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平熱日記2024_長引く膝の痛みと64

9月某日

もう来年で64歳だなあという感慨とともに、ビートルズ”When I'm Sixty-Four”の弾き語り練習。簡単なコード進行なのだが、口とギターが合わない。ほんとに最近まともに弾いていないのだ。しかしこの曲を初めて聴いたのは高校生の時だったのだが、当時はまさか自分が64歳になろうとは思ってもみなかった。ましてや会社でお堅い仕事に就こうとは、まるで考えてもいなかった。将来は小説家、ミュージシャン、それがたとえ無理だとしても少なくとも会社員ではないだろう。というか自分には会社員などできないだろう。せいぜい三流業界紙のやくざな記者とか、何か外れ者のようなイメージしかわかない。アウトローのようなかっこいいイメージではなく、外れ者。レールに乗れない人間。でもまあ、とにかく大学には行こう。今社会に出てもろくなことにならない、それは確実だ。まったくの無能者、それが現在の自分だからだ。とりあえず数年間の猶予期間を確保するんだ。そのうち何とかなるかもしれない。そのために、さあ、受験のための勉強をするんだ。ほら、それなら従順になれるだろ?

調子に乗って”A day in the Life”、”Across the Universe”、”All you needs is Love”など弾き散らす。相当下手になっているのだが、弾き続けるうちに多少は様になってくる、か。

9月某日

休肝日の思わぬ効果がまた一つ。
休肝日を設けてから、非休肝日、つまり飲める日が「ハレ」になった。つまり毎日飲んでいる時はそれが当たり前だったのだが、飲まない日を設定すると、飲める日がやはりうれしいのだ。朝から気持ちが弾む。「さあ、今日は飲めるぞ!」という気分は、惰性で毎日飲んでいた日々には感じたことのない感覚なのだ。そして「今日の夕食は何だろう、音楽は何を聴こう」などとワクワクしながら考えている。飲む日自体は減らしているのに、飲まない日を作ることによってハレの日が創出される。なかなか面白い効果だ。

9月某日

実はこの3週間ほど右の膝が不調である。最初は裏側の筋が張っているような感じだったのだが、その後痛みの部位が変転し、昨夜から甲羅の下の部分が痛い。当初は決して歩けないほどではなかった。実際2日前にはオフィスのある19階から1階まで歩いたほどだ(これは足腰を鍛えるために毎日1~2回やっている習慣である)。それが悪かったということも十分考えられるのだが、今朝は痛みで目覚めたほどだった。3週間はあまりにも長い。その時考えたのは「骨肉腫」とかの恐ろしい骨のがんであったが、もしそうならこの程度では済まないだろうと思い直した。
だから今日は土曜だというのに朝のウオーキングは取りやめ、昼の散歩もなしにした。すると今度は譫妄省的な片頭痛の前触れがやってきたので、思わず全身が脱力し、軽いうつ状態になったが、今は持ち直して書きものをしている。
今日はロキソニンSを2錠飲み冷却シップを貼り、サポーターで膝を固定している。幾分ましである。
よく親父が「膝がいてえ、いてててて」などと言って歩こうとしないのを冷ややかに眺めていたのだが、もしやこれが慢性化したものなのか。だとすると相当きついな。優しくしてやればよかった、とか、因果応報、などという語句が去来する。まだ生きているけど。もう昼から飲んで寝てしまおう。

