田舎で宇宙をおもう

仕事が終わって家に帰って、時刻はだいたい22時半ごろ。車を降りて玄関にいくまで、わたしの家は古いおうちならではの距離がある。車の扉をしめて数歩歩いてから、わたしはいつも足を止めてしまう。そして、真上を見上げる。
視界いっぱい、深い深い夜の空と、そのまた奥には数えきれない星。その一つ一つが地球と同じくらい、もしくは地球よりももっともっと大きい恒星で、表面はメラメラと燃えていて、とてつもない熱さで。それがあまりにも離れているから、ここに届くのはほんの小さな輝きだけ。目を凝らさないとちゃんと捉えられないほど小さいこの光が、わたしの、わたしの家の、わたしの国の、わたしの国の海の、わたしの星の、何倍も何億倍も何千億倍もでっかい。そんなものたちが無数に漂う宇宙の大きさに頭がくらんできて、1度目を閉じて、また夜空をみる。ちかちかと宝石みたいに輝く星と、深い空の藍色があまりにも美しくて綺麗で、思わず息をはきだす。

何も無い、本当に何も無いこの片田舎では、こんなにも壮大な宇宙がみえる。東京ではそこら中に光があって、こんなにか弱い光の星なんてみえなかったし、夜空を見上げることもほとんどなかったように思う。何でもある東京では、こんなにも美しい宇宙をかんじることはできなかった。

空を見上げているあいだ、今はカエルの鳴き声がひっきりなしに鳴り響いている。穏やかな風が吹く。そして、輪郭のはっきりした月。

田舎は息の詰まるような閉塞感があるという声もある。車がないとどこにもいけない。近所付き合いは心の探り合い。村の排他的なルールや風習。車以外、あとの2つははわたしの住むこの場所にはないけど、それでも、比べるとやっぱり都会は開放的であると思う。何でもできる。どこへでも行ける。道がひらける。ひろい。とってもひろい。

でも、わたしはこの田舎で夜に空を見上げる。
自然に包まれながら。
息を呑む。
生きてるな、と思う。

ここにある何よりもひろい宇宙をおもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?