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はじまり
認知症の始まりはいつだったのか。
今は中等症の認知症と言われ、短期記憶がほとんど覚えられない状態にありますので、昨日なにを食べたか、何時に寝たか、薬を飲んだか?との質問には適当にしか答えられませんし、確実ではもちろんありません。
一応返答はします。
食べたよ、とか、昨日は芋の煮っころがしだったとか、うどん食べたとか。
これはなにも嘘を言ってるわけじゃないのです。
過去の記憶をさかのぼり、自分なりに考えた結果、以前いつかわからないですが、芋の煮っころがしを食べた記憶や、うどんを食べた記憶を引っぱってきているのです。
あたかも昨日食べたかのように。
周囲の人間はこれを否定してはいけません。あくまで話を合わせておいしかった?とか、よかったね!と同意し同調していくことが必要です。
心理学の傾聴の原則は同意、同調、共感です。否定は絶対にいけないことなのです。
父が亡くなってもう6年くらいが経過していますが、少なくても6年前の母はこんな状態ではなかったのです。
僕が父が亡くなってから僕もなかなか気持ちの整理がつかずに母のところにいくのは1週間に一度くらいでした。
どんどん痩せていく母をみて、食べてないのでは?と感じ、いつもなにを食べてる?と聞いても、うんうん、適当に食べてるから大丈夫だよと返答するだけでした。
この時期に僕がもう少し深く介入するとよかったのかもしれません。
冷蔵庫には賞味期限が切れた、豆腐がはいっていたり、腐ったもやしなどの野菜がそのままになっていました。
もともと料理が好きではなかった母だったので、無関心なんだろうなと思ったくらいでこの時期に始まっていたと考えてよかったのだろうと思います。
ある日、財布がパンパンに膨らんでいて見ると小銭が山ほど入っていました。
小銭を基本的にはきちんと使う人だったのですが、それが面倒になり、お札でしかものを買わないという風に変わっていったのも、認知のサインだったことに気が付かないでいて、小銭がどんどんたまっていきました。
その小銭を僕がせっせとお札に両替をしてあげていた自分がバカに見えてきます。
あら、小銭を変えてくれるの?
うんうん、院でおつりで渡すからちょうどいいよ、全部かえてあげるね。
そういって、毎週のように小銭をお札に変えていたのです。
考えると後から後からでてくるんです。
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