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人とのつながりを大切にする生き方を

#29
2024.3.29.

先日、教え子の結婚式に招待された。
定期演奏会や発表会にも招待された。
6年生担任を何回も続けていると、たまにこういうお誘いを受けることがある。

時々、「高学年は大変」「低学年は大事」「中学年に若手を」と聞くが、どの学年担任も仕事内容は違えど、同じくらい大切だし、大変だと思う。
どの学年が軽いということは決してないし、軽いと感じるのであれば、その分、子供たちのために力を注ぎたいと思う。

それでも、子どもたちにとって6年生担任という存在は、小学校生活の思い出の大きな部分を占めているのだろう。
卒業しても忘れないでいてくれていることがうれしいので、招待されたものはできるだけ行くようにしている。


立派に成長した姿にほっとする

定期演奏会に招待してくれた子は、年賀状からたどって連絡をしてくれたそうだ。
学校の住所しか教えていないのに。

なかなか手のかかる思い出深い学年で、当時はそれなりに苦労をしたし、悩みもした。
私にとっては手のかかる子だったとしても、卒業してからたくさんの経験をして学んできたのだろう。
舞台の上を見てみると、立派に成長した姿がそこにはあった。

小学生では「なぜ叱られているのか?」「なぜやらなくてはいけないのか?(やってはいけないのか?)」が十分理解できなかったことも、きっと成長の過程で理解できるようになったのだろう。

子供は成長するし、小学生のまま高校生や大学生になった子は見たことがない。
人は日々変化している。同じ状態でいることはまずない。

今年度苦労した先生方、本当にご苦労様でした。
私たちの指導は、きっとどこかで子供たちの成長の糧になる。
畑に撒いた肥料のようにじんわりと。
今ではないかもしれないが、きっとどこかで。

気を付けなければならないこと

今回、招待をいただいた件は必ず誰でもあるわけではない。
私は運がよかったのだ。
たまたまその子の琴線にひっかかり、たまたま招待されたと思っている。
休みの日に招待を受けるということは、勤務ではない。
時間を何に使うのか、誰に使うのか、どのように使うのかは、個人の価値観である。

しかし、気を付けなければならないこともある。
土日に現在担任をしている教え子の発表会、試合、演奏会に招待されることがたまにある。
これに参加をすると、
「あの先生は来てくれたのに、あの先生は来てくれない」
「あの子の発表会は行ったらしい。私のは来てくれないのに」
とトラブルのもとになる。
これは絶対に避けなくてはならない。
もちろん自分勝手にはできないし、してはいけないと思う。
だから関係のあるうち(在籍中)は私は断るようにしている。
せめて周りの人に相談することだ。
我々は公務員なのだ。

今日は最後の出勤日

先ほど、「時間を何に使うのか、誰に使うのか、どのように使うのかは、個人の価値観である。」と書いた。
私は、人とのつながりのために使いたいと思った。

今日は令和5年度の最後の出勤日。
このメンバーと働けるのも最後となる。
今まで毎日、普通に会っていた人たちと会えなくなることは本当に寂しい。
このつながり〈縁〉を大事にしたいと思う。
東京の桜はまだ咲かない。別れを惜しんでいるかのようだ。
せめて画像では満開の桜で送り出したい。

そして、来週から新しい学年の担任となる。
異動してくる先生方にも出会う。
これもたまたまの出会いである。
このつながり〈縁〉のために自分の時間を使っていく。

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