うちの母君
もう自分の年齢の3分の2は実家の親元を離れて暮らしている。一緒に暮らしている時は気付かなかった、または息苦しかったことが、親と離れてみて客観的に見れるようになると冷静に分析出来るものだ。話が少し飛ぶけれど、私は占いが好きだ。沖縄の那覇、国際通りにある、沖縄出身のお友達のお母さんゴリ押しの占い師さんに、「あなたのお母さん強すぎ。一緒にいると仲良くなれない。離れてる方がうまくいく」と言われた。すごく腑に落ちた。私はもう絶対に実家に住むことはない。でも私に子どもが産まれて、1ヶ月は実家で過ごさせてもらったし、何かあればすぐに頼っている。私には鬼婆の印象だった母が、孫には甘いし優しい。こんな人だったんだ。私の母親は、なかなかクセのある人なのかもしれない。私は大人になってから気付いてしまったのである。
子どもの可能性を潰したいのか伸ばしたいのか
うちの母は、「分からない事があれば何でも先生に聞きなさい。質問することは恥ずかしいそとではない」みたいなことをよく言っていた。そうか、と思い、私はよく質問する子だったように思う。母は、子どもは希望に満ち溢れているのだ、と。
ある日、私は母に、「将来通訳になりたい」と言った。母は、「はっ。なれるわけないじゃん!通訳にだなんて、青学行けるくらいじゃないと無理よ」私はこの時小5くらい。青学なんて知らないし、もちろん英語もできないが、そんな一瞬で子どもの夢を潰す人っている?母は、私がやりたいということを全力で否定する人だった。
そう、思い出した。当時家なき子という、安達祐実さん主演のドロドロネガティブなドラマが流行っていた。私小3くらい??同世代の安達祐実さんに憧れて、私も女優になりたいと言った。
母は、「ピンクレディなんて、三日三晩寝ずにご飯も食べれずに働いてんだ!そんなことできんのか!今日から3日間食事抜き睡眠抜きが出来たら考えてやる」と言われた。ピンクレディなんて知らないし、いきなり超売れっ子の人たちを引き合いに出されてもよく分からない。私は安達祐実さんのようにドラマに出てみたいという憧れを持っただけだ。私の夢は儚く終わった。
この、母の矛盾してる考え方に、私はすごく振り回されていたことに気付いたのは大人になってからである。
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