――「閉じたノスタルジー」と「開かれたノスタルジー」を中心として――」(『あいだ/生成』4巻/2014年3月)


 乙骨が最後まで指輪を手放さず、着け続けるのは「どこでもないところ」の里香を求めながらも、未来へと開かれた時間の中を進もうとしているからだ。五条もまた、夏油を自ら殺したことで昔のように三人で過ごすことは決しておこらない。それでも、教師という子供の可能性という開かれた未来に囲まれて過ごしていこうとしている。閉じたノスタルジーから開かれたノスタルジーへの変化こそが本作のテーマだった。
 ところで、呪いが吹き溜まる場所の一つに学校がある。

大勢の思い出になる場所にはな、呪いが吹き溜まるんだよ

学校 病院 何度も思い返されその度に負の感情の受け皿となる それが積み重なると今回みたいに呪いが発生するんだ


「大勢の思い出になる場所」は「何度も思い返されその度に負の感情の受け皿」になりやすい。それはたとえいい思い出だとしても、過去を蘇らせることは場所に負のエネルギーを溜めてしまう。呪術高専もまた例外ではないだろう。学校という空間が、ひいては呪術高専がある限り呪いは消えず、蓄積していく。廻戦の狼煙は上がった。物語はまた始まる。「正しい別れ」をめざして。

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