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20年前のプリクラ




「わたしはいいから、みんなで撮ってきて」

「え、けいこちゃん、写らなくていいの?」

「うん。お金は払うから」

中学生の頃、プリクラの機械の前でいつもそんな会話をしていた。

100円玉だけ渡して、みんなはプリクラの中へ。
わたしは、ゲームセンターから出て、となりにあるペットショップへ。

何も知らない人から見れば、いじめに見えただろう。
お金だけ払わされて、ハブられているのだから。

ペットショップで、鳥を見て、ハムスターを見て、魚を見て、犬を見て、猫を見る。
一周ぐるっと回って、「そろそろかなぁ」って思ったタイミングで、ゲームセンターに戻る。

プリクラのとなりにあるテーブルで、ハサミでチョキチョキしているみんながいた。

わたしを発見すると、

「けいこちゃん、これあげるね!」

「ありがとう」

わたしを含めた人数分に分けられたプリクラを受け取る。

わたしが写っていない、綺麗なプリクラを。

家に帰って、さらに細かく、1枚1枚丁寧にプリクラを切りわける。
切ったプリクラを、お菓子の缶の中へ。

嬉しかった。

あの煌びやかなプリクラを持ち歩くのは、スクールカーストの上位にいる感じ。

わたしが写ってると汚れてしまうので、わたしが写らないように。


20年くらい前のあの当時。
プリクラを缶に入れて持ち歩くのが流行っていた。

学校の廊下を歩くと、誰かが缶をぶちまけて拾いそびれたのか、よくプリクラが落ちていた。

それを、誰にも見られないようにしながらサッと拾い、自分の缶の中にいれる。

知らない人のプリクラ。

知らない人のプリクラはとても綺麗。
何も情報がないから、「どんな関係性なんだろうなぁ」って想像するのも楽しい。


写真を撮られるのが嫌い。
集合写真なんて大っ嫌い。

わたしだけいつも浮く。なにがどう浮いているのか説明できないけど、明らかに浮いて見える。クラスに馴染んでいない。
目立ってる。気持ち悪い。

それがただの思い込みで、自己肯定感の低さからきているものだと、頭ではなんとなく理解していても、

でも現実に、目の前の写真では浮いて見えるので、破って捨てる。気持ち悪いなぁと。

他人の写真は大好きだけど、自分の写真は大嫌い。

「自分がされて嫌なことを他人にはしない」

この価値観に当てはめて使うと、他人の写真は一切撮れない。
ライブ写真も、本当は撮りたくて撮りたくてしかたがないけど、撮れない。

動物園でたくさんのカメラを向けられているパンダみたいで、推しが可哀想になってきます。

でも、ステージに立つ人は、写真を撮られることが好き。
または、好きではなくても慣れている人。

だから、そんなに気にすることはないんだろうなぁと思いながらも、

カメラを推しに向ける自分を想像すると、やっぱり気持ち悪い。
自分が気持ち悪い。

お金を払うので誰か撮ってきてほしい。

価値観はなかなか変わりません。
中学生の頃から、ずっとそう。

自分がされて嫌なことは、他人にはしない。

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