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ファシリテーションに自信を持つために

うまいファシリテーションとは?

ビジネスや公共の分野で課題解決や価値共創に取り組まれている社内外の皆さんから時々、「ワークショップのファシリテーションがうまくなるにはどうすればいいですか?」という質問をいただく。難しい質問だと思う。
そしてこれが社内の後輩が相手だと、ワークショップの終了後に「私、うまくファシリテーションできてました? フィードバックがあればいただきたいです!」と元気よくお願いされる場合もある。やはり返答に窮する。
悩んだ末に、たいていはこう答える。
「ワークショップは生き物だ。うまくやろうとする気持ちなど、その人のエゴでしかないよ」と。

実際のところ、参加者はファシリテーターに上手さなど求めてるのでしょうか。大抵の場合、ワークショップの参加者というものは、知らない人が大勢いる場に連れてこられて緊張してる場合が多いですし、ファシリテーターに対しても何かを期待するどころではなく、「この人、何者?」というのが正直な気持ちではないでしょうか。むしろ、最初から全員にこやかに打ち解けてテンションが高い状態だったら、かえって異様だ、くらいの気持ちで取り組んだほうがいいように思います。

危機やリスクを事前にしっかり想定して対処しておくことが必要なこともありますが、ワークショップはいったん始まってしまったら、起こっていることには意味があると信じて、場やプロセスに委ねていく姿勢が大事なのではないでしょうか。

引用元:『対話する力 ファシリテーター23の問い』中野民夫・堀公俊著(2009年、日本経済新聞出版)

問うべきは、プロジェクトリード力では?

ただ、ひと飛びにファシリテーションがうまくなることはできませんが、自信を持つことは可能です。それはプロジェクトリードとしての力を身につけることです。

そこでここから先は「ワークショップでのファシリテーション」から少し視点を広げて、「プロジェクトにおけるリード能力」がファシリテーターの自信に結びつくという話をしたいと思います。

まず、課題解決や価値共創の活動において、ワークショップ自体はコ・クリエーション(共創)を通してゴールにたどり着くための手段であり目的ではありません。ワークショップ単体で成果が出るものではないし、ファシリテーションの巧拙もプロジェクト全体を通してメンバーどうしの共創が生まれたかという視点で考えるべきです。

そして、「プロジェクトリード」とは端的に言うと、プロジェクトのあらゆる場面で仮説を含めた最適解を自ら提示し、プロジェクトを前進させる力。メンバーにベクトルを示し人を動かすことができる能力です(※)。「プロジェクトマネジメント」は職種としての「プロジェクトマネージャー(PM)」に必要なスキルですが、プロジェクトリードはPMに限らずメンバー全員が意識すべきスキルです。

そのプロジェクトリード力が、なぜファシリテーションでの自信につながるのか。理由は二つあります。

自分なりの仮説を示す姿勢

まず、ひとつ目は、共創を通してプロジェクトをゴールに導くには、ファシリテーターであっても自分なりの仮説を持ち、時と状況によってはそれを参加者に示すべきだからです。

ワークショップを実施していて、参加者どうしの検討が行き詰まったとき、もしくは参加者のモチベーションが上がらず活動や対話が停滞したとき、局面を打開するには、ファシリテーターは待ちの姿勢を保ち続けるのではなく、自ら率先して自分なりの仮説、もしくは仮説に裏付けられた問いを示すことで周囲に新しい視点を与える必要があります。
課題解決にしろ価値共創にしろいずれも一筋縄ではいかない難しい活動であり、絶対的な正解や指標は存在しません。正しいかどうかわからないし、パーフェクトでもないが、より望ましい解を目指して率先して試行錯誤するマインド、これがないとワークショップの場に限らずプロジェクトをゴールに導く、つまりリードすることはできません。

「ファシリテーターが自分の考えを持つのはよくない。該当分野に関して特別詳しいわけでもないフラットな立場で中立的にふるまうからこそメンバーの新しい気づきを引き出せる筈だ」という考え方もありますが、私は「フラットであること」「中立であること」に過度に固執することはよくないと考えます。自分なりの仮説や考えを持っていても、それを押し付けることなく参加者と公平に対話する能力があればファシリテーターとして振舞うことは可能ですし、むしろ、何かしらの課題やテーマに真剣に取り組まれている参加者のみなさんが、該当分野に関する知識をあまり持っていない人や、仮説や見通しを何も持たない人をファシリテーターとしてどこまで信用するのかには疑問を感じます。

