見出し画像

平熱日記_2024年6月_Part1

某月某日
土日の朝は長い散歩から始まる。8時ごろから始めて、おおよそ2時間超、距離にすると10Kmにはなっているはずである。今朝は黒目川沿いを歩き、途中小金井街道を経由して所沢街道へ入り、イオンモールを横目に見て西東京市へ。そしてそのまま東久留米へ。
自宅近くで内海さんとふくちゃんの散歩に遭遇し、阪神の弱さを嘆きあう。岡田監督、本当にどうしたのだ。昨日の打順、2番植田、3番DH糸原、4番近本だち。特に3番は意味不明であった。案の定ロッテに2連敗、しかも連日のサヨナラである。とことん落ちていきそうな気がする。

某月某日
今日はカフカの没後100周年だとのこと。
小説全集第4巻を読み進める。「田舎医者」短編ながら意表を突く展開など、やはりこれも長編同様プロットなしに薄暗いトンネルに入っていくように書いたものなのか。

「アナログで聴きたいレコード(仮称)」というエッセイを書いてみようと思う。例えばこんな感じ。
1.小坂忠「HORO」発売日:1975年1月25日
2.吉田美奈子「BELLS」発売日:2023年11月3日
3.Sly and the Family Stone「Flesh」1973年
4.Clash「London Calling」1980年1月
5.The Rolling Stones「Love you Live」1977年9月23日

某月某日

部内の朝礼でテーマを決めて順番に発表を行っているのだが、今回は上半期の個人目標の達成について。私は去年の12月から役員ブログを執筆しているのだが、上半期で600イイネを獲得する、というのを目標とした。1月から5月にかけて計9つのプログをアップして、959個のイイネを獲得して、結局達成できたのだが、妙に疲れている。燃え尽き症候群ではないか、しかしひと休みして精進します、と締めたのだが。

60歳を過ぎて疲れやすくなったのかな、と思うのだ。実際いくつか対策を講じている。
最大の対策が、60歳を目前にして決行した禁煙であろう。ちょうど2年前の5月3日から1本のタバコも吸っていない。
きっかけは、まずは節煙しようと思ったのだ。長風呂の後など少し動悸が気になりだしたのだ。もともと心臓弁膜症ということもあり、気にはなっていたのだ。平均して1日に20本ほど吸っていたのを10本に減らそう。それでは朝昼夜とその10本をどのような配分で吸おうかと真剣に考えたのだ。「朝2本、昼3本、夜は酒を飲むので5本」とか、頭の中でああでもないこうでもない、と。
そうするうちに、これはアルコール依存症と同じ思考だと気づいたのだ。彼らは1日に飲む焼酎を1升と決める。その1升を、朝昼夜どのような配分で決める。そうしてそれは結局守れずにさらなる量を飲んでぶっ倒れる・・・。
完全に脳がニコチンに支配されていると思った。まず何よりこれが耐え難く、その夜のうちにタバコを水に浸し握りつぶしてゴミ箱へ投げ捨て、灰皿・ライターなどのアクセサリー類を捨てるよう嫁に依頼した。
「大丈夫?無理しないでね」これが嫁の第一声であった。40年以上続く習慣をやめようというのだ、相当なストレスに見舞われて、発狂することはないとしても暴力・暴言沙汰にでもなるかと心配でもしたのか。
しかしそのようなことは全くなく、禁煙は一発で成功した。
何より事前にニコチンの体内滞留時間はわずか3日間、という事実をしていたのが強かった。つまり3日間何とか我慢すれば、もう体内にニコチンは存在しないという理屈である。6か月くらいもだえ苦しむと考えていたので、あっけにとられるほどだった。
4日以降にも離脱は起きるが、それは脳による誘惑、ドーパミン分泌を求める肉体への命令なのだから、何とかこれをやり過ごせばよいだけのこと。
そんな時はタブレット菓子をなめる、冷水を飲むなどすると気がまぎれる。

他には、特に今年に入ってから始めたのだが、頭皮・つぼマッサージ。これは実に気分が良い。朝、夜の2回、各3分ほど行っているのだが、リラックス・リフレッシュ効果が期待できる。また、平日のビール量の半減。これも長年惰性で夕食時に350mlを2缶飲んでいたのを1缶に減らした。特に理由はなかったのだが、1缶で満足したときも義務的にもう1本飲んでいる時があるような気がしたのだ。

