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半グレに絡まれたりしたりして

ホリエモンみたいな衛生担当やら佐藤優のような禁固刑ならかなり楽勝の刑務所暮らしなのだが、僕のように雑居で一般作業をしていると、面倒な連中に絡まれたりすることも当然起きてしまうわけで。

ケンカ売ってんのかとしかならない言葉で接してきた、否定するが性犯罪で10年打たれている50代後半の御仁は、墨こそ入れてはいないものの満遍なく筋肉のついた身体と半グレたちを子分扱いする度胸で一目置かれてはいたが、初見ならともかく態度と言葉がいつまでも改まらないので、コッチがキレるような事態になったときの想定は常にしてきた。

半グレ相手でも同じだが、体力や慣れでは到底かなわないとしても、殺すつもりで向かっていけば少なくとも引き分けくらいには持っていける可能性も多少はあると踏んでのことだ。

動物番組が好きでよく視聴していたが、小さな捕食相手でも子育て中で決死の反撃をさざるを得ない場合には、大きな肉食動物たちも諦めて退散する。
人間だって要はそういうこと、動物と変わらんだろうという一応の根拠もあった。
それが正しいのかどうかは、やってみないとわからないとしても。

その50代後半には、椅子を取り上げてそいつの頭蓋骨を陥没させる意志を持って振り下ろすというシュミレーションを何度も描いてきた。

きゃつは個室で作業工場でしか出会わないから、大ごとになる前に担当のオヤジが止めるのは間違いないことも当然想定していて、増し刑貰うようなことにはならんだろうとも計算していて、それでもなんでそこまでやることを考えるかというと、本人とその周りの連中にコレは容易ならんヤツだと思わせるという意味があって、それは未遂に終わったとしてもその後の刑務所暮らしを多少快適なものにするのに大きな影響をもたらすだろうと判断していた。

そこまで僕がキレる機会はなかったからやらずに済んだけれど、そういう心持ちでいると半年もしないうちに周りの態度も変わってくる。
所詮こいつはションベン刑とヘタレ扱いしていた墨を額縁で入れた連中からも、「さん」付けで相手をしてもらえるようになったのには自分でも驚いたほどだ。

ただ一人だけ、大した瑕疵もないのに三回も絡んできた半グレがいて、次来られたら潰すか潰されるかわからんとしても、覚悟しっかり固めて行くことを決めていた。
三回目のケースでは、「お゛い」と呼ばれても「オメーはうぜーんだよ」と心の中で一人ごちながら無視して通り過ぎたが、取り巻きの一人が呼んでるよと念押ししてくるから、自席に着いて所用を手早く済ませてから彼の前に行って、今すぐヤッてもいいんだよくらいの目つきでニラみ反省の素振りの一切ない口調で、「すいませんでした、すいませんでした、すいませんでした。」と言ってやった。
何かわーわー言っていたが、ほぼどーでもいいことだったはずだ。

聞いた話では、田舎の暴走族の凶悪な総長として少し離れた大都市の同類の輩や半グレたちにも知られていたという人物で、格闘技を習っていて筋肉も程よく付いている。
同部屋の年齢でいえば自分の半分になる半グレくんから聞いた話だから間違いないんだろうと思ってはいた。
この二人は五工場と言われる作業工場の中では一番気の合う友だち同士で、同じ雑居房での共同生活を続けるうちに「え゛、ツレじゃねーし」みたいな扱いだったのが苗字にさんを付けて呼んでもらえるくらいに仲良くはなっていた。

そうしたしがらみみたいなものを感じるようになると、なんだかねじれてるよなーとか、絡んでくる方とも上手くやれたかもしれないなーとか思わないでもなかったが、部屋での話が工場であったトラブル等に及ぶと、面倒くせーなーとの気持ちはあっても困ったような素振りで「実は…」と切り出さざるを得ず、すると同部屋の半グレくんはアレはしょうがないヤツだと言わんばかりにがっくりしている。
僕を責めることなくという対応をしてくれたのは、複雑な過去を抱えているケースが多い中でも、彼はそこそこ育ちの良い方で案外素直ないいヤツだからこそだったんだろう。

三回目はその場で始まっていたとしても、売ってんのか買ってんのかわからないにしても、まったく歯が立たないことことにはならないくらい、彼の弱点を見つけていてそこを攻め抜くシュミレーションを重ねてはいたからこその態度で応じたのだが、その話を部屋で打ち明けた時には同時に「次来たらオレは行くから」と断言してこちらの退路も絶っておいた。

満遍なく鍛えて程よく脂肪をまとってはいても、膝から下が細すぎるというのが僕の見立てで、柔道は多少やっていて足技やら寝技を得意としていたから、目線やら言葉やら使えるものは全部使って上半身を意識させてから、ちょこんとしたセコイ足技やら朽木倒しみたいに足を取りに行く技でとにかく先に倒すというのが唯一の作戦ではあったが、負けて当然という僕には失うものは何もない相手だから、それが通用しなかったとしても別にいいんだけどという思いもある。

そういうのが覚悟を決めてくるというのは、連中のようなやつらにしても勝ち負けに関わらず厄介なはずで、面白半分で焚き付ける同部屋のヤク中に笑って返したりしていたら、「それだけはやめたってください」と冗談混じりだとは思うが頼まれてしまったりということもあった。

僕の刑務所暮らしは新型コロナの第七波と重なったため、感染予防を最優先する刑務所の都合で作業工場よりも雑居房での生活がはるかに長いものであったが、すぐに感染者が出てしまうから止まるんだけどたまーに工場に行くこともあった。

面白かったのは、先に触れたように50代後半の取り巻きの対応で、初めの頃はしっかりと額縁で墨を入れている輩から哄笑されるのを後ろで黙って聞いていたのを気づかなかったようで、後ろを見てやべーやべーみたいな雰囲気になったから、おもしれーなと心の中で笑っていたものだが、しばらくぶりの運動の時間に新聞を読みたいから取ろうとすると、これまた「さん」付けでフラットに接してくれるようになっていた。

ただこれが自慢話に思われたならそれは違って、僕が一番感心したヤツは、基本的に軽んじられてはいても、多少絡まれてしまっても、平然と返してはね返す言葉を持っている地味ーなオタクっぽい30そこそこだった。
出所間近だったから懲罰上等で無敵とはいえ、長い刑務所暮らしでさぞかしいろいろと学んだのだろうと感じさせて、弱者の生き残り方について考える機会をもたらしてくれたものだ。で、そういうのが荒くれたちにも一種侮れないものをまとわせているのだろうとも思わせた。

そのときには反撃を狙う自分などまだまだ半人前なのだなぁとつくづく感じた。

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