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誰もが持つ直感力を鍛える「ベストプラクティス」、諦めなければプロセスは必ず見えてくる


「プラクティス(practice)」には、
「練習」のほかに
「実践」や「習慣」「訓練」
といった意味があり、
ビジネスシーンでの
「ベストプラクティス
(best practices)」は、
「効率的な実践方法」や「最もいい事例」
という意味で使われることが多いです。


つまり、「実践」という概念
「プラクティス」は三つの要素、
「目的+主体+取り組み/行動」
すなわち、
「何らかの『取り組み/行動』」には、
必ず「目的」が対になっている
ということになりますが、


「プラクティス」という概念を通じて、
私たちの心を静め、
「混乱しがちな感情」を少しでも
「理性的な思考」を基にした言動を
「実践」していけるようにする
本質を見極めたメッセージ(目的思考)は、
今回の新型コロナウイルス騒動のように、
色々な意味で混乱が生じやすいときにこそ、
大切になるのではないかと思っています。


一方、ビジネスシーンでの
「ベストプラクティス」は、
今までに長い時間をかけて
たくさんに人が繰り返し試した結果、
一番効率的で、現状最も効果的だと
証明された方法です。
先人が試して最善と認めた方法が
あるのなら、課題解決のヒントとして
何かの参考になるのかもしれない、


そういった意味において
世界で最も知られている日本人は、
もしかしたら、
『剣豪・宮本武蔵』
かもしれないということを
ふと、思い出していました。
宮本武蔵の偉業といえば、
佐々木小次郎と対決した
「巌流島の戦い」が有名ですが、
自身の兵法の極意をかいた本
「五輪書」によれば、
武蔵はその生涯で「60回以上
勝負をしたけれど、
一度も負けなかった」といいます。


この数多くの決闘をしながら、
一度も破れなかったということも
武蔵の大きな魅力ですが、
外国人が武蔵に強く惹かれるのは、
実は他に理由があります。
彼らが何よりも武蔵を高く
評価するのは、剣術という非常に
具体的な技を追求する行為を通して、
”悟りの境地に至る道筋をつけた”
ということです。


ですから、
外国人が武蔵に憧れるのは、
ただ単に強くなりたいからではなく、
自分も武蔵のように
”悟りの境地に至りたい”という
気持ちがあってのこと、


武蔵が60歳から書き始めた
『五輪書』には、
世界を構成している五大
「地・水・火・風・空」を
由来とし、それぞれになぞって
五巻に分かれている彼の人生の
集大成と言えるものです、


「地・水・火・風」の四巻が
長く具体的な記述が
なされているのに対し、
最後の「空之巻」は見開きで
終わってしまう、非常に短いもの、
でもこの短い「空之巻」にこそ、
武蔵が目指した境地が説かれています。


「空之巻」では武士にとっての
「空」とは何か、
まずは「空」というものについての
誤解を解くことから始めています。


”空とは決まった形がなく、
その形を知ることができない
ものであり、もちろん、
何もないということでもある”


”ではそんな何もないものを
どうすれば知ることが
できるのかというと、
ものがあるところを
知ればいい。
あるところがわかれば、
ないところが空だとわかる”


”世の人たちはものごとの道理を
区別しないところを空だといって
いるけれど、それは本当の空ではない、
それはすべて迷いの心である”


”兵法の道も同じである、
武士としての在り方を
わかっていない人が、
空になりきれないと迷って、
なすべき方法がないということを
「空」だといっているけれど、
それは本当の空ではない”


”武士というのは、兵法の道を
確実に会得して、そのほかにも
いろいろな武芸を身につけ、
武士の行なう道について
すべてを心得ていて、
心に迷いなく、常に怠ることなく
「観」と「見」という二つの眼を
研ぎ澄まし、少しの曇りもなく、
「迷いの雲」が晴れ渡った状態こそが
本当の空なのだ”


わかりやすくいえば、
迷いのない、晴れ晴れとした
青空のような心の状態が
本当の「空」だと
武蔵はいっているのですね。


彼は「空」を「青空」に
喩えていますが、
これは迷いという曇りがない
状態のことであって、
虚無を意味しているわけでは
ありません。


こうした状態は、磨き上げられた
鏡にも似ています。
すべてを映し出す平明な心、
悟りの心を表す「明鏡止水」
(=何のわだかまりもなく、
清らかで澄みきった心境)
という言葉がありますが、
まさに「空」は、
この磨き抜かれた鏡みたいなもの。


武士として行なう道について
わかっている人が、
毎日訓練していると、
やがて迷いがなくなり、
心に曇ったところがまったくない
状態になる、
そうした迷いがなくなった状態が
「空」なのだそう。


武蔵が「空」という言葉で
表した悟りの境地は、
日々のたゆまぬ鍛錬によって
体得されると言っていますが、
ただ鍛錬を積めばいいのかというと
そうではありません。
「空」を感得するためには、
「観」と「見」という二つの眼を
研ぎ澄ます必要があると言って
いるからです。


