掌編小説『赤洗面器男の冒険』

        あらすじ

謎解きが大好きな面々が属するクラブの例会で、あのリドルストーリーが取り上げられた。倒叙推理ドラマ「古畑任三郎」などでおなじみのあれだ。オチの隠されたリドルストーリーにオチを付けようという一種の大喜利大会。これぞ決定版というオチは果たして出るのか。


         本文

A「今日のお題は『赤い洗面器の男』です」
B「『赤い洗面器の男』ってあの?」
A「はい。倒叙ミステリのドラマとしては『刑事コロンボ』シリーズと並ぶ超有名作品――ただし日本国内に限るかもしれませんが――で度々、出て来たリドルストーリーです。皆さん、ご存知ですよね?」
B「ああ、もちろん」
C「私たち謎求会めいきゅうかいのメンバーで、あれを知らないなんて人はいませんわ」
D「先程のAさんの説明に敢えて付け足すなら、その倒叙ミステリドラマ以外の映像作品いくつかにも登場したことがある、ぐらいだな」
A「はいはい、分かりました。では本題に移るとしましょう。皆さんで、『赤い洗面器の男』のオチを考えて、発表する。制限時間は、あまりだらだらとやっても被りが出るだけでしょうから、ひとまず十五分としておきましょう」
D「いっそ、早い者勝ちでいいんでないかい? 早押しクイズみたいにさ」
E「いや、それだと一人がぽんぽん答えてしまうかもしれないよ。できる限り多くの人の答を聞きたいな」
A「それじゃあ、早押しクイズ形式だが、答える権利は一回きりとしましょうか。で、三分間誰からも答えが出なかったら、全員に解答権が復活すると」
全員「賛成」
A「よかった。あとは……賞品はとりあえず、青い洗面器を用意しておきました」
B「いらねー」
C「水が入っているのかしら」
F「何で青やねん!」
A「ははは。副賞としていつもの賞金もありますので、脳細胞をフル回転させて、答を捻り出してください。こんなことを言っている間にも、皆さん考えているんでしょうけど。他、何か質問のある方はいますか? はい、Eさんどうぞ」
E「今回は正解というものがない訳だけど、優勝者はいかにして決めるんです?」
A「おお、そうでしたそうでした。タイムアップ後に記名投票で決を採ることにしましょう。自分自身の説に票を投じるのは、なしで。同数獲得の説が出た場合は決選投票でもしますか」
E「分かりました」
A「他に質問のある方は? いませんね。それでは……壁時計の秒針が、次に12を差したときから解答を受け付けます。私が指名してから答えてください。Zオーナー、いつものことですまないけど、ホワイトボードに板書頼むね」
Z「お任せあれ」
A「どうも。――さあ、スタートだ」
ほぼ全員「はい!はい!はいはい!」
A「こりゃ凄いな。えっと、私から見て一番早かったGさん、どうぞ」
G「先手必勝とはならんだろうが、とりあえず。『男は問われて答えました。“この水が何時間で蒸発するかの実験をしているんだ”』」
A「なるほど。晴れた日の午後というのを活かした訳ですね。はい、次。――Bさん」
B「答える前に提案。時間節約で、みんな答だけ言うことにしよう。『男は答えた。“青い洗面器だと、青信号と間違えて車が突っ込んでくるからに決まってるだろ!”』」
A「色に着目と。次、Cさんどうぞ」
C「『男は答えました。“こいつを頭に乗せてる理由? 足に履けないからだよ”』」
A「いわば帽子であり、足に履くものではないと。次、Fさん」
F「『男はとぼけた顔して答えた。“えっ、これ? いやあ、実はにわか雨にふらちまいやしてね。そのとき雨避けになる物が、この洗面器一つしかなかったの。それを頭上にかざしたはいいが、だいぶ歩いてからミスに気が付いた。何で雨を受け止める向きにしちまったんだろうって。その頃にはもう雨も止み始めて、すぐに水を捨てりゃよかったんだが、腕がなまっちまって動かないと来た。そんでしょうがねえからそのままの格好で、えっちらおっちら歩いてるって訳”』」
A「長いです。でも落語の世界にはありそうな風景ですな。次はDさん」
D「すまんけど前置きをちょっと。男の答が『それは君の……』で始まるバージョンが示唆されていたと思うんで、そこに拘った説。『男は答えた。“それは君の答を聞いてからだ。君は何故、ピンクのブラジャーを頭に巻いているんだい?”』」
A「質問返しパターンですか。『それは君の……』バージョンを言ったのは、確か山城新伍が演じていたマジシャンだったから、ピンクのブラジャーはイメージが合っていると言えなくもなし。さて次はHさん」
H「『男は問われて答えました。“私今子供を誘拐されて、犯人の要求に従ってるところなんです”』」
A「……何とも、笑えない答ですなあ。えーっと次はIさん、できれば明るいのをお願いします」
I「えっ、どうなのかな? 『男は答えました。“こうすると髪の毛が生えてくると聞いたものですから……はい”』」
A「うん、明るい。ちなみに最新の研究では、赤色LEDの光を当て続けると、細胞が刺激されて毛が生えてくるというデータがあるそうですよ。赤い洗面器を通して日光を浴びればあるいは」
I「知りませんでした。怪我の功名ならぬ毛の功名?」
A「あはは。充分に温まったところで、次、Jさん」
J「『問われた男は近付いてきて、にやりと笑って答えた。“何故かって? それはな、あんたにこの水をぶっかけるためさ!”』」
A「うーん、怪談ぽい。それでは次は……お、ちょっと勢いがなくなりましたね。えっと、ではKさん」
K「今のを聞いて思い付いたんですが……。『私の問い掛けに対し、男は何故かほっとした表情を浮かべ、答えました。“ああ、よかった。はい、これ”。男から赤い洗面器をそのまま渡された私は困惑しました。“あの、これはどういう……”。“こういうルールなんです。訳を聞いてきた人に洗面器を渡すリレーで、拒否できないんですよ。がんばってくださいね”』」
A「シュールな絵が浮かびました。逃げたらどうなるんだろ。さて次は誰かいませんか。おっと、Lさん」
L「埋め草レベルですが。『男はため息交じりに答えた。“あ、やっぱり。気になります? うん、頭に赤い洗面器はおかしいでしょ。私もほんとはね、青いバケツにしたかったんですが、家になくって。すみませんねえ、青いバケツだったら、あなたにお手数を掛けることもなかったのに”』」
A「気になるのはそこじゃない!ってやつですね。長めの解答が増えて、皆さんも考える時間が稼げたでしょう……はい、M君」
M「『男は答えて言いました。“僕、廊下に立たされていたの。先生、僕のこと忘れちゃったみたいで、仕方がないからそのまま下校してるところなの”』」
A「芝居っ気たっぷりでいいね。――おや、いつの間にやら残り三分を切りました。これで今までに一度答えた方は、もう解答権を得ることはなくなりました、申し訳ありません。さあ、まだ発表していない人、来いっ。――ほい来た、Nさん」
N「『男は答えた。“え? 洗面器の中身、本当に水ですか? 硫酸だって言われたんで、こうして慎重に運んでたんすけど”』」
A「言われてみれば、ぱっと見ただけで、中身が水であると断定できたのは不思議ですねえ。話し手である“私”は超能力者か。さあ、次は? 時間がありませんよ。お、O君」
O「何も言わないよりましだってことで。『男は答えた。“あなたが<女か虎か>の真相を教えてくれたら、私も話します”』」
A「リドルストーリーにはリドルストーリーと来たか。悪くない。おっと駆け込みで増えてきたか、どうぞPさん」
P「『男は答えて言った。“何を仰ってるんですか。この辺りではこれが当たり前ですよ。でも赤い洗面器はおかしいですね。私が頭に乗せているのは、極当たり前のプラスティック製のバケツ……なーんだ、あなた赤いサングラスを掛けてるのをお忘れでしょう”』」
A「運搬手段として、頭に物を載せること自体はさほど珍奇ではありませんよね。主に女性がやりますが、日本にもあるし。さあ、タイムアップが近い。他にありませんか。いつもは解答の早いEさん、どうですか?」
E「うう、まとまってないんですが、もう頃合いでしょうかね」
A「そうですよほら。あと一分ちょっとだ。とりをお願いします」
E「分かりました。『男はためらったあと、やっと語り出しました。“話せば長くなるのですが、それでも聞きたいですか。そうですか、ならば、とりあえずあそこのカフェに場所を移しましょう。暑くてたまらない”。カフェに入ってからも、男は赤い洗面器を頭に乗せたままです。何を注文するのかも気になりました。彼はやって来た店員さんに“トマトジュースを一つ”と言いました。赤が好きなのか。半分方納得しかけた私に、男は話の続きを始めました。“私は赤い洗面器を」

