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『本当に大切なものは目に見えないんだよ』を体現する文化で暮らす

前回に引き続き、少し思想的な要素が今回も強いです。新卒1年目に大学時代の友人と、あるゲストハウスを訪ねた時の記録。

はじめに

小娘の出身は埼玉県。大学は東北地方の某地方国立大学へ進学した。

小娘の卒業した高校の友達は、常識人でかつ友情に厚い人が多かった。自身も、この環境に居心地の良さを覚え、とても充実した学校生活を送った。本当に友人の存在がありがたかった。

みんな心から応援してくれたのだが、ひとつだけ小娘の中で引っ掛かる言葉があった。それは同級生からも、時には大人からも言われた言葉だった。

「首都圏から田舎に行って、何があるの?」

初めに言っておくが、これを言ってきた人を責める気は毛頭無い。しかし、首都圏住みの私たちの中で、敢えて地方の大学に行く人は本当に一握りだった。実家から通える首都圏の大学に通うことが当たり前だった中、私の決断は奇妙と言えば奇妙である。そして、当時考えても明確な回答を言えなかった事に、少し自分の中で引っ掛かり、戸惑ったことは確かである。

前置きが長くなったが…本題に入ろう。

織山さんとの出逢い

小娘が所属していたサークルは地域貢献や国際協力を謳う組織だった。そこでサークルを越えて出会った人は、今まで小娘が出会うことのできなかった、面白い経歴を持っている人ばかりだった。

そのうちの1人が織山さんだ。
織山さんはもともと首都圏で会社員として働き、東日本大震災を機に今のビジネスを始めるために、地元に戻った。

小娘は大学の時の友人と3人で、織山さん一家が運営するORIYAMAKEにお邪魔した。

織山さんにここでの生活のこと、きっかけを深く聞くことができた。その時の言葉が今でも忘れられない。

ここに戻ってきたきっかけは東日本大震災。あんなにモノで溢れかえった東京から買い占めでモノが無くなった。ここは、お米さえ持って出掛ければ、途中の山道で全て調達できる。何も無いようで実はある。餓死する事はないと思う。

小娘達は、ORIYAMAKEで行っているアクティビティに参加し、それを身をもって体験した。

自然と共に生きるということ。
地域コミュニティの中で生きるということ。

ORIYAMAKEのアクティビティは本当に充実している。そして織山さんのホスピタリティには頭が上がらない…

夜ご飯の食料として、ふきのとうを庭裏から採ったり、裏山のハイキングをした時は、クロモジの木を見つけ、枝を研いで箸にして、昼食を頂いた。食後には同じくクロモジの木を煮て、クロモジ茶を頂いた。他にも、コースターを作るために実際に木を切らせてもらったり、特別にお庭でアウトドアサウナもさせてもらった。

これだけでは無い。
マタギ文化についても少々ながら教えてもらったが、ここにもヒントがあった。

日本の狩猟文化と海外の狩猟文化には大きな違いがあると言う。海外の狩猟は、広大な土地があるため獲物の数を気にすることがなく、制限なしでその地域の動物達を狩ることができたらしい。だから狩る動物がいなくなると、遊牧民のように移動しながら生きていた。場所を転々としながら5~10年後に元の場所に戻ってくると自然と動物が増えていたというわけだ。それに対して、日本の狩猟は土地が狭く、移動しながらの生活が困難であったと考えられており、定住しながら狩猟をしていた特徴がある。住んでいる地域の動物達がまたその場所で繁殖できるように、全てを狩る事はせず、頭数管理をしながら本当に必要な分だけを狩るという。定住しながら狩猟を続けていたのは日本だけだと言われているそうだ。

必要でもない量を我先にと買い占めてしまう首都圏にはない考えではないだろうか。

お互いの後世に思いやりをもった行動をする。
自然や地域コミュニティで生きるということは、そういうことだと思った。

この精神というのは自然と共存していく中で、地域コミュニティで生きていく中で、大切なファクターの一つだと思う。私は何世紀にも渡って受け継がれて来たこの精神を、ORIYAMAKEから学んだ。

相手に依存するのではなく、自分で掴み、さらに他に分け与える。

「本当に大切なものは目に見えないんだよ。」

星の王子さまの名台詞をふと思い出す、そんな濃い滞在をした、不思議な経験でした。
是非、みなさんにもこの体験を!


見出し写真は、ORIYAMAKEの素敵な囲炉裏🤎
そして私が滞在したORIYAMAKEはこちら💁🏻‍♀️

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