見出し画像

パセドウ病のはなし

14歳の時、パセドウ病になって見た目が大きく変わった。

私は中学生のとき、バスケ部だった。
放課後は毎日の外周ランニング、練習にあけくれた。
これといった才能もないので、ずっと補欠なのだけど、、、

ある日から心臓が常に動悸するようになり、
まずは外周が走れなくなった。
そして中2の夏。
夏休みの夏期講習に通っていたのだけど、どうしても朝起きれない
動悸がひどく自転車にのれない。。
なにかおかしいとは思ったけど、自分の体になにが起きているかがわからかった。
朝起きれない、外周のランニングができないとなれば、ただのさぼりとして
みんなからはいわれるようになる。

でもなにか体調が悪く、母に病院行きたいと言ってみるも、いい顔はしない。仕事を休んでまで娘と病院にいくような母ではないのも知っていた。

病院には行ってもいいが、お金は後でお母さんが払いにいくからといいなさいと言われ、中学生の私は一人で内科へ。
熱もないし、原因がわからなかった。とりあえず自律神経失調症?かなとのことで様子をみてと言われた。

中2の冬休み明けに学校へいくと、クラスメイトから目整形した?
先生からもなんか印象が変わったな。と言われるようになった。
目が出ている、デメキンと呼ばれるようになった。
自分では気づかなかったのだけど、確かに横を向くと瞼には脂肪がたっぷり
目が出ている。
インターネットのない時代、なにも調べることもできなかった。
整形ではない、なんで目が出るのかわからず、重い辞書を目の上に置いたり、うつ伏せで目を圧迫したりして、目が出ないように必死に抵抗した
悲しくてないた。。
バスケ部の仲良しの友達は一度も目に触れることなく、そのやさしさが身にしみる。

中3の夏。母が病院に行こうと言い出す。首は腫れ、目が出ていて見た目が変化してきていたのだろう。。
友達が良い病院を教えてくれた!と向かった先は原宿、表参道にある
『伊藤病院』パセドウ病の治療に特化した有名な病院。
向かう電車でも私は立っていることが困難、しゃがみこんでしまうほど、体調が悪かった。

血液検査、尿検査でその日のうちに甲状腺機能亢進症(パセドウ病)の診断がでた。数値は振り切れていて、状態は最悪であった。
『今日来てもらってよかった。お辛かったと思います。。』と先生が言ってくれて救われた

眼球突出はパセドウ病の症状で、14歳と若かった私は進行がはやく、様子を見ている間にどんどん進行、悪化したのだと聞く。

最初に感じた異常からは一年も経っていた。
そして、一度突出した眼球はもとには戻らないと聞いた。
14歳の多感な時期。。絶望しかなかった。。

少し前に本田圭祐選手が眼球突出でパセドウ病では?となったことがあった。本当に目の印象が変わってしまうのだ。

見た目が大きく変ってしまったという、もう取返しのつかない事態に、
お母さん、どうしてもっと早くに病院に連れて行ってくれなかったんだ。。
とやっぱり恨んでいる。

3回目からは仕事でいけないから、表参道まで一人で行ってと言われ、
先生も未成年に病状を説明するのに困惑していた。
仕事を免罪符にする親。やっぱにひどいよ、、

幸い、薬を飲むことですぐに体調は良くなった。
デメキン、整形女とあだ名がついていた中学校も卒業した。

出目なことや、容姿は今もずっとコンプレックスだけど、
高校以降に出会った人で病気で出目になったとはいってない。
なんとか受け入れようと思っているけど、自分の顔は嫌いだ。

今はインターネットが普及してすぐに症状や病気が調べられる時代、
悪化すると見た目も変化してくる病気。
だからどうか、あれ?とおもったらすぐに病院にいってほしい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?