日々の工夫から、創造性を考える。
「これからの組織に創造性が大事だ」「産業競争力を高めるために創造的な人材の育成が必要だ」。このようなことがいろいろな場で主張され語られています。そして、創造性の獲得を目的にした様々な書籍や研修などが存在します。
ただそこには、現代社会の経済活動を支えるビジネスの現場そのものが、人間に創造性への苦手意識を持たせてしまうような構造になっている。そんな背景も潜んでいるような気がします。実際、ビジネスの場で重視される傾向にある「生産性」や「効率性」という価値観は、「探究欲」や「好奇心」など創造性に関連する(と一般的に思われている)価値観とは、そもそも相性が良くない側面を孕んでいると思います。
そしてさらにそもそも、なのですが、創造性は周囲から要請されることで発揮する(すべき)ものなのでしょうか? そこにはもっと個人の自発性が必要ではないでしょうか?
・・・あれ、なんだか挑発的な書き出しになってしまった・・・ここでいったん筆を起こし直すか・・・。
まず最初に、私はビジネスの場に創造性が必要であることに異論は持ちません。そして、ビジネスと創造性に関して多種多様な研究や実践の取り組みがされている現状に、冷や水を浴びせようなどという気もありません。
ただ私は最近、創造性は特別なものではなく、人の普段の暮らしにすでに埋め込まれていること、そして、その事実に気づくだけでも人の創造性はグンと磨かれるのではないか? そんな仮説を抱えており、今日の記事ではそれを書いてみます。
※ 創造的な人材を育成するための活動が孕む問題点については、私の同僚の小山田がこの記事でもう詳しく課題を提起してますので、よかったら合わせてご覧になってください。
「創造性」という概念がいつから生まれたのか私にはわかりませんが、日本語には古くから創造性もしくは創造的な活動を表すために「工夫(くふう)」という言葉があったように思います。
工夫とは、もともとは仏教用語で手段そのもの、あるいは手段を講ずるという意味で古くから用いられた言葉であり(※1)、現代の日本だと、どちらかといえば大規模な活動ではなく、日常生活での小さな行為に対して使われることが多い印象です。
私たちは、日々創造性を発揮できていると自信を持って答えられる人は少ないかもしれませんが、日々の暮らしで何かを「工夫した」経験なら誰にでもあると思います。もしくは、そんな工夫をうまく実践している人が周囲にいると思います。たとえば、人に喜んでもらえるよう料理の味付けや盛り付けを工夫している人、健康と住まいを守るために寒暑を避ける工夫をしている人、若干古くなりかけた衣服を綺麗に保ち楽しく着こなす工夫をしている人・・・・
市井の暮らしでそのような工夫をしている人に触れて学ぶことで「創造性」とは何かを考えるきっかけにならないだろうか? そして、自分の創造性に少しだけ自信を持つことはできないだろうか? そのような問いを抱いたときに私が思い浮かべたのは、手作業でものを作る工房でした。
そして、ちょうど私が所属している株式会社コンセントで「ひらくリサーチ」という自主的活動が始まったことをきっかけに、その活動に位置付けるかたちで、手作業でものを作る現場を体験してみることにしました。選んだ現場は、「さをり織り」(※2)という手織りの工房です。
初夏の晴れた週末、郊外の駅で降りたあと、大きな公園のなかの森を横切り、小川沿いに立つ小さな工房を訪れました。周囲は水のせせらぎと葉擦れの音が聞こえてきそうな雰囲気。数十分前に駅の雑踏を歩いていたことが信じられないのどかさです。
工房の壁には、さをり織りを生んだ城みさをさんによる「さをり四つのねがい」がキャンバスに手書きの文字で書かれています。
「キカイと人間の違いを考えよう」
「思いきって冒険しよう」
「キラ・・と輝く目をもとう」
「グループのみんなで学ぼう」
はじめての私は、工房のスタッフさんにまず、「さをり織り」とは何かから教えていただき、そのあと、糸の巻き方と織り機の使い方を教わりました。教えていただいたあとは、気になった色の糸を選んで自由に織るだけです。
「さをり織り」の織り方はシンプルですが、やっている最中に余計なことを考えていると、踏木をカクンと踏むのを忘れたまま、うっかり糸をひいてしまったり、杼(横糸を通す道具)を飛ばして床に落としてしまったり、織り糸の上で鋏を使おうとしてしまったり(万が一、鋏を手から落としてしまうと織り機にセットした糸を切ってしまう恐れがああるのでNGだそうです)、ところどころでドジなことをやりそうになりました。織り機があった場所はちょうど窓に面していたので。工房の窓から見える緑を眺めながら気持ちを落ち着け、心のなかで「とん、すー、とん、すー・・・」と唱えながら織り続けました。
糸の色を変えるタイミングも本当に気の向くままです。一度にあまりたくさんの量の糸を杼に巻くことはできないので、どのみち、糸はちょくちょく変えねばならないのですが、使い切る前に変えるのか、使い切ってしまってから変えるのかなどは本当に気分次第です。
途中でお昼とおやつの休憩を挟んでも約4〜5時間くらい織り機に向かったでしょうか。夕方前には無事に彩りはなやかなストールを完成できました。
