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かしの樹の下で

<詞>

桑田佳祐
「ジョンレノンのあれですよ。『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』。新聞をこう読んでて、で、そん中にドラマとかストーリーを感じるという、ね、そのセンなんだけどね。

で、俺もひとつって感じで残留孤児のさ、ひとつのストーリーを作ろうと。

映画の筋とか、そういう感じのものを一曲の中で追うみたいなさ、そういうことをやりたくなったのね。単なる情景じゃない、ひとつの物語を客に与えようっていうかさ。」(1983年)

アルバム『綺麗』の歌詞に対するコンセプトが「ロックで日本語をやろう!」ということで、アルバム全体を通じて英語の量が極端に少ない。その中でも、この曲は歌詞に英語が使われていない。
(「祖国(ツーゴー)」は中国語ですかねえ?よくわかんないんだけど。)
「松田の子守歌」以来の事。

また、『綺麗』では、惚れたはれたのラブソングがグッと減り、ストーリー性のある、曲ごとの個性がはっきりした方向を打ち出している。

桑田佳祐
「歌詞の世界でも、一つの物語を一曲の中で完結させるみたいな、単なる情景でない、一つの詞を通して新聞の記事を見てるような、映画の筋を追うような、そんな雰囲気が欲しくなってきた。」(1983年)

桑田佳祐
「ぼくはジョンレノンと同じレベルのことはしゃべれないけれども、なにかの方法で、みんなが『核』とかという話しをする機会があったら面白いと思う。
たとえば残留孤児の歌を一発つくることによってね。
だけど、この曲は残留孤児はこうしてこうでしたというストーリーじゃなくて、残留孤児という事実をデフォルメというか、ちょっと形を変えたかったんですよね。

そうすることで逆に聴き手側も、その残留孤児の方向に目が自然にいくとしたら面白い。それが『歌』ってできるんですよね。ポップスというのは。」(1983年)

このように中国残留孤児をテーマに取り上げるという事自体が画期的であった。
桑田佳祐社会派路線(?)、いわゆるメッセージ、プロテスト的な歌としては初めてのものだったのではないだろうか。
(前作に『NUDEMAN』という曲もあったが、あれは半分オチャラケで作ったものなので・・。)

前アルバムの『流れる雲を追いかけて』と同じ系譜の曲だが、『流れる雲・・』は情景描写を楽しんでいた歌であり、『かしの樹の下で』は、より社会性にフォーカスを絞った作品と考えてよかろう。

詞の最後に登場する「牡丹」は、レコードジャケットと符合し、この曲が、このアルバムの一つの象徴であることがうかがえる。

<曲・アレンジ>

イントロのフレーズは、レコーディング中、最後まで決まらず暗中模索をしている時に、坂本龍一氏の「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」を聴いて刺激を受け、このフレーズが生まれたそう。

この当時の坂本龍一氏に対するコメントは、以下の通り。

桑田佳祐
「歌謡曲ってジャンルと、ロックっていうジャンルがあるとさ、歌謡曲の方が全然ハデでロックの方はどうもアグレッシブになれないみたいなさ。
だから、ロックって言葉自体にあんまりいい印象、持ってない、俺自身。

こういう時だから坂本龍一なんてすごく参考になるって気がするね。音楽は全然好きじゃないんだけどさ。『戦メリ』のサウンドトラックのインパクトなんてすごかったね。やっぱり、心のせまい人じゃないと思った、うん。

ちゃんとウンコもするし、飯も食うし、女と寝ちゃうし、全部生活の足どりを踏んだ上での美しいものって気がすごくしたね。」(1983年)

ハラボーのボーカルパートのバックにユニゾンで流れているのは、中国の古来から伝わる「胡弓(こきゅう)」という弦楽器。

全編デジタルサウンドの中に、このような楽器を導入するバランス感といい、6thを多用したエキゾチックなメロディといい、サザンが『綺麗』からブリティッシュ系のニューウエイブに傾倒していった時代感を感じとる事ができる。

また、Aメロ、Bメロのみという構成も、それまでには見られなかった新しいアプローチであった。

<背景>

1983年「私は騙された」ツアーでは、オープニングに演奏され、レコードジャケットと同じ「牡丹の花」の電飾が花開くという設定が印象的、かつ象徴的であった。
後の1991年「THE 音楽祭」では、全くアレンジが変わり演奏された。

<1998.09.05記>

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