   ガッシャーン! ガラガラガラッ、ぱたん。

 背後から轟いた大きな音に、Aは思わず肩をすくめ、振り返った。そこではこの喫茶店のオーナーZが、調理器具のボウルを拾い上げ、水を拭こうとしていた。
「な、何してるんですか、オーナー」
「いや、皆さんの話を聞く内に、私も考えてみたくなりまして。まずは当事者の気持ちになって観ようと、洗面器の代わりにボウルを使い、試そうとしたらたちまちこの有様」
「やれやれ。驚かさないでくださいよ」
 苦笑交じりに嘆息したAの背後で、どっと歓声が起きた。
 メンバーが口々に、「凄い」「これはいいね」「決定版だ」「恐らくこれ以上の答は望めません」などと称賛の言葉を並べている。

A「え? Eさんの答、終わりましたか」
みんな「はい。おや。Aさんはまさか、聞いていなかったとか」
A「は、はあ。恥ずかしながら、オーナーがボウルを落とした音にびっくりしてしまい。で、どんな解答だったんですか」
B「それはもうワンダフルでしたよ」
C「ねえ、もう集計しなくていいと思うんですけど」
D「そうだな。必要ない。Eさんの答が最優秀だ」
E「いや~、最後に美味しいところを持って行ったみたいで気が引けます」
F「そないな遠慮は無用。胸を張って、賞品を受け取ればええねん」
A「あの~、そのワンダフルな解答、私は聞けてないのですが……」

 Aは物欲しげな顔付きを隠さず、皆を見やった。だが、A以外のメンバー全員は、Eの発表した答について意見を述べ合うことに夢中。Aの言葉を聞く耳は持っていなかった。

A(ちくしょう。何で私だけが……。こうなったら、もっと大きな“爆弾”をちらつかせて、皆の注目を呼び戻さねば)

 Aは少し考え、言うべき台詞を決めた。

A「あ! 忘れていたが、私この前、たまたま電車の中で耳にしたんだった。三億円事件の真相を」

 おしまい

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