ところで子供の頃、幼稚園でクレヨンを使って絵を描いたことのある人は多いと思います。もしくは、絵を描こうという気持ちすらなく思いのままに好きな色を手にして画用紙にゴリゴリと線をひいたり塗りつぶしたりした体験・・・。「さをり織り」の体験はそれに近い感覚でした。
さて、緩い随筆調になってきましたが、ここで改めて本旨に戻り、手織り工房での体験で感じたこととを、創造性の発揮という観点から自分なりに言語化してみます。
工房で最初に、織り方の説明を受けているときに、印象に残った言葉がありました。
この言葉を聞いて思い出した体験がひとつあります。ある組織における「デザイン思考」のワークショップで、ダーティプロトタイプ(製品開発の現場等において手書きのスケッチや段ボールなどでラフにつくる試作品)をつくるワークをやったのですが、自分がつくったプロトタイプを人に見せることが嫌だと言ってきた人がいました。一瞬、「え、なんで?」と思ったのですが、話を聞いてみると、子供の頃から図工が苦手で、その頃の思い出のせいか、ものを作ることに対して劣等感を持っていたらしいです。
同じような経験は実は私にもあります。私は子供のころから絵や工作で何かを表現することが好きだったのですが、小心で臆病だったのでしょうか、授業で隣の席の子から「それなに?」と言われたりすると、なぜかとたんに手を動かせなくなってしまうのです。
このように、手を動かしてつくる意欲を摘み取られそうになった過去のネガティブな体験が、創造性の発揮と向上を阻む要因に及ぼす影響は小さくないと思います。
ここで気づいたのですが、ビジネスの現場で社会人の創造性を高めることを目的にした活動では、先に書いたような過去のネガティブな体験を抱える人に対して、改めて安心感や肯定感を与えることで自信を回復させる活動が必要ではないでしょうか。
そういう意味で「何をしても間違いはないからまず安心して手を動かしてみよう」、この姿勢を持って働きかけることはとても大事だと思いました。
もうひとつ、体験を通して私のなかで新たに生まれた仮説があります。
さをり織りを生んだ城みさをさんによる「さをり四つのねがい」のなかに、「キカイと人間の違いを考えよう」という言葉がありました。そこには「機械にできることは機械に任せればいい。自分が織るのだから自分の織りをすればいい」というさをり織りの大切な考えがあるのだと思いますが(※3)、そもそも世の中に機械が出現したことで、人間に「効率化」「生産性」という概念が生まれ、普段の生活のなかで工夫を凝らす、つまり創造性を育む心理的な余裕を人間から奪ってしまったのではないでしょうか。
先に「工夫」という言葉は仏教用語だったことを引用させていただきましたが、さらに言うと、工夫という言葉は、手間ひまかけること、努力すること、さらには手間ひまかけるだけの時間的余裕を意味する俗語として用いられるようになったそうです。(※4)
ビジネスの現場で「効率化」「生産性」をまったく忘れろ、というわけにはいきませんが、創造性を発揮するためには、ときには自分の身体の速度をあえて落とすことも必要ではないかと考えました。
最後に、人の創造性を発揮するために、何が必要か。手織り工房での体験を通して考えた自分なりの仮説を整理してみました。
何をやっても間違いが生まれない活動や場をつくることで、創造性に関してネガティヴな原体験を持つ人の自信を回復することはできないだろうか。
考えたりつくったりする速度を、あえて意識的にスローダウンさせることは、人の創造性に好ましい影響を及ぼすのではないだろうか。
そのほかにも、素材(糸)と対話し素材を大事にする姿勢、情報を遮断して安心して集中する環境など、さをり織りの体験を通して気づいたこと、書きたいことはまだいろいろありますが、長文になったので今日はいったんここで締めたいと思います。
なお、この記事は、先に紹介した自主活動「ひらくリサーチ」の報告を目的に執筆しました。内容の完成度よりもまずは自分の思考の痕跡を外部化することを優先したため、まだ考察に甘い点があると感じています。今後、さらにいろいろな「工夫」の現場をみることで自分の考察にさらに磨きをかけていきたいと思います。そして、今後、同じような課題意識をお持ちの方がいらっしゃったらぜひ意見交換させていただけると幸いです。
荒削りな文章を最後までお読みいただきありがとうございました。それではまたお会いしましょう。
参考資料・引用元
※1:日蓮宗サイト「じつは身近な仏教用語」https://www.nichiren.or.jp/glossary/id37/(2024年8月9日閲覧)
※2:さをり織りとは、自分の感じるままに好きに好きに織る手織りで、見本はなく何を何色でどんな風に織るか、すべて織り手本人に委ねられている。(「人と自然をみつめる織空間 さをりの森」https://www.saorinomori.com/saori(2024年8月9日閲覧)より引用)
※3:手織工房じょうたのオフィシャルHP「感力がもたらすもの」https://www.jota28.com/asanart/asanart_04.html(2024年8月9日閲覧)
※4:※1の引用元に同じ。
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