見せない美学
「あんたのアルバム、全部顔見えないな」
推しのライブ写真を貼り付けているアルバム。
主人に言われて改めて見ると、たしかに、ほとんどの写真は顔が見えない。
「わたしさー、極論言えばライブ写真以外の写真見たくないんだよね。自撮りとか加工写真」
「チャラも?」
「ホストんときの写真あるけど超キモいよ。見る?」
「見ない」
「テーブルの前に酒並べてさ、頭の悪そうな男3人くらいと一緒に酔っ払って変顔してんの。ムンクの叫び見たいな顔。気持ち悪い。こういう写真を堂々とアップできてしまうセンスのなさね。イケメンとか美人がよくしてる勘違い。自分はどんな顔しても良く思われるっていうね。そういう品の無さと図々しさが露呈してるんだよね。30超えて何してんのこいつって感じ。だから人気でねぇんだよ。汚ねぇ面見せんな。まじで死ねって思う」
「憎しみすごいな」
「そうね。気に入らなかったら本人不在で喧嘩始めちゃうし」
「まぁ、あんたの感覚は標準じゃないから、自分が標準だと思うなよ」
「はい」
でも、見えない美学ってあると思う。
どんなにスタイルが良い女性でも、全裸で街を歩いていればただの変態だ。
全裸で歩く女性を見て、ヤリたいと思う前に、
「ヤバい人なんじゃないか」「罠かもしれない」と、恐怖を感じるのが人だもの。
「胸の大きい女性ほど、谷間を見せるより、体に沿ったタートルネックのニットとか着たほうがエロく見えるじゃん。可愛い女の子ほど、メガネかけてたほうが惹かれるじゃん。そういうものだと思うよ。隠れていたほうが想像できるじゃん。だから顔がよく見えないライブ写真の方が良い」
「俺はそうは思わないけど」
見えない美学があるのだよ、わたしには。
恋愛は勝ち負けではないけど、勝ちを決めるのであれば、相手よりも【想像させられる人】が勝ちである。
「この人はどんな人なんだろう」と、相手に想像させられる人に魅力がある。そういう人が、人を惹きつける。執着してしまう。
「顔を出すなら心は隠せよ。ライブ写真上げたいならプライベート写真は控えろよ。逆に心を曝け出すなら顔を隠せよ。見せない部分がないとつまらないって分からないのかな。良かれと思ってやってんのかもしれないけど、相手の「想像する楽しさ」を奪っているってなんで気付かないの? バカなの?」
SNSによりなんでも見せられる世の中だ。
顔も変顔も、声も、プライベートも、家族も、制作の裏側も、心の内側も、夢や希望も、頑張ってる姿も、愚痴や不満も、水商売してる姿も、酒飲んで寝そべってる姿も、異性とのツーショットも。
全部全部見せて、「俺はこんな人間だから」ってアピールして、
果たしてそれで何が分かる。何が伝わる。
「自己主張が激しい奴なんだな」と思われるだけだ。
「だからさー、顔に自信がある人ほどメガネかけたほうが良いと思うんだ。サングラスは怖いけど、メガネなら良いなって思うんだ。チャラもね、もともと地味な性格なんだから、メガネかけたら真面目そうに見えてイケメン度が増すと思うんだ」
「それはあんたの趣味だと思うんだ」
「ええ、まぁ」
性格が地味で真面目な人ほどチャラチャラした派手な服を着て、
性格が派手で強気な人ほど、きちんと感のある服を着る。
服装と性格は真逆の場合が多い。みんな本当の自分を隠している。
わたしは後者。
メラメラしてる自分がいることを知ってる。
アイドルグループがダンスレッスンの様子をYouTubeにアップしていたけど、
きちんと仕上がったものをステージで見たいので、YouTubeは見ない。
発信者はもっと「見せない」を意識した方が良いと思うし、
こちらは「あえて見ない」を選択する。
楽しむために。
見えない美学、見せない美学はあると思うんだ。
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