人は、
今までの人生の数多くの経験から、
多くの物事を判断しています。
何かを見て直感的に「嫌だ」と感じたり、
「これ、良さそう」と感じたりするのも、
ただ単純にその時見た情報だけで
判断しているのではなく、
過去の多くの経験が瞬時に見たものを
ふるいにかけた結果です。


「初頭効果」という言葉を
ご存知でしょうか。
ポーランド出身の心理学者である
「ソロモン・アッシュ」氏が
1946年に行った印象形成の
実験によって提唱された
「人は相手を第一印象で
認識する傾向がある」という
心理効果のこと。


私たちは、初めての相手、情報と
出会ったとき、無意識のうちに
約7秒で第一印象を感じ取ります。
しかも、その第一印象は
半年間持続します。


ソロモン・アッシュ氏の
実験結果では、

①知的、勤勉、衝動的、批判的、
 頑固、嫉妬深い

②嫉妬深い、頑固、批判的、衝動的、
 勤勉、知的


2つの内容は同じものですが、
書いている順番が違います。

①→
”ポジティブな要素が先にある”

「欠点はあるけれども、
全体としては良い人だ」という
印象になった。


②→
”ネガティブな要素がが先にある”

「根は良い人かもしれないが、
うまく生かせていない人」という
印象になった。


すなわち、
同じ情報であったとしても、
出された順番によって
片方には良い印象を持ち、
もう片方には悪い印象を
抱いてしまうという状況が
生まれます。


「人は見た目が9割」という
初頭効果の影響力を説いた
本が流行りましたが、
初頭効果とは、相手の評価を
「第一印象で感じたイメージで
決めてしまう」心理のこと、


それは「第一印象」という
フィルターを通して
その人を見ているようなもの、
人間は、一度出会ってしまえば、
もう、その人をまっさらな気持ちで
客観的に見ているわけではなく、
「素敵な人」だと思えば、
その人の素敵なところばかりに
目が行きます。
逆に「嫌な人」だと思えば、
その人の嫌なところばかりが
気になってしまうわけですが、


私たちにはそれが見えません、
だから、ある意味、プロセスに
似ているかもしれません。
それは成長のプロセスです。
しかし、誰にでもそのプロセスを
見ることができ、確認することが
できるのでしょうか。
答えはノーです。


誰かが高次への成長の道を
進もうとしているとき、
他人はその人のことを
正気ではないと考えます、
あるいは、
多くの人はその人のことを
何か自分たちとは違う人だと
考えたりすることもあるでしょう。


しかし、成長し甘い実がなったとき、
それを味わったすべての人は
それが素晴らしいことだと気づきます。
このように現実では何でも次々と
瞬時には起こりません。
すべてにはプロセスがありますから、
プロセスを確認して認識できるかどうか、
それが問題ともいえますし、


可能性と現実の間には距離があり、
ほとんどの人はその距離を歩く
勇気も自信も持ち合わせていません。
人は無意識のうちに自分の意見の
正しさを確かめるための
情報ばかり集めようとするでしょう。


ですから、
一般的にすべての人間は
ある種の天才の素養を
持っていながら、多くの場合、
制御されているのですね、
社会のシステムや自身の恐れ、
不安や安定への欲求などが
天才の素養を抑圧してしまうのです。
他の物事が大切になってしまい、
90%以上の人は他のことにとらわれて
顕現されずに終わってしまいます。


問題はそのプロセスを維持し、
それを可能性に変えていくことが
できるかどうかなのですね。


武蔵のいう「観」の眼を
研ぎ澄ませというのは、
戦いの場で、細部にとらわれ
全体が見えなくなってしまうと
負けてしまう、だから武芸者は、
実際の戦いの場において
戦い全体を見渡すような
大きな眼を養いなさい、
と言っているのですね。


「観」と「見」については、
宮本武蔵を主人公とした
井上雄彦さんの人気漫画
「バカボンド」にも
描かれていますが、
沢庵和尚が武蔵を指導する
シーンの台詞に、


”一枚の葉にとらわれては
木は見えん、
一本の樹にとらわれては
森は見えん、
どこにも心を留めず
見るともなく全体を見る。
それがどうやら「見る」
ということだ”


私たちは逃げ道はあるのに、
目を閉ざしたままです。
人生は障害や災難をもたらすけれど、
目をしっかりと開ければ、
最悪の敵は恐れであることがわかります。
目隠しは透けています。
突きつけられた剣は錯覚なのです。
勇気を出して前進してください。


自分の目的のためであれば
あなたが何かしらのアクションを
起こさないかぎり
他者からのリアクションは
起こらないということのようです。
 

あなたをいつでも応援しています。
ありがとうございます。

 


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