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桑田佳祐が語る「バングラ・デシュ〜THE CONCERT FOR BANGLA DESH」

(筆者注:2002年に執筆した原稿です)
2001年末、ジョージ・ハリソンが他界してしまい、ジョージ作品が見直されている昨今ですが、今回紹介したいのがこのアルバム。

1971年にジョージが提唱したバングラデシュ難民救済のチャリティコンサートを収録したライブアルバムなんだけど、ラインナップがモロ桑田佳祐好み。

ジョージ・ハリソン本人は勿論、ラヴィ・シャンカール、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ボブ・ディラン、等々の豪華さ。

考えてみると、桑田さんってジョンだ!ポールだ!言いながら、ジョージ人脈の影響って凄く大きかった事に改めて気付かされる。

中でもおすすめはレオン・ラッセルの歌う「ジャンピンジャックフラッシュ~ヤングブラッド」のメドレー。これは圧巻。
サザンの初期、特に「勝手にシンドバッド」や「気分しだいで責めないで」の頃、ブラウン管の中で、見る人が見れば不快にも感じさせる程、ハチャメチャな異端児ぶりを発揮していた桑田佳祐の歌いっぷりを連想させる。

というより、明らかにこの曲での狂気じみたレオン・ラッセルのたたずまいから影響を受けている。

それが証拠に、1978年デビューライブ「胸さわぎ」と1979年「春五十番コンサート」では、この「Young Blood」をカバーしてるでしょ。

デビュー当時のサザンの雰囲気を味わいたい人は是非。

このアルバム3枚組なんだけど、他の演奏を聞いても絶対損しないから。不況の折も折だが、メシ抜きにしてでも聞きやがれ!

<後日談>
ネットで検索したらCDでは2枚組なんだってね。アナログ盤では3枚組なんだよー。すまんな、ジジイはアナログでしか持ってないんだよー。チキショー!くやしいから絶対にアナログで聞きやがれ!

<さらに追記>
サザンがデビューした1978年の記述。↓

MY FAVORITE MUSICIAN
●サザンオールスターズ●桑田佳祐

(前部省略)
そもそも、ロックバンドというものがいかなるものであるかという漠然とした見解を私が持ちましたのは、遠くさかのぼる事、私がフレッシュマンとして大学に入学した年(そう数える事5年程前になりますか)ジョンレノン氏のレコードを聞きあさっておった頃であります。

特にエリッククラプトンやクラウスボーマンなどが入っているライブアルバムが好きで夢中で聞きまくっておりました。彼らのラフなプレイというか、伸び伸びとしたロックンロールにいたく私、精神の解放をおぼえ、その時すでに「むなさわぎの腰つき」だったのであります。

彼らの交友関係をたどれば、あの一大ムーブメントとなった、1971年8月1日のマジソンスクエアガーデンに必然とブチあたるわけであります。そうです、バングラデシュのコンサートなのであります。

ジョンレノン氏は他に急用があったらしく、出席されておりませんでしたが、ジョージハリスン、リンゴスター、ボブディラン、ビリープレストンと当時を偲ぶものにとっては、涙、涙でありますネ。

そうその時、エリッククラプトンの後ろでシャンプーとリンスを使いすぎたような長い髪をひらめかせながらピアノを弾いていたオッサン=レオンラッセルがいましたネ。彼も私の尊敬してやまないミュージシャンの一人です。

バタ臭い顔、バタ臭い声、でバタ臭いピアノを弾く彼の魅力がその時、本当に解かったような気がするのであります。まー、それからというものミーハー丸出しといおうか、レオンラッセルと彼をとりまく友人(どっかの某雑誌みたい)のレコードを気がくるったように聴きあさりました。

特にエリッククラプトンに対しては、自伝物や、彼を特集した雑誌は、全部といっていいくらい読んでいるのではないでしょうか。彼に対する思い入れは、自他ともに認める所であります。

ジョンレノン、エリッククラプトン、レオンラッセルこの三人は、私の人生に重大な役割をはたした人達として、これからも、おたがいのために、友情を深めあっていきたいと思います(?)。それでは、また会いましょう。おからだ大切にして下さい。
(1978年)

<2002.04.17記>

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