9月某日
古い雑誌類を軽く読み返して廃棄しようとしている。1997年12月号のビーチボーイズ「ペットサウンド特集」を読む。このアルバムは私にとって永遠の謎と言ってよい。聴けども聴けども「把握した、分かった!」という感覚になれないのだ。すると渡辺亨というい人が、アルバム全体から受ける感動の質が近いとテレンス・トレント・ダービーの「Symphony or Damn」を挙げていたのだ。ネット通販サイトで調べてみると送料込みで281円と激安である。これは相当なメガヒッツかSHITかのどちらかであろう。そこでアプローチを変えてみようと取り寄せて数日来聴いているのだが、ふむ、さらに迷い込んでしまった気持ち。少なくともこの1993年発売のブラックロック的なカッコよさは、いまだに有効だが、少なくともサウンド的にペットサウンズとの類似点はないようだ。すると歌詞、その精神性とかいうやつか?そこまで近いのかその歌詞と精神性は。
歌詞は?だが、日々進行する老眼のため細かい文字が読めないのだから仕方がない。もう少し聴きこんでみよう。サウンドだけでも何かが見えてくるかもしれない。

TTDはそれほど黒っぽくないのだ。この年代の黒人音楽はやはりそうなる。           で、結局当該レココレは手元に残すことに。


9月某日
オリジナルルースターズの初期ライブがアナログで2セットリリースされることを知る。ジャケットは米盤ビートルズ2ndかバードランドのジャズメッセンジャーズかというカッコよさ!おお!と一瞬高揚したが内容は相当前にHAGAKUREというレーベルから出た1981年の渋谷エッグマンでのライブ&リハと同じものなのだ。私はCDを持っているからわかるのだ。
内容は初期のかっ飛ばしサウンドで、もう最高にかっこいいのは当たり前。今回は当時出ていなかったアナログであること、リマスターされていること、ジャケットがかっこいいことなどいくつかの魅力は否めないが、それでもやっぱり見送るだろう。私以上の年代が、今、マーケティングの餌食にされているのを苦々しく感じているし、そもそもこれはメンバー公認のものなのか、疑わしいのだ。まさか柏木の仕業ではないのかもしれないが、分からないぜ。過去さんざん大江とルースターズを食い物にして苦しめた奴だ。
日本のロックンロールバビロンである。
しかしこんなふとしたことからこのCDを思い出して、再生しながらギターを夜な夜な弾いている。我ながら思うことは、私のギターはR&Rで始まり、R&Rで終わりそうだ、ということ。

こちらがオリジナルCD。さすがに再発盤に「未発表ライブ!奇跡の発掘!」などの文言はなし。

9月某日
同郷のあの人が自民党総裁選を制す。幼馴染のみっちゃんにメール。「基本的に政治家は信用していない」との返信。まあそうなのだが、今までの不真面目で国民に向き合わない政治がわずかでも変わるかもしれないではないか。

9月某日
色川武大「明日泣く」「恐婚」
前者は週刊小説というエロもありの中間小説誌の連載をまとめたもので、実に気軽そうに書きまくっている。よってこの作家の本質的な重さ、暗さは薄いが「オールドボーイ」の不発弾のような味はなかなか捨てがたい。ややハッピーエンド風なのも好ましい。後者は直木賞受賞の「離婚」の続編。結局みんな身勝手・無責任なのだが、やや世俗的にまとそうな菊井が登場してからの理不尽な展開がなかなか面白い。
筒井康隆「読書の極意と掟」
読書歴が自分史になっているというのは、それはそうだろうと思うし、それなりに誰でもできると思うのだが、早熟で読解力が高く、時代の先端に反応するセンスが凄い。また戦時中に国策戦意高揚小説などに見向きもせず乱歩に耽溺していたというのは、実に雀百までである。
工藤吉生「世界で一番素晴らしい俺」
まだ全部読んでいないのだが、恋愛感情が生まれ、思いつめ、手紙を渡し、拒絶され、深く後悔をし、自殺を試みるが死にきれずといった一連の出来事を短歌でつづるなど、ほかに考え付く人はいなかったろう。あまりにも悲惨で、しかも自業自得の香りがするこの歌集は、まだ読み終えていない。だんだん重くなる。

9月某日
右ひざ、昨日よりやや改善したがやはり痛い。歩けないということは人生を楽しめないということだと感じ入る。やはり酒を飲んで寝るしかあるまい。そして夜中に目ざめ不眠で苦しむのである。


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