4年くらいたってもまだここ

はーーなんでこんなせまっちいんだ〜〜と、いやそれはそうだよな?がせめぎ合って決着がつかずはや4年。TikTokが流行り始めてから、そのとき高校に入りたてだったわたしもその波に乗っかって非常に楽しんでいた。15秒という短い動画に素敵な映像や絵と共に音楽がついており、新鮮で色々なものに出会えて、それは絵を書いた方であったりかっこいい映像をつくった方であったり、もちろん音楽もそうなのだが、とにかくスクロールする手が止まらなかったしいいね数もすごいことになっていた。そんな日々をすごしてどのくらいたったか、わたしはその当時の世間でのTikTokの反応も徐々に知っていくようになる。知っていくというか、ちゃんと目にいれるようになった。Twitterももちろんよくみていて、そこには口調の強い批判の意見もたくさんあって(例えば権利に関するものとか)、最初はやっぱりTikTokが好きだったからべつにいいと思うけどなあと思っていた。色んな音楽知れるじゃんって。けど少しづつそんな頑固な部分もほどけていって、目を開ければ開けるほど、わたしの気持ちはなんとなく変わっていった。そして間もなくわたしはTikTokのアプリを消したのだが、2つ、そこにいたった大きなきっかけがあった。ひとつはまさにTwitterでみかけたもので、誰だったかは忘れてしまったけど、アーティストの方ご本人が、自分の知らぬところで自分の楽曲が好き勝手使用されてることを怒っているもの。ふたつめ。ある曲と共に絵で天使が登場するストーリーの映像が流行っていたとき、わたしは絵がとっても上手な友達に、この曲とこの絵がいいんだよね〜とみせた。そしたらその友達が、「うわ、それ○○の曲じゃん!!!」と声を荒らげた。こんなふうに言っていたかどうは忘れてしまったけど、すごく悲しんでいたのをよく覚えている。それ以上話はしなかったけど、たしかそれはゲームかなにかの音楽で、その友達はそのゲームとその曲がすごく好きで、だからこそ全く関係のない、なんの曲かも分かっていない人も少なからずいるだろうに、流行っているからという理由でみんな同じような絵をのせてアップしているのが嫌だったんだと思う。たしかに、わたしはその曲が好きだと言ったけど、その切り取られた数十秒しかその曲は知らないし、なんの曲かも全く分かっていなかった。調べようともしなかった。それに気がついて、自分がなんだか嫌になった。そうしてわたしはアプリを消して、どちらかというと批判する側にまわった。でもどっちつかずだったし、別にどこかへこれは悪だと書き込むわけでもなく、なんとなくのもやもやだけかかえ、でもそこにはTikTokへ対する嫌悪感も含まれていて、正直それは増している、と思う。高校生くらいから結構色んな音楽を聴くようになって、今年3月に卒業した専門学校に在学している間は、かなり早いスピードで音楽にのめりこんでいった自覚がある。やはりそうなると聴く音楽はランキングにのるようなメジャーなものというよりかは、少し道を外れて歩いた先にあるような、つまりマイナーとジャンル分けされる曲が多くなってきて、もちろんそればっかりではないし、その中でも名の知れたアーティストやバンドの方もたくさんいたけど、私の周りでは知ってる人はいなくて、というようなものが多くなった。youtubeにmvがあがっていてコメントが解放されていると、数十、または数百のコメントがだいたいついていて、その一つ一つを、その曲を聴きながら読む。感動や、感謝や、もちろん愛もたっくさんつまっていて、そのコメントをした人のことを想像したりもして、勝手に親近感をおぼえて、そんなふうにして私の中で出来上がった宝物のような場所がいくつもあった。たぶんみんなしらないだけで、聴いたらあっという間に人気になるだろうなと思う曲もたくさんあったけど、そんな風に思うなかで、すでに出会って、それも一人一人経路は違くて、色んな道を迷いながら歩いてここに辿り着いて、そしてこの曲に拾ってもらった夜があって、一歩踏み出せた朝があって、過去の自分に笑いかけられるようになった方もいて、そんな人たちで満ちているのが大好きだった。ひとつのコメントしか知らないけど、ああ、好きだなあって思う人もいる。ひとつ、そうやって少しずつ自分のなかで存在が大きくなっていった場所があった。わたしがその曲を知ってmvを初めてみたときでもう100万再生はあったと思うから間違いなく有名ではあるんだけど、やっぱりわたしの周りで知っている人はいなかった。