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たまには…
相撲が始まった。
もりあがってるやろなーと、あの頃を思い出す。
刑が確定すると、「移送前」という扱いに変わる。
ここまでは名古屋拘置所。
いつどこに落ちるのかまるでわからない。
護送車に乗せられ街を出たら幕が開けられて、あっち方面かということがわかる。
到着したら、そこは刑務所。
雰囲気が全然違う。
しかし、地獄の「訓練」が始まる前の一時の平和は満喫できた。
拘置所では独房だったから、雑居で話し相手がいるのは新鮮な思いがする。
相当いろいろあった訓練を経て、行き先の工場と部屋が決まる。
とはいえ、中のことなどまったくわからないから、工場帰りの整列でウロウロしていたら、「ここ!」と教えてくれたのが同部屋の先輩。
年はかなり下だが、いろいろな意味で経験を積んできている。
この人は遊びを相当知っているとは、その晩にいろんなゲームの相手をさせられて感じた。
すぐに元の所属先に帰る都のことで、あっという間に分かれたが、Mさんには感謝だなぁと今でも思い出す。
数人が入れ替わったところでコロナ第八波で、工場は停止して雑居にとじこめられる日が続いた。
みんなずいぶん年下だけど、「ジジイ」扱いされずにいた。
「若い」とはずっと言われ続けてきたが、こんなところでもそういう扱いで付き合ってくれる。
挑まれても断らずにゲームに興じる日々を、おかしな寮の夏休みみたいな気分で過ごしたのが去年の真夏の頃。
工場本格再開で僕は「飛んだ」が、これは自分が悪かった。
「物品不正使用等」と「物品等不正所持」で懲罰棟に行って、そこから出所してきた。
懲罰棟も面白い連中が多かった。
いた部屋がクセの強いのが多かったせいか、更にその上を行く人たちとも仲よく運動の時間を楽しんだ。
相撲とか野球とか、雑居にいたころは格好のゲームの対象で、めちゃめちゃ盛り上がっていたことをふと思い返す。
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