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「永遠に変わらないもの」と「変わりゆくもの」をはっきりと識別できるパラマハンサ(大覚者)

本日5/16は月が地球の影に隠される皆既月食が起こる蠍座満月。2018年以来最長の皆既月食になります。シフトチェンジのきっかけをつかみやすい「蝕の季節」が導く運命とは、現在進んでいる運命とは違う場所で進んでいるもう一つの運命です。


人生に急に別の運命が入り込んでくる、あるいは今生きている現実が急に反転する、「蝕」とはそのような現象を起こす「可能性」があるタイミング、まったくそのような影響を受けない人もいらっしゃるかもしれませんが、現状打破したい方は、発想の転換に励んだり、不要なものを手放すと大きく前進できそうです。


そして、探し求めているものは手元にあります。それはあまりにも近すぎるので見逃してしまいます。「いまここ」にあるがままに見ている山や川は悟りの境地そのままだと道元禅師は言いました。特別な修行をしなくても最初から「山は山であり、川は川であった」なのですが、


一度、「山は山でなくなり、川は川でなくなった」を経験しないと、それがわからないもの。自分が本当に欲しかったもの、探していた大切なものは探究の旅に出る前から最初から持っていました。

しかし、旅に出なければ最初から持っている
ことがわからなかったのです。

人は肉体や精神、感情を自分と思っているけれども、危機を体験するとそれまで知らなかった新しい自分を発見していきます。自分にはとてもできない、自分には無理だと思っている人でも、危機が訪れると、突然、活力が出てくることがあるのです。

存在のありようを受け入れたとき、いつの間にか苦悩のまっただ中でこんこんと湧き出る永遠の命の泉を発見することがあります。パラマハンサとはサンスクリット語で至高(パラマ)白鳥(ハンサ)という意味です。宇宙の根本原理であるブラフマンを人格神化したブラフマーとは、ハンサ(白鳥)に乗った老人の姿で表されています。


インドでは人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の4つの住期に分けています。「学生期」はグル(導く人、スピリチュアルリーダー)についてヴェーダを学び、「家住期」では結婚して子供をもうけて仕事で社会に貢献します。「林住期」は孫ができたら家を出て、解脱に向けて村はずれの静かな林に住みます。「遊行期」は無一物のサンニャーシンとなって、死と生を思い煩うことなく神のはからいにまかせて放浪します。

サンニャーシンとは、尊敬も軽蔑も平等に見て一切を捨て、袈裟を着て、家を持つこともなく、何も持たずに乞うて得た食を食べ、村のはずれの静かな林の、空き家、祀、洞窟、木の根元で定住せず暮らす者を言います。


その中でも真理を実現した覚者のことを「ハンサ」大覚者を「パラマハンサ」と呼んでいます。


実際に白鳥が水とミルクを分けられるわけではありませんが、インドでは白鳥は水とミルクの混じった飲み物から、水とミルクを分けてミルクだけを飲むことができるという神話があります。


パラマハンサとは偽りと真実が混合している現象世界において、「真実のみ」を分けることができる識別力(ヴィヴェーカー)を持っている人を意味しています。

「永遠に変わらないもの」と「変わりゆくもの」をはっきりと識別できる人を指します。パラマハンサとは最高の覚者に与えられる尊称と言われています。


ラマナ・マハルシの有名なメゾットに「私は誰か?」があります。私たちは普通、肉体の感覚や行動と同一化しているために、肉体を自分だと思っています。ラマナ・マハルシはこの「私は肉体である」という想いが問題だと言います。あらゆる肉体の感覚、物事を考える思考も「私」ではありません。


「これではない」「これではない」と取り除いていった最後に残る自覚、それが「私」だと言います。そして「私は誰か?」と問う以外に自己を探究する必要はないとも断言しています。


ラマナ・マハルシは「私は誰か?」ただこの簡単な問いと沈黙の眼差しで大勢の探究者たちを覚醒に導きました。


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