度々聴きにいって、歌と映像とコメントをみるのが習慣のようになった。ある日、友達とカラオケにいったら、何曲目かでその曲のイントロが流れだした。びっくりしてる間に、友達が歌い出した。さらにびっくりして、すんごく嬉しくなって、でっかい声で「知ってるの?!?!」ときいた。友達は歌の合間に早口で「TikTokでいっぱいながれてる!」といった。なんとなくでAメロとBメロを歌って、サビは完璧で、2番にいくと、こっから分からないと友達は歌うのを諦めた。友達にTikTokをみせてもらうと、同じような映像がずらっとならんでいて、この歌にこの映像をのせる、という形でいま流行っているらしかった。たぶんその日家に帰ったあとだったと思うけど、ふいにカラオケでの出来事を思い出してyoutubeにいった。あの私の中で大切だったところ。再生数は800万とかになっていて、コメントも1000を超えていた気がする。動悸が早くなりながらもコメント欄をひらくと、見慣れないコメントが並び、TikTokから来たというあのおきまりのようなものもいくつかあって、それに対する嫌悪をあらわすコメントもいくつもあって、TikTokから来てそれをコメントする人、それを嫌だと言う人、TikTok別にいいじゃんと言う人もいて、とにかく曲よりもそっちの論争が目立った。わたしの大好きだったコメントの数々は、いくらスクロールしてもみつけられなかった。もう、あの場所はないんだと思った。悲しくて悲しくて、それから全然行かなくなってしまった。なんだこれはと思った。言葉にうまくできない感情が大きくなった。うまく言えないけど、でも嫌なんだよね、という日々が長く続き、わりと最近にふとこれかもしれないというひとつの答えがでた。意味のないようなことを考えるのが好きだから考えていただけで、べつになにかあったわけではないのだけど。そのとき思ったのは、さっき書いたように一人一人が各々で別の道を辿ってきて、アーティストごと、視聴者ごと好きになるのではなくて、みんな同じTikTokという場所で、場合によってはアーティスト本人ではなく勝手に使用されたもので、流行っているからという理由で人々の目にとまり、年齢層は下にも広いからTikTokでしか聴かない人もきっときて、流行りの間は色んなところを人が通っていくけど流行りがさって人々がその曲をみかけなくなると通る人も少なくなって、そこに残されたのは大量の足跡と、元々靴を脱いでそこにあがっていた人達で、もう元の姿は見る影もない、というような。時々開けていた大事な宝箱がずっと開けっぱで色んな人がそこを物色している。みたいな、それが嫌なのかなと。この嫌悪感の正体なのかなーと。きもいこといってるよね〜でもわたしの気持ちはこの表現がいちばんしっくりくる。1番は、悲しい。何が起こったのかよく分かっていなけど、荒れていることだけは分かる。その曲はフルで聴かれることも多いとはいえないかもしれない。一部分の流行り。そんなことある??悲しい。
でも、でも、冒頭に書いたように、ちっせーーんだよね、この意見は。そもそも売れることは全くもって悪いことではない。聴かれ方がどうであれ、一時的なものであれ、人々の目に多くとまって、わたしがそんなアーティストの1人だったら、きっと嬉しい。とびあがるほど嬉しいかもしれない。少しでも有名になれてやったーってなるかも。度々宝箱を開ける人より、ずっと開けっぱにしてくれる人のがいいに決まってる。それに、TikTokに続いてインスタのリールやyoutubeのshortsなどがここまで普及しているのをみると、音楽のついた短い動画が主流になるのは必然的な流れだったんだろうなあと思う。戦略のひとつにこれらを使って曲や自分の認知を広げることを含む人も今は多い。だからこそわたしのこのノートはほんと気持ち悪いし、何様だよ、だし、お前は黙ってろよ、である。わたしが正しいとは全く思わない。わたしと、TikTokで色んな曲を聴いてる人達の間に優劣なんてそんなものは一切ない。とんでもない話だ。これを上からの目線でいっているつもりもない。分かったようなことを言っているだけ。でもね、やっぱりこのもやもやを抱えてる人はいるよね、と思うんだ。気色悪いけど思っちゃうんだよね。音楽好きだからしょうがないのかもね。Lucky Kilimanjaro、ぜひ他の曲もいかがでしょうか!!彼らほんとうに素敵で最高なんですよ〜!


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