場づくりに対する説明責任

もうひとつの理由は、ファシリテーターは、ワークショップの場で参加者の意識を高めるために「なぜ、ワークショップをやるのか?(なぜ、このような場を設定したのか?)」を説明する責任があるからです。そしてそれを自分の言葉で語るためには、ワークショップ単体を視野にすえるのではなく、プロジェクトリードとしての視点を持つことが必要だからです。

先ほど、プロジェクトにおいてワークショップは目的ではなく手段だと書きました。「組織やチームのビジョンをつくること」「課題に対する共通理解を得ること」「新しいアイデアを考えること」こういった目的はやや意地悪に言えば、いずれもワークショップをせずとも実現しようと思えばできます。しかし、やる以上は、「なぜ、やるのか」「やる意義は何か」「何を問いたいのか」「どういう場をつくろうとしているのか」等を、一般論ではない自分の言葉で解像度高く語れないと、参加者どうしの共創を促すことも、参加者の信頼を得ることもできません。
ここで自分の話になりますが、私が過去に「ファシリテーションで失敗した」と感じたケースの大半はこの説明責任に対する意識不足が原因だったと思います。そもそも、やる必要のない・やらないほうがいい場面でワークショップという手段に依存してしまったり、何となくやる必要性を感じて実施はしたが、実施の意義がまだ自分のなかで整理されないまま決行したがゆえに、共創が生まれなかった・参加者の信頼を得られなかった等の痛い経験がありました。

「なぜ、やるのか」「やる意義は何か」「何を問いたいのか」「どういう場をつくろうとしているのか」こういったことを参加者に向けて自分の言葉で語る自信があれば、うまくファシリテーションできるかという不安もかなり解消できるのではと考えます。たとえ、懐疑的な態度をとる参加者がいても自信を持って自分の考えを伝えて立ち向かえるでしょうし、想定外にプログラムの時間が超過しても、この場では何を達成することが重要なのかの視点がぶれなければ多少の想定外は適宜調整してなんとか乗り切れるものです。


ここまで、ファシリテーターとしての自信を持つためには、「ワークショップ」「ファシリテーション」という言葉にこだわらずに、まずプロジェクトをリードする力と意思を持つことの重要さを書きました。

最後にもうひとつ、最近、私自身が個人的に気になっている問いを紹介したいと思います。それは、ワークショップに頼ることが、プロジェクトリードの潜在能力を温室培養的な弱いものにしてしまうのではないか? という問いです。
こんなことを考えたきっかけは、書籍『対話する力 ファシリテーター23の問い』のなかの次の一節です。

現実の社会では、人と人とが出会う時に、皆が同じ時間だけ順番に自己紹介していくといった恵まれた場はまずありません。知らない人だらけの中で、タイミングを見計らって他者に話しかけ、自分のほうから名乗ったりして、きっかけをつかんでいかないとなにも始まりません。巧みなアイスブレイクに乗っかることに慣れすぎてしまうと、生身の世界で関係を切り開いていく力を弱くしてしまうというジレンマです。

引用元:『対話する力 ファシリテーター23の問い』中野民夫・堀公俊著(2009年、日本経済新聞出版)

ワークショップはコ・クリエーション(共創)の強力な手段ですが、ワークショップだけに頼らず、共創のマインドセットが埋め込まれた組織やチームを作るためには何が必要か? 私がこれから考えたいテーマです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


後記

今回の記事の構成にあたっては書籍『対話する力 ファシリテーター23の問い』より何個か引用をさせていただきました。「ワークショップ」というものに初めて出会った頃から現在に至るまで、たびたび読みかえしている本ですが、読むたびに新しい気づきを届けてくださる著書への敬意と御礼をこめて、ここで皆さんへのオススメ書籍として紹介させていただきます。ありがとうございました。


(※)「プロジェクトリード」の説明は、私が所属するコンセント社の「技術マトリクス」から引用させていただきました。
https://www.concentinc.jp/design_research/2023/12/skill_matrix3/






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