そして今朝思いついたのが、夜の焼酎希薄化計画。ビールを1缶飲んだ後、寝るまで焼酎の水割りを3杯飲んでいたのだがこれが結構濃いのだ。氷を入れたグラスの7~8分目まで焼酎を注ぎ、水を足す。これを3杯。多いと思うかもしれないが、半年ほど前までは4杯以上、上限を設けずに飲んでいたのだ。寝るときには意識はなく、眠るというより気絶をするという感じ。なぜ焼酎希薄化を思い付いたかというと、おととい昨日と、疲れているのか眠たくて、薄い焼酎水割りを1~2杯飲んで休んだら、翌朝妙に体が軽いのだ。それと長年の持病のようなどんよりとした感じがほとんどしない。これが大きかった。これには本当に悩まされ続けていたのだ。一種鬱っぽい感じ。それで、これは試す価値があるかと思ったのだ。

今週私は63歳になる。青年期とは違う体調になっているのは間違いない。いつまでも若いと思いたい気持ちはほかの人たちと変わらないが、それを大量の飲酒で証明するというのも芸がない。(もちろん飲みますよ。それに週末はやや羽目を外すのが楽しい。今週末も家族全員で外食する楽しい計画あり)体をいたわるということをほとんどしなかったが、そういう時期が来たのかもしれない。

某月某日
一連の生活習慣の見直し、新たな健康法の導入の後、体調はなかなか良い。今日はジョギングの距離を3キロほどに戻し、ギターマガジンを読みながら15分程度入浴してみた。やはり気になる動悸は起きない。
あとは嫌なものを見ないことだろう。いやなものとは何か?それは絶対に言えないことである。
しかし心臓の様子が安定すると、気持ちが前向きになる。週末はギターでも弾こうか、とか。

カフカ小説全集第4巻。「断食芸人」某大学の論文ネット上で見つけて参照し、自身の芸術観と知るが、共感を発するところまではいかない。「ヨゼフィーヌ」も、おそらくヨゼフィーヌに自身を模しているのだろうが、今一つ入っていけない。

夜の楽しみはなんといっても音楽なのだが、最近は小坂忠「HORO」のいくつかのパッケージに浸っている。それは、
・アナログリイッシュー盤
・40周年記念CD(オリジナルリマスター盤と40年後のボーカル差し替え盤の2枚組)
・後年の退院後のオリジナル再現+1曲のライブ盤

あと矢野顕子のHOROのカバーなども。

いずれも甲乙つけがたいのだが、昨夜はライブ盤に浸った。抜群のバック陣(G鈴木、B小原、D屋敷、K:kyon、ChoAisah)による演奏はまさにグルービーなソウルショウの趣だし、それに乗るボーカルは、ノリ、タメ、声量、ムードなど言うことなしだ。夜なので音は控えめだが、ぐんぐんと胸に迫ってくる。
この数年後に小坂さんなくなっちゃうんだな。素晴らしい作品です。

某月某日
昨日(ロックの日)をもって63歳となった。特に感慨はないが。むしろ息子が34歳、娘が31歳になるということの方に感慨がある。63にもなってたわいもないことに一喜一憂したりしている。いや、一喜一憂加減は若い頃よりはひどくなっているかもしれない。

嫁、娘と5キロほど歩き、買ってきた総菜を飲み食いしながらくつろぐ。阪神才木あわやノーヒットノーランの快投で7勝目。相手が不調の西武とはいえ3連勝である。

膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番素晴らしい俺(工藤吉生)

日経夕刊で枡野浩一という歌人が紹介していた歌人の作である。
昨日はアサヒ歌壇で川添葵という女子高校生(?)の和歌が4人中3人の選者に選ばれていた。こちらもあふれる才能を感じさせる作品だった。

「初採りの空豆短歌になるんちゃう?」ばあちゃんが言う簡単に言う
えらそうに言っちゃうこともあるけれどごめんね全部思春期のせい(山添葵)
すると同じく奈良市の山添聖子さんはお姉さんか?

ぐらぐらの歯を見せに来る子の口の角度はツバメのひなとおんなじ
昨年は明朝体の人だった今年はゴシック体の担任(山添聖子)

俄然短歌に興味がわいてきた。
新たな短歌との出会いを感じさせる才能である。また新しい世界が広がりそうな予感がする。

と、書店で川添さんと同名の著者の新書を発見し、興奮する。何やら言語学者のようで年齢も50歳ほど?趣味で短歌の投稿を行っているのか?謎と推測が脳裏を駆け巡る。が、よく見ると川添愛という別人なのだった。これを一喜一憂という。この軽率は多分治ることはない。

カフカ小説全集第4巻読了。一息入れるのもよいかもしれない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?